<Nターン そして筋肉痛>

学生時代、4年間過ごした街にボクはいた、千葉県市川市
あの時は住民票を移動しなかったが、今度は持ってきた、もう親の戸籍を出ていたから、、、

まさか、この街に戻って来る事になるとは想像もしなかった
散々悩み、決断して捨てた筈の街、時間、自分
あの日駅のホームに立ち、入社式に向かう電車を待っていた
もう二度とここに来る事はないだろう...柄にもなくセンチな気分だった

学生時代、この街はボクに優しかった
新宿も、渋谷も、原宿も、すべてボクが青春を過ごした町より居心地がよかった 
友達も、彼女も、みんな優しかった
人生最後の学生生活は、学問とは程遠かったが充実していた
だからあの日、柄にもなくセンチになった
その街に、ボクはいた、しかもひとりじゃなかった、、、。

仕事は不規則で、忙しかった
暗いうちに出かけたり、遅く帰宅する事も多かった
けど、この街に来てからクリスマスや大晦日を家で過ごせなかった事はない
少なくとも、憧れの札幌時代よりは、マシだ、、皮肉にも、、、

やっと音楽を再会する余裕ができた
ボクが会社に振り回され、知らないうちにテクノロジが数段進化していた
ひとりでプロに近いような音楽が創れる、、、そんな時代が来ていた

運命という言葉を、信じますか?
この街に来て5年、またボクに新しい転機が迫っていた
理由は、よく憶えていない
ある社長に「仕事を手伝ってくれないか、、、」そう誘われていたのも事実だ

とにかくボクは、また会社を辞める決心をしていた
1993年夏...8月 何十回目かの誕生日が来た頃
本当は沢山の理由があった、自分の中では
けど、どれひとつ他人は理解してくれないだろう
とにかくボクは辞表を出し、曲を書き、ヒゲを剃るのを止めた、、、

 ‘時を越えて’
                       みち
辛い事ばかりないだろう それからの人生に 時を越え歩いてゆこう 誰の為でもなく...

友人が越後湯沢にリゾートマンションを持っていた
新しい会社は、学校を出た時以来の土日祭日休み
いや選んだ基準こそが土日祭日休みと、下り通勤、、、だったから
このシーズンからボクは毎年必ずSKIに行くようになった
たった1回か2回だけど、それでも毎シーズン

思えば、毎年滑るようになったのは、中2以来、実に何十年ぶりだろう
そんな些細な幸せが、ボクに戻ってきていた
その代償として月曜日、地獄のような筋肉痛が待っていた
駅や会社の階段が、拷問に思えた
それは当然の事、この頃ボクは1年に2〜3回しか運動しなかった。
つまり、越後湯沢でだけ
今は朝一からリフトストップまで滑っても平気
人間鍛えなきゃ、運動しなきゃ
健康で、楽しく、好きなことを、好きな人達とずぅっと続けるため、、、つづく

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