♪ J-45 |
2003年5月17日、、、
生まれて始めてGibson J45ってギターを弾いた
そのギターには特別の思い入れがある
今をさかのぼる事30年前、、、ボクは1枚のレコードで、そのギターの音を聴いた
<あこがれ>
誰しも幼い頃、あこがれたスポーツ選手やミュージシャン
歴史上の偉人や、アイドルがいるはずだ
ボクがギターを弾いたり、歌を創って歌ったりするようになったキッカケは
1970年代初頭、一大フォークブームの真っ只中で先頭を突っ走ってたよしだたくろう その人だった
そして、1枚のアルバム ‘元気です’だった、、。
髪型を真似、着ている物を真似、持っているギターを真似た
けど、そのギターは当時非常に高価だった、アメリカ製のそのギター Gibson J-45
とても中学生がお小遣いを貯めて、買える代物ではなかった
いったい、いくら位するのか、実は調べた事もなかったが
最近、友人Mに聞いたところによると80万くらいだったらしい >_<
多分、当時ちょっとした自動車より高かったであろうそのギター
ギターにはレプリカ、コピーっていうものが存在する
日本のメーカは、マーチンやギブソン、ギルドといった海外メーカと形がそっくりのモデルを作っていた
木の材料や諸々のコストを抑え、見た目にはそれなりの風格をもたせる
普通の素人は、皆日本製のそれらのギターを持っていた
しかも10代だったボクらは、ごく普通にそうした
<捨てられぬ思いで>
Chaki W3でボクは殆どの曲を書いてきた
1番ギターにあこがれてた頃、その時代を毎日一緒に過ごしてきたW3
中2の頃、確か友人Sと二人で、札幌までギターを探しに行ったのだ
J-45とルックスが似ていて、そして音が似ているギター
予算はいくらだったのか?どんなメーカがいいか、そんな知識は多分なかった
かったっぱしから、楽器屋で弾いてみて、決めたに違いない
選ばれたギターが ‘Chaki W3’
確か5万円だったと記憶している、全額親に出してもらったスネッかじりの男…。
1
親にねだって買ってもらったW3
新しいギターがやってくれば、その使命を終える運命
何だか、とっても淋しく、やりきれなかった
2
80年代に入った頃、ボクは拓郎があまり好きじゃぁなく
J-45へのあこがれや関心が薄れていったのも事実だ
ステージでも必需品はエレキだった
3
木で作られたひょうたんのようなギター、そんなに音が違うはずはない
J-45が、本当にあのレコードで聞いたような音がするとは信じられなかった
<価値観>
1989年頃、ボクはシンセや機材を買いあさり音楽を再開した
CDみたいな音、オケを創る為には10万〜20万の機材を10台あまり揃える必要があった
けど、それは、必需品だった、プロに近いレベルの音や録音をするために
迷わず、買うしかなかった、そうしなければ、始まらなかった
数百万したプロの機材と同等の機材が何とか手の届く価格になっていた
けれど、ギターはどうだろう アコースティックギターは、どうだろう
プロと同じもの?贅沢じゃぁないだろうか?
持っているのだ、一応 30年愛用しているし
ステージや人前で弾く予定もないのだ
ただ、家でボロンと弾くだけなのだ
録音してエフェクターかませば、そんなにかわらない?
大体、小さな音でしか聴こえないのだ、音楽の中で
ずぅ...っと一緒に暮らしてきたあのギターは一体どうなる、、、
答えはNOだった
欲しいって思ったことはなかった、あの頃
とてつもない贅沢品だと、勝手に感じてた
数万円のスキーウェアは、毎年買いかえるのに
数万円の板やブーツもよく買うのに
数十万円のアルミホイールは、当然のように買うのに
20万円のクーラーは、必需品だけど
数十万円のアコースティックギター J-45は、、、
ボクみたいな男には、贅沢品だと感じてた
<そして>
何故なんだろう、たった1度も弾いたことがなかったのだ
ホントにあんな音がするのか確かめたいと思わなかった
あまり楽器屋に気軽に置いてなかったのも事実だ、ガラスのケースにしまわれていたり
1985年、プラザ合意によって日本は変動相場制へ移行した
アメリカ製品は70年代の3分の1の値段で手に入るようになった
80万円だったあのJ-45は、26万円になっていた
これなら、サラリーマンでも決して買えない額ではない
そういやJ-45の45ってネーミングは、発売当初$45だったからと聞いた
2003年5月17日
ギタースタンドを買いに行った近所の楽器屋にJ-45があった
偶然、眺めていたら、絶妙のタイミングで若い社員に声をかけられた
「弾いてみますか?」
「あっ、いいんですか? ^_^ じゃぁ、ちょっと弾いてみようかなぁ…」
始めて触るJ-45...やっぱり緊張そして感動
ボクが知ってるJ-45とはピックガードの形が少し違う
ピックアップも内臓されているという最近のJ-45
30年の時間を経て、やっと、不意に触れるこができたJ-45
ピックがなかったので、やさしく指で弾いてみる
ん〜、何か聴いたことがあるような音、、、
何年も弾いた事がない拓郎の曲を、指が勝手に奏で出す、、、
ガラスの言葉、旅の宿、花嫁になる君に、リンゴ etc そして高円寺
これが、あの拓郎や多くのプロが使ってるJ-45かぁ、まぁ年代は違う新品だけど
やっぱり、元気ですで聴いた、あの音に近い音がする
30年前、北海道の6畳間のステレオで、擦り切れるまでレコードで聴いた
230,000円・・・書いてあったっけ
今なら、買えない額じゃぁないよなぁ、、、
<どうすんの>
ザウスが無くなった 2002年9月
毎月2回数年間、年中練習してたから、10,000/月 120,000/年
えっ2年で買えるじゃん ^_^他では、よく金使ってんじゃん
1967年頃のヴィンテージの仕様、音が欲しいんだけど
何だかオンナとギターは、やっぱ新しいのが好き、自分好みに育てたいタイプ
2002年8月10日の2本目 アメリカ、モンタナファクトリーで創られたJ-45
山野楽器発注の限定品’63モデル 聞くと、もう製造中止だという
ピックガードが例のラージで、ピックアップがついていない
なのに、何故か普通のより高い、、、定価300,000
日本に台風が来た日の夕方、御茶ノ水黒澤楽器で2003年5月31日購入 ^_^
物に金をかけるのは止めたのだ
経験や、目に見えないもの、そんなことを大切にしたいって感じる歳になったのだ
けど、買っちゃった ^_^;
凄い音がします、まだ若く、枯れた感じじゃぁなく、前へ前へ、出てくるあの音
普通、J-45の音はマニアの間では「ジャキジャキ」っていう擬音語で言われる
ボクの中では「ジョン!」そんな感じ
果たして数年、数10年後、どんな音に変わって行くのでしょう
ボクが歳をとり、だんだん変わってゆくように、ギターも
目標は元気ですの高円寺
石川鷹彦がたくろうのJ-45で弾いているらしいあの音が、、、
中学生の時から忘れられない
皆さんも物質より経験を大切に、、、つづく ^_^
2003.6.13
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