♪ 初めての挫折 |
ギターを家に置いてきた
自分の意思だったのか、親に言われたのか、憶えていない
始めてのひとり暮らしは、テレビドラマの中のそれとはまるで違ってた
2年半、全く勉強しなかった代償はあまりに重く
ボクを1日14時間机に縛り付けても、1年で取り戻せる情報量ではなく
始めての挫折感に打ちのめされた
幸か不幸か、これまでは優越感しか味わった事がなかった、、、
不安は、時の経過と共に大きな黒い虚像の怪物となり、ボクの冷静さを奪った
ボクは、当時、限りなく打たれ弱いボクサーだった
過保護でワガママ、自分で手は出すが強力なパンチをもらった経験は未だなかった
けど、相変わらず曲は書いていた、しかもかなりハイペースで、、、
今までと趣の違う、受験や将来への不安ばかりを歌っている
予備校の1年間が最も多くの歌を創ったかもしれない
やがて春が来た、永くて短い1年が、、、終わった、、、
ボクは海を渡り、千葉県習志野市へやって来た
国立1期校 “北海道大学”へは入れなかったが
親の期待、医者か弁護士、、、への道は霞んでいったが、、
辛うじて、大学生になれた、、、晴れて ^_^
バンドがやりたかった、無性に
中学卒業後、全くその気になれず、ウダウダ、だらだら、進学校で落ちこぼれ
何もしない青春を過ごして来たが、
大学生になった瞬間、突然、ハートに火が付いた
勉強? いや音楽…。
しかし、メンバーを集める術は皆無だった
機械工学科は200人あまりの学生がいたし、学内には人が溢れていたが
中学や高校のように、友達はすぐには出来なかった
毎日座る席は決まっていないから、顔や名前すら、なかなか憶えられない
組織や団体、グループが嫌いなボクだけど
やむなくある日、サークルの部室のドアを叩いた、バンドのメンバーを見つけるため
入学してから1ヶ月程たった頃だったろうか、、、
【フォークソング研究会】そんな木製の古い看板が掛かっていた、、、
自分が創った、オリジナル曲を演奏するバンドメンバーが欲しい
フォークソング研究会に入部した理由は、只それだけだった
しかし、事はそんなに簡単ではなかったようだ
中学時代組んだ始めてのバンド “ロッキーチャック” は
全員が、‘よしだたくろう’が好きで集まった連中、元々仲良しだ
それから6年が経ち、今、目の前にいるのは名前も知らぬ大学生達
好きな音楽も分からないし、今までどうやって生きてきたのか、何も知らない
いったい、どうやって、、、
ボクの曲を一緒に演奏したいっていう変わり者見つければいいのか?
いや、そんなヤツ、、、いる訳ない ^_^;
聴いてもらうのさえ、何だかテレる、オトナに近づいていたし、、、
ある日、2年の先輩‘M野さん’から誘われた、バンドに入らないかと
ボクは初めて、洋楽のコピーをやる事になった、なってしまった
エレキなど殆ど弾けない、カポを付けて弾いていた、たくろうのように
しかも、歌まで歌わされる事になった、英語で、エ・イ・ゴ・・でぇ
よしだたくろうと、自分の歌しか歌った事がなかったのに
バンドの名前は“愛奴隷” AIDKAYとロックっぽく、カッコよく発音する
何時から、何故だろう、愛奴隷はオリジナル曲をやる事になった、取り敢えず、やった!
ボクが創った、こんな夜は、、、って曲だ
とうとう、中学以来、久々にボクの歌が誰かに聴かれる日が近づいてきた
愛奴隷は、年に1度のサークルの定期演奏会の出演バンドに選ばれた
ある意味で、何らかの評価はされた…
ヘタだった新米、新入生バンドも、当日は最高の演奏が出来た
今までで、最も素晴らしい演奏が出来た
けど、そんなコンサートが終わった夜
ボクは愛奴隷を抜ける決心をしていた、まだ誰にも言えなかったが、、、
世の中はフォーク全盛からニューミュージックへ、、、
時代はまた、次の曲がり角に差し掛かり
サザンが桑田圭佑が ♪ ラララ〜ラララ ラララ〜胸騒ぎの腰つき ♪
って歌ってた、、つづく ^_^
2002.10.18
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