♪ 拓郎を通して見る20世紀音楽シーン W |
J−POP 〜90年代
< バブル崩壊とヘアスタイル革命 >
バブルがハジけ、日本やボクらは冷静さを取り戻した
拓郎はチリチリパーマをやめ、やっと新しい自分を見つけたようだった
もし頭が薄くならなかったとしても、どこかのロックスターのように
50〜60歳になっても20代と同じロン毛のままでいて欲しいとは思わない
大切なのは
変わらないことではなく
歳相応にカッコよく進化して
それを、ファンや一般大衆に見せつけることだ
最初の1〜2年は前髪を立てたり、まだ新しい拓郎像を模索していたようだが
程なく、90年代の“拓ちゃんカット”ができあがった!
例えば永ちゃんが、リーゼントを諦めたのと同じ決断、イメージ戦略だ
このタイミングをうまく掴まないと、取り返しのつかないことになる
男が、老けこんで見えない一つの方法は
ある年齢で、少し早めに老けキャラ、後半もずっと通せるキャラを見つけることだ
早めにチェンジしてしまえば、若い時より今のキャラクターが人の心に強く刻まれ
今の方がカッコよく見えてくるものだ
拓郎はボクより丁度ひとまわり年上だ
10年後の自分をイメージしやすい
今の拓郎はカッコよさを取り戻した
迷いの80年代を乗り越え、音楽も、見た目も、生活も(3度目の結婚で・・・)
中学生の頃憧れたように、10年後あんな感じになっていたいと思える
来年還暦の拓郎は、ボクの周りの誰よりも若々しくてカッコいい
あんな感じで10年後ギターが似合ったら最高だ!
その時までHPはないと思うので
ボクがギターを抱いた還暦は誰にも見られないが ^_^
< 先生と生徒 >
70年代から今までの30年間、音楽シーンで変わらないものがひとつある
音楽を聴いたり、CDを買ったり、ライヴに出かけるのは “若いひと”、、、だ
言わば、オーディエンスは在学年数の決まった学校にいる
毎年新入生が入り、それと同時に卒業生が出る
卒業して1〜2年のうちはたまに学校に戻ってくるが、段々自分の生活が大変で母校に顔を出さなくなる
生徒達の平均年齢は変わらない
一方、アーティストは学校の先生だ
新任の若い教師は人気者だが、毎年同じノートしか読まない古臭い先生の授業は人気がなくなる
新入生に授業をしないで、職員室で後輩教師の世話をしたり、父兄や教育委員会の調整をする
そんな老いぼれ教師のCDをたまに買い、ライヴに行くのは
ずっと前に卒業した在学生の親達のほんの一部だけだ
< 商品になった音楽 >
70年代商業化された音楽に反抗し、ブームを巻き起こしたフォークや拓郎
音楽がどうやって作られ、ヒットがどうして生まれるが、、、
業界の真実はわからないが、ある程度の想像ならつくだろう
どうやら70年代とそのメカニズムが変わってきたらしい
今、アーティストや楽曲は商品だ、言わば冷蔵庫やデジカメと一緒だ
売るために “ある組織” が戦略を練り、目標数値を持って仕事してる
新型の冷蔵庫のコンセプトやターゲット、販売戦略立てるのと同じだ
いい曲イコール売れる曲の方程式は成り立たない
売れた曲イコールいい曲だった・・・の方程式は如何だろう?
とにかく、今市場が望んでる商品をリサーチし、多くの人にCDを買わせる仕事をしてるわけだ
< 年代別オススメ曲 >
楽曲が商品になってから変わったことのひとつにこれがある、新製品の購買年齢層の限定だ
“○歳〜○歳の方向けの商品” の発売、洋服と同じだ
逆に言うと、○歳以外の方は購入お断り!おじさん、オバサンは、聴かないでくださいってやつ
さらに逆に言うと、○歳〜○歳の方は、この夏、これを買わなきゃいけません!
これが今年の流行、遅れたくなければ買いましょう戦法だ
特に若年層の友達と同じ物を持っていると安心世代には威力絶大だ
大人だったら「今度の△□の新曲聴いた?あれいいよね!」(実際こんな会話ないが)
って言われて「ん?聴いてない、、、それに△□はあまり好きじゃないんだよね」
これ全然オッケーなんだけど、子供はそうはいかんでしょ
「とっくに聴いたしぃ、CD買ったしぃ、ダウンロードしたしぃ、着歌だしぃ、、、
群集心理学まで研究してます、仕事として
また購買年齢層限定戦略には2層式もある、多重式、親子でどうぞ!ってやつだ
手軽な親子のコミュニケーションにも持って来いだし
流行りもん好きのおかぁさんにも打ってつけ、物知り顔したいおとうさんにもピッタリ
懐かしのアイドル聴いてるだけじゃ脳がないよ戦法だ、購買層を2倍にする事でヒットが望める
この戦略で「つんく♂」は大ブレークした
詩の中には「とーさんやかぁさんとの話もでてくるし
アレンジはメイン客層の子供の親の年代に流行ったサウンドを当てはめている
どこか懐かしい、ノスタルジーを誘う考えられた作戦だ
自分が書きたい曲ではなく、売れる曲を世に排出する
そちらを選んだ職業プロデューサ「つんく♂」を批判する気は毛頭ない
< アンプラグドは癒し >
90年代に入り、拓郎はアコスティックギターに持ち替えた
92年のクラプトンのアンプラグドが火を付けたのだろうか?
ストリートミュージックという文化の発生だろうか?
日本でも再びアコギを持つミュージシャンが出てきた
そしてやっぱり、アコスティックギターを抱いた拓郎はサマになる
(ライヴ’73や新六文銭のツアーでのテレキャスタもかなりカッコよかったが)
70年代からの多くのファンは、拓郎にアコスティックギターを持ってほしかったに違いない
そして自分自身も青春の輝きを取り戻したかったんじゃないだろうか
拓郎のアレンジも確実にアコスティックギターが聞こえるものに戻ってきた
70年代エッセンスを取り混ぜたフォーキーな今風のサウンド
時代が癒しを求め、そこにアコスティックギターの音がハマった
90年 176.5
91年 デタント
92年 吉田町の唄
95年 long time no see
96年 感度良好波高し
97年 みんな大好き
98年 ハワイアンラプソディー
<職業 歌手 >
90年代の拓郎の動きを、良しとしないファンが多くいることも事実だ、言わば硬派なファンと呼べばいいのか?
キンキと一緒にテレビに出て、おもしろいオヤジを演じたり、アイドルと鼻の下を伸ばしトークしたり、ゲームしたり
次第に出る番組の品位が下がっていったのは否めない
自分が歌ったり、演奏したりしないにしても、少なくとも音楽系の番組、せめてトーク番組であって欲しい
クイズ番組やバラエティーで、拓郎が問題に答えたり、いじられたりしてるとこは、ファンが見ても面白くない
そんな番組には、それ用のタレントがゴロゴロいる
拓郎は、ずっと突っ走ってきて、今やりたいことをやってるのだ
だけど、拓郎と言うアーティストを最後まで演じる責任もある
ファンの期待を裏切らないのも、大切な仕事のひとつだ
職業としてお金をもらっている以上、人前では好き勝手にできないのは当然だ
今も暑く、「朝までやるよー」と叫んで欲しい、そう願うファンもいるらしい
ボクは59歳の拓郎は、あまり暑苦しく押しつけない方がいいけどなぁ
「お前ら、もっと明日に向って走れ」とか言わないで、ちょっとオチャラケて、力んでない方が素敵だけど
だいたい拓郎は、そんなに暑苦しくない少しシラケたキャラなのだ、シャイで、張りきり過ぎない
49歳の長渕が、ハーレーに乗って素肌に革ジャン、日サロ焼けの筋肉に汗、そんな登場してもまぁアリだが
拓郎に、筋トレは似合わない
本当は、多少してるに決まってる、じゃなきゃあの歳で、ステージやツアーを戦えるわけない
けど、「俺はやってます!」って言うキャラクターではないのだ
「俺は、あんまり努力せず、流れにまかせ、好きな酒も飲み、嫌いなことはやらない」
何となく、そんなイメージじゃないだろうか、少しいい加減な、やんちゃなキャラクターじゃないだろうか
< 誰のために唄う >
拓郎の曲は若い奴らにメッセージを送ってない
拓郎陣営は今、若く新しいファン層を開拓しようとしていない
新しい人達に「俺の歌を聴いてくれ!」と呼びかけていない、、、ように感じられる、あまり
確かに59歳、30年以上唄ってきて、1時代を築き上げてきた
今はもう気楽に、マイペースでやりたいのだろう
気の知れた、往年のファンに囲まれて唄うのは心地よいだろう
もっと売れたい野望も強くは抱いてないだろうし
レコード会社がCDを製作してくれないほど、落ちてはいないのだ
ライヴで席が全く埋まらないほど、落ちぶれてもないのだ
ファンとしては、確かにステージに立ってるとこ見れるだけでもいい
唄わなくても、テレビに出てるとこ見れるだけでもいい、そう思うのも本音だ
けど、プロ歌手 “吉田拓郎” としてはどうだろう、そのスタッフとしてはどうだろう
100万枚売ろうとして出す作品と、10万枚売れればいいやで出す作品
同じ曲でも、迫力や説得力が全然違うと思いますが
当日までに全席埋まればいいやで売るチケットと、発売当日SOLD OUT目指すチケット、その為の宣伝
やっぱり、同じステージでも、伝わるもの何か違いと思いますが、、、
元々、シングルヒットを飛ばすタイプのシンガーではなかったが
昔のファン、おじさんおばさんだけを集めて満足してるような
そんな形では終って欲しくないなぁ
例え結果的に売れなくても、もっと若い世代の方も向いて歌って欲しいものだ
それが、吉田拓郎を40年以上やってきた責任ってもんだ、、、つづく ^_^
2005.9.11
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