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本名アンドレ・ヤング。カリフォルニア州コンプトン生まれ。バスケットボールが大好きで憧れのDR.J.(ジュリアス・アーヴィング)という選手に憧れていたことからドクター・ドレーというニックネームが生まれた。母親の持っていたマーヴィン・ゲイ、ジェイムス・ブラウン、P-ファンクなどというソウル/R&B/ファンクのレコードを聴きまくって育った。同じ様な環境で育ってきた仲間達にめぐり合うべくしてめぐり合い、アイス・キューブ、イージーE、イェラ、MCレン、アラビアン・プリンスとともにN.W.A.(ニガーズ・ウィズ・アティチュード)を結成。ドレーはその中でもラッパーにして曲を書きキーボードを弾き、ヴォーカルも取ったという特異の輝きを当時より放っていた。「ファック・ザ・ポリス」という衝撃的な曲をフィーチャーした『ストレイト・アウタ・コンプトン』といったミリオン・セラーを連発、西海岸のいわゆるギャングスタ・ラップを確立した。この頃から他のアーティストを手掛けるなどプロデューサーとしても頭角を表わす。 92年グループ内のいざこざに嫌気をさしたドレーはN.W.A.を脱退、今やそのとんでもない悪行師という正体が知れ渡り獄中の人となったシュグ・ナイトとともにデス・ロウを設立。ソロ・アルバム『ザ・クロニック』を発表。大ヒットを記録。キーボードを多用しメロディックでゆるいグルーヴの彼のサウンドは"G-ファンク"と呼ばれ多くのフォロワーを生んだ。その後プロデューサーとして王道を歩み始め、特にスヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)を世に送り出したという「事件」により彼の地位は確固たるモノとなる。 しかし数々のサントラ、2パック、ナスをはじめミリオンを続出の中、デス・ロウ=シュグ・ナイトとの確執後、離脱という転機が訪れる。そして彼自身のレーベル「アフターマス」を96年に立ち上げ、このレーベルのお披露目的コンピレーション・アルバム『ジ・アフターマス』をリリース。ところが彼の待っていたのはスランプだった。デス・ロウとの混乱期に袂を別れてしまったスヌープ以後、「これ!」といったご新人を発掘出来ないでいたのである。 そして99年2月再び「大事件」が起こる。エミネムである。彼のデビュー・アルバム『スリム・シェイディ』は強力かつ緻密に計算されたドレーのコンセプトとともに見事ビルボード誌アルバム・チャート初登場2位!を飾る。エミネム演じるスリム・シェイディという強力なキャラを生かしきったプロモーション・ヴィデオ(ドクター・ドレーも出演)また衝撃的な歌詞はアメリカだけでなくヨーロッパにも及びもはや現象ともなった。完全なドクター・ドレーの復活となったワケである。