♪ デジタル文明との遭遇 |
1989年のある晩だったと思う、妻が、デジタルピアノ、シンセサイザーの話しをした
友人の子供、幼稚園児に弾かせているとか、、、
ボクが現役でバンドをやってた頃
実はシンセが嫌いだった、コンピュータも嫌いだった
ギターやピアノ、オルガンが好きだった
今、こんなにPCやケータイ、ハイテク機器が好きになるとは思わなかった
何故か、ボクはその新しい情報に即座に飛びついた
そして次の日、10年ぶりに楽器屋へ足を運んだ
そこは、学生時代よく通った店、シマムラ楽器だった
そのシンセサイザーは、ドラムやベース、その他の音が出せて
しかも、別々に録音みたいのが出きるらしかった
つまりバンドでやっていたような音楽が、独りで創れ録音出来るらしい
ボクの脳、記憶の中だけにある音楽を、形に残せる機械が出来ていたらしい
実は、何年か前、学生の頃だろうか、、、
将来、ドラム、ベースを買って家で多重録音して、自作の曲を録音しようとは思っていた、いずれ、、、
その日が来たのだ、しかも小さな機械でそれができるらしい
千葉県市川市に引っ越してきたボクは、拘束時間8時間程度の仕事に戻り
ギターを弾いたり音楽をする心の余裕と、子供達と遊ぶ一握りの自由を取り戻していた
いや、何より毎日眠くなかった
土日や祝日、年末やお盆は休みではなかったが、週に2度だけの完全な休日があった
2日行っては休み、3日行っては休みだった
そして殆どその日、日付が変わる前に帰ってこれるようになった
二男が生まれ、家族4人にもささやかな幸せが戻ってきていた
生まれた病院の赤ん坊の最大体重記録をあっさり塗り替えたその子は、何故か‘拓郎’と名づけられ
ボクが音楽を始めるキッカケを作ってくれた尊敬すべき‘吉田拓郎’の名は
永遠にボクに呼び捨てにされるハメになった
1週間調べ、5万円程度の小さなキーボードを1台買った
当時なんとか小遣いで自由になる金額のその機械、、、
その夜から、生活が180度変わってしまった
帰宅後、寝るまでの時間全て、ヘッドホンをかけてその機械に向かっていた、そう、狂ったように、、、
超凝り性で、狭く深く探求し、のめり込むタイプの人間だ
自分自身と対話するのが好きなタイプの人間だ
その機械は、そんなボクにピッタリのおもちゃだった
目的は14歳から創り続けてきた数百曲を
アルバムとしてカセットテープに残すこと、、、何のためだろう...
半年くらい経った頃、アルバイトに来ていた高校生と何かの拍子で音楽の話になった
そして、彼の家にまでお邪魔することになった
彼の家は、意外と近所で、父が社長をしている立派なお宅だった
ガレージにはメルセデスがあり、門にはセキュリティーシステムが施され
お手伝いさんが、紅茶と御菓子を運んできてくれた
多分、小遣いになど困っていなかっただろう、何かを求めてバイトをし、ボクと出会った
彼の部屋にはエレキギターやアンプがあり
ボクが持っていたものの、およそ2倍はある、ROLANDのシンセサイザーがスタンドにセットされていた
自分の中学や高校時代の音楽環境と比べると雲泥の差だったが
彼は恐らく、バンドを組んだことはなく、少し孤独で
CD相手にXジャパンを演奏してる今時のロック少年だった
音を聞かせてくれ、使い方と機能を説明してくれたが、よくは理解できなかった
ただ、物凄いことが出来るってこと、概念だけは理解できた
今、ボクが持っているものは、子供の “おもちゃ” で
彼が持っているのは、プロも使っている “機材” だった
これなら、思い通りの演奏が創れる
殆どの制約がなく、無限の可能性と未知の誘惑
勿論、その音質もプロが使っているものと同じだ、いや使ってる
さらに、シーケンスっていう概念、実際プロも、ステージやレコーディングで使ってるらしい
生きてゆくのに精一杯で、目の前の現実に喘いでいるうちに
電子技術はボクの常識を、遥かに飛び越えていた
欲しい、絶対に欲しい
ボクは、生まれて始めてローンで自分のものを買った
生まれて始めて、自分の稼いだ金で楽器を買った
当時約20万円だった、コルグM−1
多くのミュージシャンもステージで使っていた、、、
M−1を買ってから、さらに狂気の錯乱状態で、毎晩、5時間はオケを創りつづけた
つまり、食事以外の時間は全てヘッドホンをかけ、鍵盤を打っていた
仕事中も車の中も、1日中、アレンジのことばかり考え、他には何もしなかった
せき止められた水が、一気に流れ出すように
その日から、約7〜8年、毎日、毎晩、ずぅ....っと、それだけ、、。
音楽制作事情が段々わかってくると、次々に欲しいもの、必要なものがわかってきた
M−1にはMTR以外、全てが内臓されているが
専用機はそのクオリティー、自由度が格段に違っていた
MTR 唄やギター等を4〜8種類別々にアナログ録音できる機材
ドラムマシン
音源 鍵盤が付いていなく、外からのデータによって色んな音を出す機材
エフェクター 余韻や臨場感、歪等、音に変化を加える機材
ミキサー 多くの音源を別々に装飾し、最期にLR(左右)ステレオにする機材
1990年代初頭は、これらの機材を揃える必要があった
コンピュータによるハードディスクレコーディングが普及していなかったあの頃
3段のキーボードスタンドとラックマウントの真っ黒な機材の数々
自宅制作でも、コンサートステージのような機材が必要だった
お陰で、我が家は益々狭くなり、洗濯室とスタジオが兼用になり
ボクは約100万の金をそこに、いや自分に投資した
1990年1月、最初のアルバムが出来あがった “限りある生命”
それは、ボクが中2から唄の歌詞とコードを書いてきたノートの14冊目、最期のノートのタイトルだった
このノートが最期になるだろう、歌をつくるのは、これで、、、そう思ってつけたタイトル
それから、1年に2枚のペースでボクは夢中でアルバムを創りつづけた
誰も聞かない、そのアルバム
過去の自分と対話するように
過去の自分を呼び覚ますように
過去の自分と戯れるように
未来の自分を愛せるように
生きてる意味を確かめるように、、、つづく ^_^
2003.4.8
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