LONELY INNOVATIONAL FREESTYLE ESSAY 9.....................2002.9.28

<旅の始まり /ばーちーリフォーム計画(U)

実は、子供の頃から、住む街に執拗なこだわりがあった。
小中高と青春時代を過ごした町がキライだった。
灰色の空と、鉛色の海が続く、
寒くて暗くて、少し淋しげな、あの町がキライだった
昭和40年代、、、欲しい服すら売ってない、汽車で2時間の札幌まで行かないと、、、

進路選択は勿論場所が最優先の要素だった、札幌が、憧れの街だった
多分、北海道に住む殆どの人達が、札幌を目指したんじゃぁないだろうか?
地方に生まれた人なら、多分わかってもらえる筈だ

しかし大学進学で、ボクは千葉県市川市にやってきた
北海道大学は、ボクの入学を拒んだ、いや、ボクが勉強を拒んだだけか
北海道を離れることになるなんて、1度も考えたことがなかった
海を渡るのだ、心の中では海外だ、、、
けど、ボクはたった独り、誰も知ってる人がいない異国にきた

喋るのが怖かった
東京の人々の話し方は、始めて上京したボクには驚愕だった
男が女のようだ、男の言葉が女のようだ、やさしい、上品? 都会的? カッコいい
女の話し方、、、かわいい ^_^
地方からやってきた者達が、仲良くやっていくためには
そんな、やさしい言葉が潤滑油なのかも知れない
1200万人が同居していくためには、それが必要なのかもしれない

ボクは半年で東京言葉を覚えた
18年間使ってきて、ずぅっと普通だった言葉は
二度と話したくない醜い言葉に代わってしまった、、、
田舎者って思われるのが、イヤだったんでしょう、多分、。

この頃、帰郷すると東京言葉を使いたかった、故郷の家族や友達の前で、、、
あいつは変わった、そう思われたかったんでしょう、多分、。
けど、ここで言っておく必要があるが
北海道の人々は、自分たちの言葉を標準語と違わないって思ってる
ボクの東京言葉を聞いても、自分の言葉と違うとは感じない ^_^;
だから、結果的にはよかった、ヤな奴になんなくて

こんな東京かぶれのボクだが、就職でとんでもない事になってしまった
選んだ基準は、東京本社で札幌支社があること
20代を東京で暮らし、いずれ30代になったら札幌に住みたい
両親だって永遠の命を、持っているわけではない
そんな人生設計を建てていた、22歳の選択、、。
そして内定を貰っていた、1,000人規模の水道橋のとある中堅企業に

ところが、これが運命なのだろう、田舎の父から、突然電話があった
偶然、同じ名前の別の会社、
あのキライな町に支店があるという
あの逃げ出してきた町に支店があるという
規模が約10倍、そこに替えないかという提案だ
銀行や証券会社が倒産する今と違い、終身雇用制全盛、寄らば大樹の陰
会社の規模さえデカけりゃ安心、ステイタス、そんな時代だった

ボクは一生で一番悩んだ、この歳になった今でもアレが一番悩んだ。
その後、何度も会社を替わったけど、その時は簡単だった
そして出した結論は、父の進める会社を選択する、、、だった。
22歳の選択は、人生設計は、社名のみで0にリセットされた。

決断した理由はひとつ、ワガママばかり言ってたバカ息子の最期の親孝行、、、
しかし結果的には、人生を狂わせる出発点だった、、、つづく

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