ロックのライヴ

1)睡魔

ライヴを見に行くと、気に入ったアーティストのものでも必ず睡魔に襲われる友人がいる。

なぜだろう?と考えた。
音圧の振動が心地よいからか?(目をつぶってヘッドフォンで集中して聴いていると、いつのまにか寝てしまう経験は自分にもあるが。)それもあるだろう。それだけだろうか?たぶん、その逆もあるのではないかな。周囲の様子に気が散って疲れ果ててしまうのでは?

(大前提として)おおよそ音楽は、まず一個人が個別に楽しむものだ。しかし、ある音楽を”気に入っている”という事実が同じでも、その感覚は人それぞれ微妙に異なる。

音楽に一人で向かい合っている上では、なにも周囲を気にする必要はないが、ライヴには大勢の他人がいるし、普段と環境もまったく異なる。
隣の人が、突然叫びだすこともあれば、カップルがイチャイチャしていたりもする。しっとりとしたバラードの時、横の人のニンニクくさい口臭で白けてしまうこともある。(←ネタではない事実デス) また、前の人の体でステージが見えないこともある。音響がひどいこともよくある。
集団の中にいるのだから、それなりの儀式も多々ある。お約束の拍手、お約束のトーク、お約束のアンコール・・・。

音楽は好きなのに、そんな非日常の環境に不得手な人間もいるはずだ。妙に疲れてしまい、集中できずに眠たくなる−それは、わからないでもない。

2)ライヴ・アルバム

(かなり以前のことだが)すでに巷では有名なのに、個人的にあまり知らないアーティストの作品を聴こうと思ったとき、ライヴアルバムをまず聴いてみよう−という習性があった。手軽に全体像を掴めるような気がしたのだ。しかし、時にそれは誤りであった。

例えば、ジミ・ヘンドリックス。膨大なカタログの中から、最初になにを聴くか。その特異なパフォーマンスから、まずライヴに手が出る。しかし、あとで判ったことだが彼の本領は、ちゃんとプロデュースされた3枚のスタジオ盤にある。

また、「スタジオ盤は素晴らしいが、ライヴは下手でガッカリした」という話をよく耳にするが、それでもってそのアーティストの価値が否定されるとは思わない。そのアーティストの価値は、なにをどう表現したか−が重要であって、実際の演奏がうまいか下手かは、あまり重要な要素とは思っていない。

上に”音楽はまず一個人が個別に楽しむもの”と書いたが、その一個人があくまでも個人的にある音楽に向かい合うことがまず先にあるわけで、極端に言えばエンターテイメント性を最優先にする必要はないのだ。

好きなライヴアルバムもたくさんあるし、ライヴアルバムの良さももちろん認めるところだが、そのアーティストに正面から向かい合うとき(とくにアルバムコンセプトを大事にしていそうなアーティストにおいて)は、オリジナルのスタジオ盤から−と、今は思っている。

ライヴが命のバンドさん、ライヴ盤が代表作のアーティストさん。ごめんなさい。

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