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交響曲第9番ニ短調「合唱付」 作品125


概要

有名になりすぎたがゆえの不運

 第9と聞いて,「ああ,あの曲か」とすぐに納得してしまわないでいただきたい。大体,この曲が「ニ短調」の交響曲だと聞いて驚く人も少なくはないのではないだろうか。
 この曲の正式な題名は「シラーの詩『歓喜頌歌』による終末合唱付交響曲」というものであるが,有名な「歓喜頌歌」演奏されるのは,70分にも渡るこの曲のほんの一部(最後の20分)である。それまでの曲は「歓喜頌歌」が現れるための導入部に過ぎないと考えるようでは,あまりに悲しかろう。

 実はベートーヴェンは,この曲の初演直後にも「第4楽章を楽器のみのものに取り替え,合唱付のものは次に回そう」と語ったと言われている。色々と含みが感じられる言葉であるが,ベートーヴェン自身もこの曲の構成が失敗だったと考えているのではないだろうかとも解釈できる。
 実際この曲は,奇抜な第4楽章の影に隠れて,前半の3楽章が目立たなくなってしまっているが,特に第1楽章や第2楽章は,古典的な交響曲として比類ないほどに高い完成度を持っている。
 ところが,第4楽章では,移行部分こそ用意してあるものの,歌曲的・ロマン的な内容に一変してしまう。これがコントラストというよりは,著しく不釣り合いなのである。
 この不釣り合いさがロマン的なのだといえばそうかもしれないが,ベートーヴェンにもう一度この曲をいじるだけの時間があったら,純粋な器楽の交響曲とオーケストラと合唱による壮大なロマン的交響曲の二つに作り替えていたのではないかという気もするのである。

歌詞について

 歓喜頌歌自体は,シラーの詩の全27編の中からベートーヴェンが9編を選んだものであり,さらに最初のバリトンの独唱の部分は,ベートーヴェンの作詞による物である。つまり,シラーの詩の全体に対して作曲している訳ではないのである。
 もっとも,この詩の本当の意味を知らない人も多いのではないだろうか。詩の和訳はCDなどの解説に書いてある事が多いので,ここでは省略しておく。本当は掲載したいのであるが,私はドイツ語が分からないので,それらの翻訳をここに丸写しする訳にも行かないからである。但し,よく国内で歌われる「晴れたる青空〜」という歌詞は,あくまで日本人が後から作詞した歌詞であり,シラーの詩とは全く意味が異なっているのに注意してほしい。

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