妻としたい女性の母親を巻き込んで、策略的に娶ったことで親友を裏切り、妻を愛しているからこそ、その親友の自殺をも含めた過去を妻に告白出来ない。「妻を愛しているからこそ…」という。
また、「明治天皇が死んだから、明治の精神の影響下にあった私も死ぬ」と、先生はいう。
読者(筆者)は、先生の親友Kの自殺は、彼の通過してきた世間との折り合いや人格形成からして自業自得であって、先生が間接的要因として背中を押したにすぎず、その先生がそこまで自己否定する必要など全くないのに、と思ってしまう。
はたして、この先生の想いを美化してよいものだろうか。
妻を愛しているなら、不幸を共有してこそ…と思うし(この妻は受け止めるはず)、また明治天皇からしても、こんなヤツに後追いされたら迷惑なはずだ。過剰に自己中心的で、共感するには距離がある。この先生は妻を本当に愛していたのだろうか?
しかし、これは第三章の《遺書》のみの小説作品であった場合においての率直な感想です。作者はこの《遺書》を絶対化せず、私が遺書を読む形をとっている。つまり、私とともに読者が客観化できる余裕を与えている。
そして、私は先生を観察、凝視してはいるものの、ついに最後まで批評していない。作者・漱石は私と同化した読者に何をメッセージとして暗示しているのだろうか?
私が先生の遺書を読むのは、東京に向かう汽車の中である。
故郷から東京に向かう道程で遺書に触れるということは、私が過去の価値観から新しい価値観へと能動的に向かっていることを象徴させている。
この小説の主人公は先生ではなく、私 なのだ。
漱石は、《私と先生 》、《先生とその妻 》、《先生とK》、この3つの関係を設定し、とりわけ漱石自身と同性の、私と先生とKに、自己投影をしていたのではないだろうか。
私という人物は、無垢な傍観者だ。そして先生が私を許容しているのは、若い頃の自分を彼の中に垣間見ているから−と、とれる。また、私は先生の苦悩の微かな出口(つまり、遺書として真実を伝えること)の役目をしている。
換言すれば、この 私という“主人公”を置くことによって、作者・漱石はどうにか狂わずに、この作品を成立させることができた−ということができる。若い頃の自分に、現在の苦悩や葛藤を問いかけている−そんなかんじがする。私という人物設定は、ある意味で“救い”であったのだろう。
また、この3つの関係からそれとなく示唆しているのは、《私と先生 》、《先生とK》の間における同性愛に近いともとれる深い友情と、《先生とその妻》の間の愛情が、等価に示されている−ということだ。なにか、両性具有的な印象を受ける。考えすぎかもしれないが…。
漱石は、大正元年に「行人」を重度の胃潰瘍を煩っている最中に書き、次に「こころ」を、そして「道草」と続き、「明暗」の執筆中に亡くなっている。
同時に神経症の診断も下されていたわけで、その自己を分析をするがために書き続けたようだ。
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