♪ 拓郎を通して見る20世紀音楽シーン U

拓郎 ヴァーサス 長渕剛

< イントロダクション >

ふたりを比較するのは少し乱暴過ぎるかもしれない、拓郎と比較するなら、陽水が妥当なところだ
と言うか、誰かと誰かを比較する事自体意味がない、と言う人もいる
長渕は拓郎より
10歳程年下で、拓郎に憧れてミュージシャンになった
デビューはフォークブームの終った
1979年、ボクが拓郎のレコード買わなくなった年だ

 長渕のこと意識するようになったのは、今から13年前の1992
 当時高校生のアルバイトの友人がキッカケだった、、、
 彼は熱狂的な長渕ファンで、ボクは誘われ東京ドームに行った
 バンダナを巻き不精ヒゲ、ジーンズにアジアンテイストの衣装
 ワイルドな風貌の
36歳はカッコよく、腹の底から絞り出すようなヴォーカルも圧巻
 75千人を相手にしたアコスティックギターの音も、もの凄かった

 

ボクは拓郎が好きだけど、長渕も嫌いじゃぁない、普段からつい比較して見てしまう事も多い

アコスティックギターについて
ライヴ活動について
ファンについて
CDのセールスについて
音楽の方向性について 
etc...

拓郎一筋コアファンは、長渕と比較することすら嫌うようだ、別格で、比較の対象外だと言う訳で、やや頭が硬い
そんなことを踏まえつつ、
20世紀の音楽シーンを考える意味、公平な目で考察してみたいと思う、、。

< キャラクターとファン層について >

まず比較しやすいよう単位を合わせてみよう、分数の足し算で言うなら、通分だ
2005年 長渕剛(49) 拓郎(59
拓郎を過去に1
0年巻戻して49歳にし、分母を合わせ1995年の拓郎を呼び出すと

 当時ボクは37歳、拓郎ファンの平均的年齢は3540歳前後
 1020代のファンは10%もいないと想像できる
 つまり、
70年代からのファンが中心、、、と言ってまず間違いない
 長渕のファンは
10代〜49歳まで、中心は30代以降になるだろうが
 若年層のファンもかなり付いている、、、と言ってまず間違いない
 89年のドラマ “とんぼ” 以降の第2次長渕変身後のファンがいる
 本人やスタッフが若年層も積極的に取り込む方針を打ち出しているか否かの違い
 拓郎&スタッフは新しい若年ファンを作る戦略に出なかった?失敗した?
 その気がなかった?  時代に合わなかった? どれかだ

一方長渕は
33歳 “とんぼ” で新しいキャラクターを作り上げた
ドラマで役を演じ、そのキャラクターとアーティスト長渕をダブらせた
当時から、ドラマとのタイアップはヒットの王道であり
まして、主演、主題歌ほど強烈なインパクト、宣伝効果は抜群だ
この後
90年代初頭、ドラマとのタイアップでチャゲアスやビーズが大ヒットを飛ばす

拓郎は
70年代、80年代、90年代、、、大きく3つの時期に分けられる
70年代大ブレイク、80年代低迷、90年代キンキとTVを通してやっと戻ってきた
拓郎はこの
3つの時期でファンを失ってきた、今でも70年代のたくろうしか認めないってファンもいる
長渕は
70年代、とんぼ以降のボーズ期、肉体改造&キンパツ期、、3つにわけられる
長渕はこの
3つの時期でファンを増やしてきた(初期のファンは離れて行ったかもしれないが)
ルックスと声、唄い方を変え、デビュー当時とは違う全く新しい長渕に新しいファンがついたのだ
そして次は筋肉隆々キンパツでエネルギッシュ! 同年代より若い奴らを意識した、ステイタス
さらに最先端企業“ケータイ”とも手を組んだ
CM
キャラクターは、、、作るものだ

売れさえすればいい、、、勿論そうは言わないが
プロミュージシャンである以上、
CDセールスやライヴ動員数を外して語れないのは誰しも異論がないだろう
だとしたら、今の長渕サイドのやり方が正解と言わざるを得ない、古いファンだけにあぐらをかいてはいられない
CD購買欲のある新しいファンを獲得しなければセールスが伸びるはずがないのだ
拓郎がいくらボクら世代にアピールしても、ボクらは
CDを買わない世代だ
時には自分のポリシーに反しても、ミュージシャン○
×という商品を演じきらなければならぬこともあるだろう

< ギターについて >

ふたりを語る上で、どうしても外せないのがギター、長渕は一時スタンドマイクを振りまわしていたようだが
今はふたりともアコスティックギターで唄う、往年のスタイルに戻っている
丸腰でう唄う拓郎や長渕はサマにならない

長渕モデルのアコスティックギターがある、タカミネのエレアコだ
売れ行きがどうなのかはわからないが、決して悪くはない筈
長渕は元々デビューからヤマハと関係が深かった
なので、
90年代前半まではステージでヤマハのエレアコを使っていたようだ
その後、何らかの原因でタカミネと組んだ
もしかしたら、ヤマハからテリー中本が独立したからだろうか、、、
スタッフが今後の戦略のひとつとしてタカミネと契約したのだろう

ボクらは
70年代有名ミュージシャンのマーチンやギブソンに憧れた
けど、それらはとてもすねかじりの子供が買える代物ではなかった
勿論当時の日本のギターメーカはまだ始まったばかり
30年以上前からギターを作っていた外国製品のクオリティーに追いついているはずはなかった
しかし今はどうだろう
きっと、日本ブランドの音は外国メーカに追いついたたずだ、もう、真似をしただけではない
ヤマハはヤマハの音
タカミネはタカミネの音
ヤイリはヤイリの音
というふうに、独自の世界を確立している

長渕が使ってるタカミネと、市販の長渕モデルは勿論別物だ
見た目は同じに作ってあるが、中味は似て非なるもの
しかし、ボクら素人が聴いて明かに違いがわかるほど、決して劣悪な製品ではない
充分、憧れのアーティストと同じ楽器所有の醍醐味は味わえるはず
しかも、
10代からでも無理をすれば何とか手が届く10万円台の価格設定
ここにもスタッフのイメージ戦略のしたたかさが伺える
アーティストは本人の力だけでなく、スタッフの能力、センスがものを言う時代なのだ、作り上げる偶像なのだ
長渕はステージでのエレアコとレコーディングのギターを使い分けている
これは、長渕だけに限ったことではないが
レコーディングではギブソンやマーチンを使い
メディアに露出度の高いライヴではタイアップメーカ製品を使う
戦略的にも優れているし、ファンやギター少年にも優しい、にくい心使いだ
タカミネ ⇒ 長渕のいいイメージが作られていることは否定できない

もし今、拓郎モデルと長渕モデルのギター
2本発売したらどうだろう?
答えは、皆想像がつくんじゃないだろうか?
それは前述のファンの年齢層に比例する結果となるだろう
いや、コアな拓郎ファンが、加齢の資金力に物を言わせ勝利する?
ギターの価格が
10万なのか30万なのかで違いは出るだろうが
現実にある国産アーティストモデルの価格帯なら長渕圧勝は確実だろう
嗚呼、ここでも我等が拓郎は、後輩長渕に負けるのか?

< 
CDセールス >

 ボクが会社の帰り立ち寄れるCDショップは1
 少し前から拓郎の
CDは置いていない
 売れないから置かない、置かなければ売れない
 ここでも、セールスを上げようとするスタッフの顔が見えて来ない
 いい曲だからたくさんの人に聴いてもらおうとする熱意が伝わってこない
 金と頭を使って
PRしなきゃ、売れるわけがない
 売れなくなると、拓郎の
CDをレジに持っていくことさえ何だかはずかしくなる
 全て悪循環だ
 拓郎の
CDがあまり売れない方がいい、、、そう言うファンさえいた >_<


売れた方がいいに決まってる、そこそこ売れればいいと思って出す
CDに迫力があるはずがない
「何で売れないんだ! もっと売るにはどうすればいい!」
日々スタッフとアーティストが顔付き合わせ、やりあわなければ、勝てる訳がない


 長渕のアルバムを買ったことはない、聴いた事があるのは3枚だけだ
 デビューアルバム「風は南から」
 「
JEEP
 「アコースティック俺の太陽」
 但し、
90年代以降の曲は何曲か知っている、好きな曲もある
 セールス枚数までは知らないが、例の
CDショップに長渕剛の看板がある
 きっと発売日には、店頭にポスターくらい貼られ
 目立つ場所に何枚かの
CDが飾られるだろう
 まして若い奴が長渕の
CDを 買うのに、カッコ悪いと感じることはあるまい
 
スポンサーを捜すなり、事務所が自腹を切るなりして毎回そんな宣伝を繰り返さなければ
聴いてくれるファンは増えるどころか遠のいていくのはしかたない
そういや、長渕の今年のツアー「
YAMATO」の広告
新聞の
1面カラーでタンクトップに赤ジャージ、格闘家のような体で
テレキャスターを握った広告を見た方も多いのではないだろうか
例え宣伝費が回収できなくても、拓郎陣営にもこのくらいのことやって欲しいものだ

< 音楽性とライヴ動員数 >

拓郎は
197529歳で、つま恋6万人の野外イヴェントをやり遂げた
198539歳の時にも、つま恋で野外ライヴをやった
そして
200560歳で、つま恋野外をやると言う
このイヴェントに行くのは
75年当時熱い思いで出かけた若者達のうち
何割かのオジサン&オバサンだろう
その年代だけが集まる「祭り」になるだろう

長渕は
92年東京ドームで7万5千人弾き語りライヴ
200448歳で、桜島野外を慣行した
きっと桜島に集まったのは
40代のオジサン&オバサンだけではないはず
ある意味、つま恋の二番煎じであるオールナイトではあるが、、、
オジサン&オバサン相手なら、オールナイトの企画はしない
1020代から4050代まで皆が共有して楽しめるイヴェントでなくてはいけない
となりの若者と肩を組んで唄えるようなライヴこそ成功さ
同窓会のように、あの頃はよかったと昔を懐かしむだけなら魅力はない

ボクは拓郎のコンサートに行くと、ちょっとがっかりすることがある
ステージは満足するのだ、新旧織り交ぜた選曲も嬉しい
歌声も迫力があり、ステージング、ギターの弾き方、今も参考にしている
ただ、終ったあと灯りがついて帰る時、そこにいたオジサン&オバサン達
どうしても自分より年上に見えて、何だか美しくなく
自分も同年代なのかと少し悲しくなる、、、つづく ^
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                                            2005.8.10

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