2003年9月17日平壌放送が日本が植民地支配の過去清算を回避したまま「本質上はすべて解決した拉致問題や、日朝間では解決し得ない核問題を持ち出し、宣言履行に障害をつくっている」と非難。
「拉致問題が全て解決した」などという妄言は放置するとして「日本が植民地支配の過去清算を回避」という発言は植民地支配の精算とは何かを知らない愚か者であることを自ら証明していることになる。
朝鮮は植民地支配=悪または犯罪という前提で、植民地支配の精算=「日本による謝罪と賠償」と考えているのだろうが、それは違う。まず植民地支配は日韓
併合時悪でも犯罪でもなかった。だから日本を除いて植民地に謝罪した宗主国などどこにも存在しない。次に精算を言うなら南にしろ北にしろ日本から接収した
資産を日本に返還すべきだが、返還するどころか強奪している。
南、北、在日にかかわらず「日韓併合は不法」という主張では一致している。彼らの主張は簡単に言うと、第一次世界大戦
以降、国際法上「強制により締結されたいかなる条約・協定も無効」とされており、日韓併合条約は日本の脅迫により締結されたものだから無効である、という
ものだ。
しかし、日韓併合は1910年のことであり、彼らの主張の根拠を裏返せば、仮に日本による強制があったとしても、その当時は無効ではなかったことになる。
実際、最近韓国政府が財政的に支援し韓国の学者が主導して準備した国際学術会議が北米ハーバード大で日米英独韓の学者が参加して開催されたが、
イギリスの学者などが合法論を強く主張し、韓国以外の学者たちも韓国側に与しなかったので、国際社会において日韓併合の不法であることを確定させようとし
た韓国の目論見は失敗している。
また、当時双方の政府はもちろん、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカは日韓併合を支持し、旧宗主国清、ロシアですら抗議声明ひとつ出さなかったことを追記しておく。
南朝鮮の歴史教科書には朝鮮人により編成された「光復軍」なるものが重慶で国民政府とともに日本と戦ったが故に朝鮮は戦勝国であると書かれているが本当にそうか?
まず朝鮮は連合国に加えられていないし、朝鮮人は連合国民としても扱われていない。
次に1943年のカイロ会談において蒋介石は「高麗」の返還を要求している。このことは中華民国が朝鮮をそもそも独立国とすら見なしていなかっ
たことを意味する。一方の共産党側も朝鮮戦争を内戦として捉えていることから国民政府と何ら変らない。寧ろ朝鮮が中国の一部であるならば、朝鮮には戦勝国
としての権利が与えられるが、朝鮮はそのようなことを主張していない。
更に「光復軍」なる小集団が日本軍と戦った(と南朝鮮は主張している)ことを根拠に戦勝国と主張するなら、インド国民軍が日本軍とともに戦ったことを以ってインドは戦敗国になる筈であるが、事実は寧ろ戦勝国としての位置を与えられている。
以上のことから朝鮮が戦勝国ではないことは明らかである。
「ウリナラは半万年の歴史を持つ!」が朝鮮人の口癖だが、本当にそうなのか?
13世紀に高麗の僧一然により著された「三国遺事」に「魏書云。乃往二千載有壇君王儉。立都阿斯達(經云無葉山。亦云白岳。在白州地。或云在開
城東。今白岳宮是)開國號朝鮮(後略)」という記述があり、これを根拠として紀元前2,333年10月3日に檀君王検なる者(王という名字はどう見ても漢
名である。朝鮮人はこのことに疑問を抱かないのであろうか?)によって「古」朝鮮が建国されたと主張しているわけだが、「三国遺事」で根拠とされる「魏
書」(三国志)にそのような記述はなく、「三国遺事」以前にそのような記述は存在しないし、これ以外にも根拠は存在しない。
では、次の箕氏朝鮮はどうか?これは史記に記載されていることが根拠となっているが、殷末周初の時代自体が歴史事実かどうか疑問であり、やはり神話であろう。仮に事実であったとすると箕氏朝鮮の建国者箕子は殷の最後の王の叔父だから漢人の建設した国家ということになる。
次の衛氏朝鮮は漢の初代皇帝劉邦の死後すぐに呂后の粛清を恐れた燕王が匈奴へ亡命した際、混乱を避けるため燕人衛満という人が朝鮮に逃れ、箕氏朝鮮最後の王箕準を追放して建設した国で実在といえる。これも当然漢人国家である。
衛氏朝鮮は漢の武帝により滅ぼされ、その故地には楽浪郡以下四郡が設置されることとなり、しばらく漢による直接統治が続くことになる。
上述の如く朝鮮の歴史は衛氏朝鮮(せいぜい箕準まで)までしか遡れず、しかもその支配者は漢人であったというのが歴史的事実である。ちなみに朝鮮人による朝鮮史は新羅以降の話である。
最近対馬の領有権を主張する南鮮の団体が出現している。その根拠はといえば、対馬の領主であった宗氏が朝鮮から官職と印綬を受けていたというもの。
これを以って対馬が朝鮮領とすると、朝鮮は中国領ということになるが、ここでも「自分に都合の良いことしか見ない」朝鮮人の本領を発揮するのはもちろん、後述の如く更に妄想をたくましくしている。
朝鮮人の「歴史捏造」は上述に留まらない。朝鮮人は満州(中国東北三省)をも朝鮮固有の領土と主張している。
その根拠は2つあり、1つは高句麗が南満州を領有していたからというものであるが、元々高句麗のあった地域は漢の領土(遼東郡、楽浪郡等)で
あったから、朝鮮人の満州領有主張の根拠はその時点で崩壊している。ただ、それだけではあっさりし過ぎているので、ここは一つ朝鮮人の論法をそのまま使用
して彼らの主張を否定してみよう。
高句麗の王は唐より「上柱国遼東郡王高句麗王」に任ぜられ、その印綬を与えられていたのであるから、対馬を朝鮮固有の領土とする根拠を高句麗
に適用すると高句麗はまぎれもなく中国固有の領土となる。ちなみに「上柱国」とは勲官(日本の勲位に相当)の最上位、「郡王」の「郡」とは秦始皇以来直轄
地に付けられる名称で、「郡王」とは漢土(唐の本土)の「国王」の下位の爵位であり、唐は明らかに高句麗を唐の内地の延長と見なしている(それ以前に高句
麗が朝鮮に含まれるのかという問題があるが、ここでは触れないこととする。)。
更に対馬を朝鮮固有の領土とする根拠を朝鮮半島に適用するとどうなるか?
朝鮮半島(百歩譲って北朝鮮)は中国固有の領土となる。その根拠は@新羅〜李氏朝鮮に至るまで歴代中華帝国から王位と印綬を受け臣礼をとってい
た。朝鮮人の論法をそのまま適用すれば、これだけで十分であるが、他の根拠も挙げておこう。A箕氏朝鮮、衛氏朝鮮とも漢人が朝鮮半島北部(南部も?)に建
設した国家であり、箕氏朝鮮は戦国時代燕に属し、衛氏朝鮮は漢の遼東郡に属していた。(檀君朝鮮なる朝鮮人の妄想の産物は放置する。)B漢の武帝は衛氏朝
鮮を滅ぼした後その故地に楽浪郡以下四郡を設置し、太守以下の官吏を派遣した。前述の通り郡は直轄地であり、衛氏朝鮮の故地は漢の内地となった。
以上の理由から朝鮮半島は中国固有の領土である。
もう1つは長白山定界碑の「土門江」を豆満江ではなく松花江とすることにより満州の一部の領有権を主張するものであるが、1711年の康熙帝の
上流踏査指示文に「土門江は長白山の東から流れ出て東南へ流れて海に入って行く。土門江の西南は朝鮮の領域に属し、川の東北は中国の領域に属する。」と書
かれていることから「土門江」が豆満江を差したものであることは明らかである。
このような朝鮮人の妄言に付き合うまでもなく、そもそも女真が統一勢力ではなかった明の頃、李氏朝鮮は鴨緑江や豆満江の朝鮮側の占拠に躍起に
なっていたものの、それすらも上手くいかないどころかむしろ女真、ウリャンハ等の反撃によって地域一帯から退去するか、何とか若干の拠点を占拠している状
況であった。
この状況は清が漢土に進出するまで続くが、満州族の漢土進出により人口の著しく減少した満州へ朝鮮人が侵入して略奪暴行放火殺人を繰り返して
治安が悪化したため、朝鮮人の侵入を防ぐことを目的として長白山定界碑が設置されたわけである。以後、清、李氏朝鮮ともに朝鮮人の清への侵入を取り締まっ
て清後期に至る。
現在の吉林省の延辺朝鮮族自治州なる地域に朝鮮人が大量に住み着いたのは、李氏朝鮮で大飢饉が発生した清後期の1869年以降のことで、これ
はもちろん愚劣な朝鮮人のお家芸不法侵入、不法占拠である。これに対し清が朝鮮人侵入者の退去を要求したのは当然のことであるが、呆れたことに李氏朝鮮は
恥知らずにも「土門江」=松花江などという戯言を「根拠」にこの地域の「領有権」を主張し、官吏を派遣するとともに、朝鮮人を保護すると称して「自衛団」
を組織し、清の行政権の行使を妨害して清人を殺害し、暴動を起こしたため、清軍の討伐を受けて李氏朝鮮の官吏は逃亡している。
以上のことから「土門江」は豆満江、吉林省一帯の朝鮮人は不法侵入者であり、朝鮮(特に南朝鮮)のこの地域の領有権主張は一顧だに値しない妄言である。
「朝鮮は過去1度も侵略したことがない。」と朝鮮人が良く主張しているが、これも朝鮮人お得意の全くの歪曲・捏造である。
確かに朝鮮史において他国を侵略した事例は中国史と比較すれば少ない。しかしそれは朝鮮人が平和主義者だったからというより、周辺諸国・諸民族のほうが強力で侵略することができなかったからというのが原因であろう。
そのような弱小朝鮮ではあるが、高麗軍が2度に亘り元軍の先鋒として日本に侵攻してきたことは日本人なら誰でも知っている事実であり、これだけ
でも上述の主張が嘘であることは明らかである。また最近ではベトナムに侵攻(ベトナム戦争)して略奪、暴行、放火、殺人の限りを尽くしている。
朝鮮による侵略の事例は他にも多くあるが、朝鮮人が「朝鮮は過去1度も侵略したことがない」などという妄言を吐くならば、元寇とベトナム戦争の2つを挙げてやれば良い。
また朝鮮人(含在日)が「日本が沖縄やアイヌを侵略し、現在も占領している。」と主張することがあるが、これに対しては朝鮮が耽羅を侵略・占領していると応酬してやればよい。
朝鮮の歴史は朝鮮人の主張する「独立」と「自主」の歴史などではなく、服属と窃盗の歴史である。独立と自主は同じように中国と国境を接し且つ半島国でもあるベトナムにこそ相応しい。
ベトナム
・南漢、宋を続けて破って独立。
・モンゴル軍の3度に亘る侵攻を全て撃退。
・明の侵攻により直轄領とされるが、約20年に及ぶ抵抗戦争の末明軍を撃退して独立を回復。
・清の侵攻により一時国都を占領されるものの、まもなく逆襲して清軍を撃退。
・第二次大戦後、フランス軍を破って独立を回復。
・ベトナム戦争でアメリカ軍を撃退。
・カンボジア救国民族統一戦線とともにカンボジアに進攻し、中国の支援を受けて暴政の限りを尽くすクメール・ルージュを打倒。
・中越戦争で中国軍に大損害を与えて撃退。
朝鮮
・唐の命令により渤海に侵攻して大敗。
・モンゴル軍に連戦連敗して服属。
・モンゴル軍に従って日本に侵攻し、対馬、壱岐、松浦、博多等で暴虐の限りを尽くす。
・明軍に従い後金(女真)に侵攻して大敗。
・清軍に2度に亘って大敗して服属。
・事大先を求めて右往左往しているうちに日本により併合される。
・日本の降伏により独立したものの内紛により南北に分裂して現在に至り、更に南は日本の混乱に乗じて公海上に「李承晩ライン」を引いて日本漁船を抑留し、竹島を占拠。
・アメリカの経済援助と引き換えにベトナムに侵攻し、略奪暴行放火殺人の限りを尽くす。
北朝鮮の内閣機関紙「民主朝鮮」が平壌を流れる大同江流域に5,000年前、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の世界四大文明に匹敵する古代文明が栄えたことが立証された、と主張している。
歴史を歪曲したり捏造したりするのは南北在日に限らず朝鮮人の民族性そのものといってもいいものであり、別に驚かないが、ここまで来れば最早妄
想狂と呼ぶしかあるまい。なぜなら彼ら朝鮮人にとってはこういう犬が聞いても笑うような愚劣極まりない妄想が肥大化した結果、彼らの中では「真実」になる
のだから。
「こんな状況がまだ地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒が
いっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという点だ。」(アーソン・グレブスト著『悲劇の朝
鮮』より)
「カトリック教徒として殺人を犯した安重根の行為は如何なる理由を以っても許すことができない。伊藤博文はこれまで朝鮮のために多くの業績を残し
たにもかかわらず、朝鮮人は彼を恩人と考えず、ただ単に侵略の元凶としか考えない間違いを犯している。朝鮮人たちが伊藤の死に歓呼するのはおぞましいこと
である。」(1910年、安重根の最後の告解を拒否したミューテル司教の日記より)
「朝鮮人は、自己の知的水準を引き上げ、精神世界を拡大しようとする努力があわれにもないのに、社会的地位を高めようとする激しい欲望だけはある。」(ホーマー・ハルバート著『朝鮮亡滅』より)
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。」(アルフレッド・スムラー著『日本は誤解されている』日本教文社より)
「現代の朝鮮人の目には、日本植民地時代の悪い面が、伝統と孤立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、その反面、南北朝
鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったと言える。日本は、約40年ほどの間に厳しいやりか
たで、自然の驚異にさらされ大きな工学設備をもたない貧しかったこの農業国家を、科学的な農業とさまざまな工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれ
た国へと変身させた。」(ジャーク・プズー・マサビュオー著『新朝鮮事情』白水社より)
「アンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」」(http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.htmlより)
「最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。
ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。
前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。
・・・
香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。このとき民家に乱入
して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼
らに抱いた。」(謝永光著「日本軍は香港で何をしたか」社会評論社より)
「心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落とした日本人に見えたのだろう。
また日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、8月15日をもって急に威張りはじめた連中の嫌がらせを受けた。
座席の中に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪い返そうとすると、「なんだお前、朝鮮人をバカにするな!降りて来い!」と、たちまち数人
に取り囲まれてしまった。多勢に無勢、勝ち目はない。こうなっては「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの30時間、連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。ただ黙って見ているしかなかったのである。
・・・
佐世保キャンプで私は面白い場面にも遭遇した。
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人たちが、「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。
それは 中華民国が連合軍の一員であったからに他ならない。
弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。」(蔡焜燦著『台湾人と日本精神』より)
「韓国人が主に住んでいるメキシコシティのフアレス区域は、50年ほど前までは様々な国からの移民が仲良く共存する地域だったが、韓国人が移住し
てから、隣人同士の情が薄れた代わり、不満がいっぱいの状態だ。現地の法を破った韓国人が、メキシコ人と多くのいざこざを起こしている。」(メキシコ日刊
紙『レフォルマ』より)
「中国は我々と違う。・・・朝鮮も同様である。植民地宗主国の日本が供給したものであったが、とにかく工業基盤があったのだ。」(クメール・ルージュ『全ての分野で社会主義建設を達成する党4ヵ年計画』より)
「弱者に残虐性を発揮する民族性のゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。敗戦後、個人的怨みで戦犯に問われ、死刑その他
重刑を受けた例が少なくない。白人こそ、報復と復讐の大家だったのだから。」(古野直也著『朝鮮軍司令部1904〜1945』国書刊行会より)
「韓国・朝鮮語で、「東海」とは、日本語の「日本海」のことなのだということも知った。というのも、ここ15年ほど環日本海経済圏構想絡みのシン
ポジウムやセミナーが開催されるたびに会議の名称で一悶着あるからだ。いずれも、裏日本、ロシア極東&東シベリア地域、中国東北部、それに韓国と北朝鮮と
いう日本海沿岸の地域や国からの代表が参加する会議で、名称に冠せられる「環日本海」という言葉に、韓国や北朝鮮の代表が、必ず噛みつく。
「環日本海はおかしい! 環東海とすべきだ!」
すると、中国代表が、反論する。
「東海と字句通り訳すと、中国人は東シナ海のことだと思い込むから、紛らわしい。日本語で『日本海』と言われたものを、韓国・朝鮮語に訳すときに『東海』とすれば事足りるでしょう」
ロシア代表も黙ってはいない。
「・・・英語でもSEA OF JAPAN、字句通り『日本海』なんです。この会議については、州や国からも財政支出を受けてますから、大多数の人に理解不可能な『東海』なんて名称では
困ります。それぞれの国が、自国の言葉でこの海の名前を呼べばいいじゃないですか。」(月刊『マガジンアルク』より)
「「われわれ韓国は絶対日本に二十年は遅れている。見ればわかるよ。韓国が日本を追い越すだって!永遠にそんなことはありえないと思うよ。」
日本の地に渡ってきて暮らしたり、しばらく滞在したさまざまな階層の韓国人が日本体験談を思いのままに語った真実の言葉だ。わたしの体験では彼ら
の言葉はほとんど事実に符合し、もっとも、客観的に公正に日本を評価しているといえる。わたしが一般の韓国人の言葉をここに引用したのは、それがあまりに
真実を映したものだからだ。
ところがただ一つ「日本に二十年遅れている」というが、わたしの考えでは約百五十年くらい遅れているとみるのが正解だ。それは経済、技術よりも素質と道徳水準のレベルを指している。」(金文学、金明学著『韓国民に告ぐ!』より)
「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦(インドネシアに居た日本兵は約2万人だった)がいたというのか。どうしてインドネシ
アのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金をく
れ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。(「インドネシア・タイムス」会長ジャマル・アリ氏の発言)
「「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。
「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」
ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を虐殺したクアンガイ省ソンミ村がある。
それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。
地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。
だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。
それから「67年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。
「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。
アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。
韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。」(『News Week 日本版』2000年4月12日号より)
「金正日にメッセージがある。自分の側の約束を実行せよ。会おうと言った以上会え。なぜ彼は話し合おうとしないのか。合意の実行すら拒否するこの男はいったい何なのか?」(2001年10月16日、ブッシュ米大統領の発言)
「ロス市民が感じたように韓国人は、世界は自分のために回っていると信じている人達だ。扱いにくい人達だ、ということを日本人も知るべきだ。」(『週刊新潮』2004年7月1日号より)
「北朝鮮に褒められたらおしまいだ。」(2004年11月30日、北朝鮮の労働党機関紙「労働新聞」の安倍幹事長代理への誹謗中傷記事に対する安倍氏の発言)
「韓国男性と結婚すれば、より豊かな生活ができるという誘惑に落ち、韓国に来たフィリピン女性たちが結局風俗店やクラブに引き渡され、悲惨な境遇に置かれたケースを時々見た。」(2005年1月24日付駐南鮮フィリピン大使館公文より)
「子供は親の注意を引くために暴れたりするが、それをいちいちあやしてやってはいけない。そういう行動は静かに無視することが一番大事だ。」(2005年2月12日付『東京新聞』より自民党安倍幹事長代理の発言)
「北朝鮮の高慢ちきなやり方には、本当に失望した。」(2005年2月21日、北朝鮮の核兵器保有宣言に対する中国人某の発言)
「包丁は食べ物を料理するものであって、子供や狂人に持たせてはならない。同様に、北朝鮮に核兵器を保有させてはいけない。」(同上)
「英国のBBC放送が23か国の計2万人余に尋ねた世論調査では、日本の常任理事国入りについて21か国で支持が反対を上回った。・・・アナン氏
が漏らした日本恋慕の情は、国連の機能強化を願う諸外国のあいだで共有されつつある。反対多数の2か国が、ゆがんで映る色眼鏡を愛用し、日本憎しの教育に
余念がない隣人ふたりというのも分かりやすい。ひとの恋路を邪魔する野暮なお方はいつの世にもいる。」(2005年3月23日付『読売新聞』編集手帳よ
り)
「米議会で米日修交150周年記念決議案は圧倒的多数で可決されたが、米韓同盟50周年の決議案は推進する議員が存在せず廃棄された。」(アメリカ下院外交委員長補佐官の発言)
「主審への行為に失望した。あれはスポーツではない。」(2005年3月31日付『日刊スポーツ』よりサッカーW杯2次予選北朝鮮−イラン戦でにおいて朝鮮人群集が暴徒化したことに対するイラン代表イバンコビッチ監督の発言)
「韓国は、ポーランドが20世紀初頭に、地域勢力としての自国の国力と役割を過大設定していたことを思い出す必要がある。・・・19世紀の朝鮮
が、自らの力で難局を切り抜けずに外部勢力との連携を図るという戦略上のミスを犯したことも見つめ直してほしい。」(2005年4月15日付『朝鮮日報』
より米国務省高官の発言)
「同大統領(盧武鉉)はドイツ訪問で、ナチスドイツと日本を同じ次元で批判しようとの意図もあったようだ。しかし、独ユダヤ人中央協議会などは、
「ナチスドイツは人類史上比類の無い悪質・非道極まるもので、他との比較・相対化など絶対に許されない」と突っぱねた。」(『週刊文春』2005年4月
28日号より)
「危険な人物だ。彼は国民を飢えさせ、巨大な強制収容所を持っている。加えて、核兵器保有についての懸念がある。北朝鮮が核兵器の運搬手段を補修しているかどうかは不明ながら、金正日のような圧政者と対峙する場合には、保有しているものと覚悟してかかったほうがいいだろう。」(2005年4月28日、ブッシュ米大統領の発言)
「ニクソン元大統領と周恩来元首相は韓国民族が多分に感情的で、強大国の指導を受けなければならないということで見解を共にした。」(2005年5月8日付『朝鮮日報』より)
「私が宿泊していたホテルには韓国のサポーターも多数宿泊していたので、一触即発の場面が何度かありました。彼らは韓国戦に勝って喜ぶ日本人を怒
鳴りつけてきたり、廊下ですれ違う時に肩をぶつけて挑発してきました。挙句の果てには日本人の女性サポーターを韓国のサポーターが部屋に連れ去ってしまっ
たのです。これには、さすがに日本のサポーターたちも事態の重大さに気付き、何人かで拉致された女性を助けに行きました。彼らは拉致に対する罪悪感がまる
でないようで、本当に恐ろしく、そして怒りを感じました。」(http://www.nikkansports.com/ns/soccer/wcup/2006/qualify/column/afc_final_column_b.htmlより)
「世界的に見ると、韓国人が世界に影響を与えたというのは、長い歴史の中でなかったといっていいでしょう。韓国が人類にどんな貢献をしたかといえば、中国の属国であったことくらいしかない。韓国の有史以来、韓国人で世界に影響を与えた人というのはいません。ジンギスカンみたいに、ユーラシア大陸を征服したりとか、何かを発明したとかいう事例がひとつもない。」(黄文雄「日韓併合が韓国を救った」『WiLL』2005年6月号より)
「他人の玄関先で自分の好きな音楽を鳴らすようなもの。人さらいというか、拉致をする国の常識と日本の常識は違うのかもしれないが、日本の常識に従うべき
だ。」(2005年5月25日付『毎日新聞』より北朝鮮貨客船万景峰号が新潟西港に入港時に大音量の音楽を流すことに対する新潟県知事泉田裕彦の発言)
「北朝鮮は核開発も人権抑圧も行っており、フセイン体制やポル・ポト政権よりひどい。」(2005年6月2日付『YAHOO
News』よりアムネスティ・インターナショナル事務総長アイリーン・カーンの発言)
「韓国人は日帝36年の間、日本国民の血税におんぶにだっこだったばかりでなく、生存権を守る国防費さえほとんど一銭も払わなかった。
そのうえ、日本の敗戦につけ込んで、日本が資本投下した施設や日本人資産を食い逃げしてしまった。さらには、逆に日本に謝罪と反省を求め、ゆすりたかりを
繰り返してきた。」(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』WACより)
「日帝36年が韓国から奪ったものは何もなかった。統監時代を入れた40年間にわたる半島経営の間に投入した資本、技術、人力は、韓国の民力をはるかに超え、韓国人が自力では絶対に不可能であった近代化建設をもたらしたと、ここで断言したい。」(黄文雄著前掲書より)
「韓国人が中国人以上に好きな言葉は「世界一」だ。なんでも世界一なら満足するのだ。・・・かつては大中華を敬っていたが、最近は自らが世界の中心であると考えているようだ。そのうち韓国は「中国」と国名を改めるかもしれない。・・・
その一方で、都合の悪いことはすべて他人のせいにする。韓国人学者が繰り返す日帝の植民地批判や従軍慰安婦批判は、自国史や世界史の無知にほかならない。・・・
韓国人には現実を見つめる目があるとは思えない。檀君のような神話上の人物をまつりあげて半万年の歴史文化を吹聴し、世界で一番優れた民族だと自己陶酔しながら、唯我独尊にのぼせあがっているからだ。これは単に劣等感の裏返しにすぎないということさえ自覚がない。」(黄文雄著前掲書より)
「韓国人の中には自分が一番偉いとし、中国人は貧しいからと蔑視する人がいます。私の接した人は主に女性でしたが、いつも『中国製の品物は質が悪い。中国人家政婦は仕事もできず、怠っている』と不満を言います。」(2005年6月30日付『朝鮮日報』より中国人某の発言)
「韓国が絡んだ試合だと、なぜか日本へのジャッジがおかしくなる。FIFAの副会長(鄭夢準)として、どれだけ力があるかは知らないが、これは大きな問題だ。」(2005年8月4日付『ZAKZAK』よりサッカー日本代表監督ジーコの発言)
「『マスコミがひどい本だから報道しろ』という理由だけで真偽を確認せず反発していたとしたら、日本とは国民水準が違うとしか言えず、愚かでかわいそうな
民族だとしか思えない。・・・韓国の意味不明な歴史的主張や捏造、日本文化の窃盗というこっけいな行為などがなかったら、こんなにまで歴史に興味を持たな
かっただろう。・・・そういう意味では韓国に感謝している。」(2005年8月19日付『中央日報』より『嫌韓流』著者山野車輪の発言)
「鍼灸は明らかに中国人が発明したにもかかわらず、『大長今』では韓国人が発明したとしている。」(2005年10月5日付『朝鮮日報』より中国人俳優張國立の発言)
「韓国の現執権勢力は、金正日がクレイジーであり、非常に不安な人物であることを全く認めず、北朝鮮政権を支持している。」(2005年10月30日付『中央日報』より元駐南朝鮮北米大使スティーブン・ボズワースの発言)
「イチロー外野手(マリナーズ)が、野球人の誇りを懸けた戦いに完勝した。試合前の練習で告げられた初の3番で3安打、2盗塁、1打点。そして、
これまでの2度の苦い思いを晴らすような6−0の勝利。しかし自らも含め、日本の選手が感情をあらわにして、韓国ベンチに向けてガッツポーズをすることは
一度もなかった。
「当然でしょう。野球はケンカではない。そんな気持ちでした」。しかし、今大会における韓国選手たちの振る舞いには闘志をかき立てられていた。
例えば2次リーグで日本に勝利した後、太極旗をマウンドに突き立てた者がいた。この日、5打席目の邪飛を捕球した三塁手は、そのボールを打者のイチローに向かって投げつけた。それ以外にも敬意を欠く行為が連続。大好きな野球が冒とくされた、と強く感じていた。
本当の強さやプライドは、プレーそのもので表現すべき。少なくとも、イチローの固い信条は日本野球で培われたものだ。「勝つべきチームが勝たなく
てはいけない。そのチームは当然、僕らだと思っていた。きょう負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」。」(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/headlines/20060319-00000063-kyodo_sp-spo.htmlより)
「北朝鮮は、ソビエトにとって常に頭痛の種でした。
彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためならどんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。
私は時折思います。
このような人々と、全く関わりを持たないほうがいいと。不用意に関わると、こちらが病気になり、傷付くことになるのです。」 (元ソ連邦共産党中央委員ワジム・トカチェンコの発言)
波浪島とは南朝鮮がアメリカにサンフランシスコ講和条約において竹島、対馬と並んで南朝鮮に領有権があるものとして明記するよう要求した島である。
ところでこの島はどこにあるのか?
どこにも存在しない。南朝鮮は済州島の南西にあると主張して捜索隊まで派遣したが、ついに発見することができなかった。つまりは朝鮮人のお家芸たる妄想の中にのみ存在したということである。