八重子島伝説

 

 

ここでの内容は島民話です。

明確な伝承内容はまだ確認していません。

 

因島の大浜は弥生時代から人が住み付き、生活していたとても古い集落である。

 

室町時代の終わり頃、この集落の青年とその両親の3人家族の家に、八重という女性がお嫁に来た。

亭主となった青年も、その両親も、八重が来てくれたことをたいそう喜び、八重をとても可愛がり、また八重が自慢であった。

 

やがて赤子が生まれたが、どういうわけか、その赤子は癇(かん)が強く、乳を飲んでいる時と眠っている時を除けば、いつも甲高い声で泣いていた。

亭主も両親も、替わるがわるあやしていたが、幾日たっても様子は変わらず、赤子のあやし疲れから、最初はおじいさん、次におばあさん、そして最後は亭主も寝込んでしまった。

 

その様子を見かねた集落の人達が、替わるがわるやってきて、畑仕事や食事の用意を手伝ってくれるようになった。

 

しかし病人が寝ているところに泣き止まない赤子を近づけることもできず、家族の食事の用意や着替え以外は、朝晩、八重は集落のはずれの海岸べりを歩いて、赤子をあやしていた。

 

次第に八重の疲れも限度に近づいていた。

 

その晩は、風が強く、海のうねりも高かったが、八重はいつものように赤子が眠るまで海岸べりを歩いた。

 

翌朝は霧が濃い日であった。集落の人が食事の手伝いにやってきたとき、八重の姿が見えず、集落の人は全員が出て、あちこちを捜したが、行方が知れない。

そして昼が過ぎ、夕方近くになったとき霧が晴れ始め、集落の一人が、海岸の沖に島が突如と現れていることを見つけた。

 

「お〜い、島ができとるぞ〜!」「島だ〜!、島ができとる!」

 

それまで何もなかった海に、島が現れた。それは大きな島に、小さな島がおんぶされるようにくっついた島であった。

 

八重と赤子はついに見つからなかった。

 

集落の人が舟で島に渡ってみると、なんと八重が赤子を背負っていた帯が島の松の枝に巻きついていた。

 

それを聞いて、集落の長老が言った。

「これは八重さんと赤子が、島になったんかもしれん。」

 

その後も集落の人は八重と赤子の行方を遠方まで尋ねて回ったりしたが、行方は知れなかった。

 

ある日のこと。

 

「お〜い、たいへんだ〜!」

「ちいさな島が少し離れとるぞ!」

 

それは大潮の日の引き潮の時に、小さな島が大きな島からすこしずつ離れていくのでした。

 

集落の長老が言いました。

「この2つの島は、八重さんと赤子じゃ。」

「このまま引き離しては、八重さんがかわいそうじゃ!」

「みんなで太い縄を編み、2つの島が離れないように、つなぎとめようではないか!」

 

集落の人みんなが賛成し、仕事も休んで、せっせと小さな島をつなぎとめる太く長い縄を何本も作りました。

 

さて、その縄を2つの島にかけようとしたところ、困ったことが分かりました。

 

その縄は太くて長いので、舟に乗せると舟が沈んでしまいます。もっと大きな舟だと島に近づくことは出来ません。

 

「弱った、弱った」

とみんなが沖の島を見ながら、途方にくれていた時のこと。

 

昼も過ぎ、陽が傾き始めた頃、干潮になるにつれ、島から細い道が浮かび上がってきました。

これは何事かと様子を見ていると、最後には海岸べりまで道が達しました。

 

「おお、これは何としたことか。」

「この道を伝って縄を運び、2つの島をつなぎとめてほしいという、八重さんの願いなのだろう。」

 

集落の人が総出で道に並び、縄を順送りに島に運びました。

 

そして大きな島と小さな島を太い縄でつなぎとめることができました。

 

それからは大潮の日が過ぎても、小さな島は大きな島から少し離れて行くことはなくなりました。

 

それからは、大きい方を八重の島、小さい方を子の島と呼び、縄でつなぎとめられた2つの島を、八重子島(やえ ご じま)と呼ぶようになりました。