ドラムとバンド

ドラムをなぜやるようになったか…。

小学生の時、鼓笛隊で小太鼓をやらされたことと、その当時GSが流行っていて、ドラマーに憧れたのがきっかけだ。
ドラムセットなんて買ってもらえるはずもなく、あったところで、家で叩いていたら近所迷惑で変人扱いだから、ちゃんとしたセットを叩いたのは、高校2年の時だった。

それからだいぶ経つが、全然うまくならない。

ある人に言われた。「小竹のドラムは心情的だ」
人を傷つけないようにうまいこと言うな−と思ったが、つまり、正確なリズムを刻むというより、その時の感情で揺れるのだ。

プレイすることを突き詰めていけば、それはそれは深いハナシになってしまうが、周りの音をよく聴きながら、とにかく、ひとりよがりのプレイはしないように心掛けてはいる。当たり前のことだが、バンドはチームプレイ。


“バンド”という形態に、ある種の幻想を持っている。
まぁ、言葉ではなかなか言い表せないが、テクニックや音楽的ボキャブラリーを越えて、心が通じ合い、一塊りに球状になって転がっていく−そんなイメージだ。

音楽を離れれば、個人主義で大いに結構だが、音楽を一緒に演奏している時は、グチャグチャグニョグニョに絡み合い、どこにもない魂の塊を作り出したい。

表面的なパフォーマンスを言っているのではない。
あるメンバーをクローズアップしたとしても、計算を越えた一体的なノリがすべてと言い切ってよいかもしれない。

セッションやユニットのよさを、否定するものではないが、“バンド”は“バンド”なのだ。残念ながら現実は、そのことを優先順位のいちばんに持ってくる人間に、なかなか出会えない。


バンドのある種の理想型と思っているのが、ローリングストーンズ、ニールヤングwithクレージーホース。そして、スプリングスティーンのEストリートバンド。
スプリングスティーンのヴィデオBlood Brothersで、バンドのメンバーが名言を吐いている。

《歌のバックとは、曲そのものの中で、いかにスペースを見つけるかだ》

そう、サッカーのポジショニングと同じなのだ。

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