♪ 拓郎を通して見る20世紀音楽シーン T |
フォーク全盛期〜70年代
< 元気です から始まった >
1972年、「元気です」というアルバムが年間売上1位を記録した
そしてボクらは、フォークギターを買ってもらい
日本中の多くの若者達は、学校の教室や、公民館、駅、、、
色んな場所でギターをかき鳴らし、そしてフォークを唄った
たくろうの真似をして、普段の自分の日常、出来事、考え、恋 etc
つまらぬ個人的で些細なことを、何でも唄にしてしまった
そして、それがとてつもなく楽しかった
「元気です」をリアルタイムで聴いた後、時間をさかのぼるように
「ともだち」 「青春の唄」 「人間なんて」 「オンステージ第2集」 を聴いた
世の中、とにかく色んなジャンルの音楽が色んな世代で共存していた
ただその中で、フォークが最先端で、ボクは得意な気分に浸っていた
73年 「伽草子」」「ライヴ’73」
74年 「今はまだ人生を語らず」
76年 「明日に向かって走れ」
次々にアルバムはヒットし、ボクらは髪の毛を伸ばし、ジーンズを履いて高校生になり
アメリカから輸入された、その音楽とファッションに打ちのめされた
いつの時でも、音楽とファッションは一緒に流行を築いてきたんじゃないだろうか
そして幼いボクらは、マスコミに提よく踊らされ
ギターを持ったり、ジーンズを履いたり、髪を伸ばすことが「自由」そう信じ込まされていた、確かにそう信じてた
校則やオトナ、親達の束縛から開放され自由になれる、そして当時一番欲しかったもの、、それこそが自由だった
< 流行歌 >
時代がたくろうを後押ししたのか、彼が時代を引きずったのか
75年には日本で始めてのオールナイト野外コンサート、伝説のつま恋(たくろう&かぐや姫)が開催された
たくろう、いやフォークの絶頂期だったのだろう
北海道室蘭の高校生だったボクは、当時青函連絡船に乗って海を渡り
静岡県まで行くなどということは考えもしなかった
何せ、生まれて10数年、内地(本州のことをこう言ってた)に行ったことはなかったのだ
77年 「大いなる」
78年 「ローリング30」
ここまでは、狂ったようにたくろうばかり聴いていた、いや本当は、かぐや姫の曲も聴いていた
けど、かぐや姫の曲は、オリジナルではなく、友達が歌ったそれだった
基本的に、高く、澄んだ声で、綺麗に唄う唄い方は好きではない
しわがれ声、ダミ声、ガラガラ声系で、叫ぶように唄うのがすきだった
だけど、拓郎節に慣らされた耳と体に、かぐや姫、特に伊勢正三のメロディーとコード進行は新鮮だった
当時のボクの王道コード進行は C Am F G7 C
サビなら迷わず Fへ・・・ 時に悲しみ出したい時は Amへ だった
が、しょうやんは Cの次にDmと来た!でぇ G7 C
サビはFを使わず Dm7 G7 E7 Am7
これにはやられた、初期のたくろうには出てこないコード進行、ちょっとメロゥで、泣かせるライン
明かにおんなの娘ウケするそのメロディーラインをボクは無意識の中、どうしても取り入れざるを得なかった
だって、おんなの娘にモテたかったんだモン!
デビューから「ローリング30」までの時期が
つまり70年代がたくろうの黄金時代だということは、誰も否定しないだろう
そして、この後何かが変わった
ボクも始めて飛行機に乗り
津軽海峡を飛び越え、大学生になっていた、、、つづく
(これが皆の憧れ Gibson J-45 1967年製)
2005.8.6
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