<現在のスノーシーンについて想う>
最近、雪山にいる20代前半の9割以上が、スノーボーダーじゃぁないだろうか
いつの間にそうなってしまったのか
スキーをしているのは、お父さん、お母さんとその小学生の子供くらい
今の20代が家庭を持ち、子供を連れて山に来る10年後は
日本のスノーリゾートの8割が、ボーダーで埋め尽くされる事になるだろう
エレッセのスレンダーパンツ、なびくワンレン、蛍光色のリゾートバブルウェア時代を知ってるボクにとって
現在のスノーリゾートの状況は、やはり正直少し哀しい
若く可愛いおんなの娘は、、皆ボーダー、レトロなスキーウェアとマテリアルのお母さん達、、、
何となく、淋しく、すこし暗い気持ちになるのはボクだけだろうか?
あの“ジュリアナ東京世代”の彼女達が今30代の母になってる筈なのに
スキーは、今から数十年前スイスのレルヒ少佐が日本に伝えたもの
当時は1本の長いストックを使っていたらしい
時代は流れ、雪の上で遊ぶ道具が、スノーボードに変わっても、全く問題はない
ボーダーを嫌う堅頭のスキーヤーも多いらしい
滑走ラインが違うとか、コースのド真中で座っているのがイヤだとか、、
自分だけを正当化していないだろうか?
自分の生き方だけをよしとしていないだろうか?
ボクは、全然ボーダーは嫌いじゃない、そのスタイルや行動パターンも、全く許容範囲内だ
おじさん、おばさんのスキーウェアより、ボーダー達の方が、遥かにカッコいい
ボーダーとつるんで滑るのも楽しいじゃぁないか
老いも、若きも、雪がスキで、雪の上で遊びたいなら垣根などない
但し、スポーツとして観た場合、日本のウィンタースポーツシーンを考えると、少しの不安、疑問が頭をよぎる
よいボーダーが育つ可能性を秘めているが、凄いスキー選手が生まれる可能性は
どんどん低くなっているように思えて仕方がない
子供や若者がカッコいいって憧れなくなったら、どんどん衰退するのみだ
そんな中、里谷多英の銅メダルは、大きな意味を持つんじゃぁないだろうか
長野とソルトレイク五輪で、モーグルって競技を、国民の殆どが認知したんじゃぁないだろうか
多分4年前までは、限られた人しか知らなかったこのスポーツ
モーグルをメジャーにした、多英や愛子の活躍は、多いに評価されてしかるべきものだ
ファション性、見た目において、ウェア、等々
スキーよりボードの方が、若者の心を捉える気持ち、よくわかる
現在のストリートシーンやミュージックシーン、髪型や、ライフスタイル
スキーはどれもこれもミスマッチのような気がする
実際ボクも大学生の頃、バンドをやってた頃
普段のファッション、ライフスタイルとスキーがかけ離れていて、どうもやる気になれなかったのも事実だ
何だか、爽やか過ぎて、どうもダメだった
金曜、ギターケース抱えて夜の街を歩き
土曜、スキーケースを担ぎ電車に乗る気にはなれなかった
けど、フリースタイルは、そんな若者の文化、心に相通じるものがあるように思える
ルーズでクールなウェアも、時代の先端を走ってる
例えば、いい歳をしたボクでさえ
春先は飛んで手を上げ、少し下げたパンツの隙間から、割れた腹筋を覗かせる着方は、取り入れたいスタイルだ
フリースタイル、フリーライドだけは、衰退気味のスキー産業の中で異彩を放っているように思う
いわゆる飛び系、ニュースクールやモーグル、あまり爽やか過ぎない、クールで、ダーティーな滑り
つまり既存の概念にとらわれない自由なスタイルのスキーだ
フリースタイルが若者の心を掴めなかったら、ほんとに、オールスノーボーダーになるんじゃないだろうか
何しろ、フリースタイルって言葉がいいじゃぁないか、今までの古い体制、考え方、大人達
全てから解き放たれ、自由に雪をもてあそぶ
価値観は時代と共に、刻々と変化し、昨日の常識は、今日の嘘
タイムや歴史の重みだけを重視するのではなく、新しい滑り方、カッコよさを追い求める
誰かが決めた枠をはみ出し、時にはジャッジマニュアルさえも飛び越える
そして、そんな些細な何かに縛られてる自分自身をも乗り越えてゆく
本当に自由なゴールを目指し、、心と体で滑ってゆく
そんなフリースタイルこそ、スキーの生き残りをかけた微かな灯りだ、、、つづく ^_^
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