− 友人へ宛てた手紙 −



前略

今回は、政治的な難しい話から少し離れた、
直感的視点で考えたことを書いてみます。

今日(11/4)の昼間、地元テレビで末期ガン患者の
密着ドキュメンタリ番組みたいのがやっていました。
番組の演出もあってか、その不条理な、無念の死に、
思わず涙してしまいました。

懸命に生きようとしているのに、
ガンという、理屈を並べてもどうすることもできない
不条理としかいいようのないモノに殺される。
おそらく多くの人は、それを見て悲しみを抱く。

人ひとりの死に、これほどの悲しみをいだく人間が、
どうして多くの不条理な死に、悲しみを訴えないのだろう。
うまく言葉にならないけど、そんなことを考えました。

問題は、“悲しみをいだかない人”がいるかどうかではなく、
“なぜ悲しみをいだくに至らないのか”というところではないだろうか。
つまり、武力報復の裏にある“死”というものが、
本当の意味で見えていないのではないだろうか。

先のドキュメンタリ番組を例にあげると、
仮に死んだ瞬間だけを放映したところで、
「あぁ、死んでいるな。」という概念的理解はあっても、
おそらく誰一人として涙しないでしょう。
死に至るまでの“生”の部分、
必死に生きる姿を見た挙句の死であるからこそ、
そこに、不条理さや無念さを感じて悲しみをいだく。

あえて現実に不可能な仮定をすると、
武力報復に巻き込まれて死んでいった、
無実の一般市民一人ひとりにスポットをあて、
その死に至るまでの“生”の姿をドキュメンタリとして
放映してみるとどうだろうか?
それによって初めて、“戦争”や“犠牲”という
抽象化された文字記号の向こう側にある、
本当の死(生)の重みというものが見えるのかもしれない。

もちろん、そんなことは現実に不可能だけど、
想像することくらいはできるでしょう。
文化とかが全然違うから、あっちの国の人たちの“生”を
直接想像するのは、たぶんムリだろうけど、
いま一度、自分の、今までの人生を振りかえってみて、
辛かったこと、楽しかったことなどを思い浮かべてみる。
そして、それが、今、ここで、
不条理な何かによって、終わるとしたらどんな気分だろう。

アメリカも、イギリスも、武力報復に至るまでには、
オレのような一般市民が考えているよりも、
もっともっと高級な政治判断を経ていると思う。
でも、もっと、大事なところに目を向ける必要があるんじゃないだろうか。

武力報復を容認している人たちの意見の多くは、
「テロは無実の一般市民の死を生み、一般市民を畏怖させる。
 だから、それを防ぐためにも、早期のテロ組織根絶が必要だ。」
ということをうたっています。

たしかに、ここだけ聞くと一見正しいような気もするんだけど、
やっぱりここでの“死”も抽象化された政治概念でしかないと思う。

武力報復が無実の一般市民を巻き込むことは明らかで、
この人たちの理論を現実に当てはめると、
「無実の一般市民の死をなくすために、無実の一般市民を犠牲にする」
という結果になる。
これは、もう、人数だとか規模だとかの問題じゃない矛盾だと思う。
そこで使われている“死”という言葉がどれだけの現実性を伴っているか。

先日、地元選挙区の衆参両院議員のHPをいろいろ見てみたのだけど、
次の文は、その中に見た、とある代議士の私見です。

『 米軍等の軍事行動を一切認めないと非難する声もありますが、こうした考
え方こそ、まさにテロリストの思うつぼであります。この議論は一見、理性的
に見えますが、結果的にはテロの横行を許し、テロ支援国の国際秩序破壊活動
を許すことになる極めて危険な考え方であると言わざるをえません。
国際司法裁判所で裁けば良いといいますが、テロリストやテロリスト支援国が
裁判所に出てくる保証がどこにあるというのでしょう。現実を無視した全くナ
ンセンスな考え方と断ぜざるをえません。 』

見てわかる通り、やっぱり、その背景にある犠牲を言及していない。

オレも偉そうなことを言っているけど、
「どうやってテロリストを法廷に連れてくるか」
ということに関する答えは見つかっていない。

けど、だからといって、答えが見つからないから
手っ取り早く武力に訴えようという発想は、
「思う通りにならないから、暴力に訴えよう」という、
そこらのチーマーと、なんら変わらない気がする。
その間にいかなる高級理論があったとしても だ。

アメリカ・イギリスはわからないけど、
少なくとも日本政府(国会)では、
「武力を使わないで、どうやってテロリストを法廷に連れてくるか」
という議論がなされていない。
現首相が「アメリカに最大限の協力をする」と言った瞬間から、
議論はすべて「どのようにアメリカを支援するか」という題になっている。

もっと根本的な何か が抜け落ちているような気がします。


人の命が有限であるかぎり、
地球資源に限界があるかぎり、
本当の平和というのはあり得ないのかな。
人間は、そんなに弱い存在なのか?

草々、01年11月4日 記す


2001,11,26

注)  “地元選挙区のとある代議士”の部分、原文では政党名および名前を書いていましたが、
   WWWというメディア上の諸問題を考慮して明記を避けました。
   参考までに知りたい という方は直接メール等でお問い合わせください。



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