♪ 自由からの卒業 |
・・・ 「だぁーからぁ、ひぃーとりになりたぁーい、、、全てからぁ解き放たれてぇー・・・」
新しいバンドのデビュー曲は、イントロなし、、、
いきなりそんなヴォーカルフレーズで始まる16ビートのナンバーだった…
1980年頃、新宿歌舞伎町界隈にはディスコが乱立し
原宿ホコ天では竹の子族が踊り狂ってた
音楽もそんなディスコビート、ダンスミュージックの影響が色濃く
ニューミュージックって言葉が囁かれていた
そしてボクも、そんなビート系の音楽に心惹かれ、ていた
大学生とは、非常に中途半端なシチュエーションだ
やたら理屈っぽく、口だけは達者だが、何もできない生意気な軟弱共同体
当時、難しい演奏を完璧にコピーする事が流行っていた、内輪で
練習ですら、よくできないのに、ステージでできる筈が無い、、、
客に見せるというエンタテイメントより、友達やクラブ員へのアピール、自慰的自己満足、、、
フォークソング研究会ってサークルの伝統がそうしていたのかも知れない
けど、この1年間でボクはその頃やりたかった音楽ができた
どちらかと言うと、歌より演奏、オケ重視、ふわふわした軽快なビート
カッコいいアレンジ、ブレイク、ギミック、仕掛けを多用した、、、
辛うじて4年になれたボクは、研究室という檻に閉じ込められた
とうとう優雅、勝手気ままな学生から、世間の荒海に飛び込む時が迫っていた
最期に組んだバンドは、わずか数ヶ月ではあったが、最も素晴らしかった
ドラムとギターに年下の新メンバーを入れたバンドは、鈍い光を放った
ちょっとワルなイメージでダーク&ヘヴィーな演奏と歌、次にボクがやりたかったものだ
人間の中には、身体時計ってのがあるらしい、その針とビート感性は人其々が微妙に違う
ドラムとベース、、ボクのスピードが、ピッタリ一致した、、。
ひとつの心臓の鼓動が別々の生命体で共鳴し合い、曲に生命を吹き込んだ
僅かな練習期間ではあったが、曲の仕上がりは早く、演奏は心地よかった
ギターとキーボードの絡みも、程よく調和していたように記憶している
シンプルに塗り替えられたアレンジは、本来の曲をイキイキさせた、、、
楽しかった4年間は、アッという間に過ぎ去りボクには髪を切る日が近づいていた
当時、大学生は就職試験のため長髪を切り、企業と生涯の自由を売り渡す契約を交わした
そして皆、大嫌いだったオトナになる準備をしていた
早春、4月1日、、千葉県市川市の国鉄総武線本八幡駅、いつもと逆の登りホームに立っていた
大学の卒業は、ある意味音楽からの卒業も意味し
もうギターをぶら下げてステージに立つ事はあるまい、そう思ってた
実際、社会人になってから楽器や音楽から離れた友は多い
音楽とは、若い時、特に10代の頃の一時的特殊文化、そう幻、青春なのだろうか?
日本全国何処に配属されるかも分からないボクは、そんな、これから、自分と音楽の事など考えておらず
目の前の見慣れた風景と別れる事に、ガラにも無くセンチになっていた、この街が好きになっていた
さらに、大手町の入社式に向かうにもかかわらず
ボクはスーツではなく、ジーンズを履いていたし、、、つづく ^_^
2002.11.2
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