従軍慰安婦

1:日本へ来て売春で稼ぐ韓国女がいかに多いことか。


http://kankokuderi.area-seek.com/

>金目当てに「強制連行された」と騒ぐ元慰安婦婆。
は、金目当てが検証出来るもの有りの話しとんの?

ほれ!、読んでミロや。

http://resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm#3

金学順(キムハンスク)

1)1991年8月14日の記者会見での最初の証言

「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。
三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、
華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」

引用元)「ハンギョレ新聞」91年8月15日付

「初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた」
金儲けだろ!

文玉珠

>ミャンマー(旧ビルマ)で預けた軍事貯金の支払いを求めていた韓国・大邸市在住の文(ムン)玉珠(オクス)さん(68 歳)が下関郵便局を訪れ、預けた貯金の原簿があったことが分かった
>当時「日本人として貯金した個人のお金だから直ちに返して」と訴えている。(中略)
原簿によると43 年6 月から45 年9 月まで12 回の貯金の記録があり、残高は26,145 円となっている。

金儲けだな。

李容洙
>三重で行われた講演会でのプロフィール

>1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。

>1944年から3年間という事は、日本が敗れ、日本軍が解体した1945年以降も、慰安婦をやっていた事になる。

金儲けだな。


慰安婦は超高給売春婦



「慰安婦を募集!月給300円以上!3000円まで借金が可能!」と書いてあります



 アメリカ下院で、慰安婦問題に関して日本非難決議案採択が取り沙汰され、現在、駆け引きのヤマ場に来ている。

 以下は、バ工大銃乱射トピで私が投稿した内容を一部含むが、反響が大きかったので、また、本トピにも関連するので、あえて本トピでも問いかける。

 すなわち、アメリカでは決議案の採択に向けて、敵側も必死に議員にロビー活動を展開している。
しかし、何も知らないアメリカ人は、ロビイストの言いなりになり、
何十万人もの韓国女性が強制連行され、酷い扱いを受けたと聞かされている。それ自身、とんでもない捏造だが、議員の方も単純で、
慰安婦に報酬が支払われていた事実も知らない議員が沢山いる。

 例えば、慰安婦には、現在の金額に換算して、月給133万円、前借可能金として1330万円で募集が行なわれ、
中には4000−5000万円の貯金をした慰安婦もいたという。
その資料として、以下の韓国政府機関提供の資料があり、また、「慰安婦」で検索すれば明らかである。

http://photo.jijisama.org/ianfu.html

 当時は日韓とも公娼(売春)制度があったが、その延長だったのである。
それも破格の待遇で、厚くもてなされていた事実も報告されている

 どこの国の軍隊も他の国に侵攻や進駐すると、必ず婦女暴行事件が起こる。
日本に進駐した米軍も、パイパン(日本人売春婦)がいたにも係わらず、2万件以上のレイプ事件が報告されている。
そのような事態を防ぐため、日本軍が売春婦を高給で(間接)募集したのは、おおっぴらには云えないが賢明だったのだ。
 
 本トピの投稿者やモニターの方々は、これらのことを、ある程度、承知であろう。
それにしても、これらは大変貴重な資料も、マスコミなどは何故、堂々と公表しないのか?
日本政府もこのような資料を持って、対抗しようとしているのか?

 マスコミが慰安婦問題に否定的な報道をすると、韓国政府や韓国世論のみならず、
民団、朝鮮総連、社民党・左翼その他から、電話、ファックス、メールで集団抗議を受け、
それ故にこの問題を避けている。この問題に関しては、日本政府(安部首相)は世論の後押しが少なく、孤軍奮闘で闘っている。 

 しかし、アメリカ(及び世界)では、反論しないで謝っていると、その通りに認定されて、
日本の正義と尊厳が踏みにじられるだけでなく、賠償金を請求されたり、
歴史教科書に掲載されたり(既にそうなっているが)、果ては図に乗って
天皇陛下の謝罪を要求するなど、様々な害を延々と及ぼす。

 後手後手に回っていてはダメだ。今の内に堂々と反論・撃退しなければならない。
それが我々、先祖の名誉回復と供養になり、後孫に誇りと自信を待たせてやることができる。

 日本の若者は日本に誇りが持てず、それゆえ、向上心が阻害されている。
それは日本の国力低下につながり、韓国、中国、北朝鮮の謀略に合致するが、それが彼らのねらいだ。

 今を変えるのは、我々の責任だ。我々、このことを知っている者同士が話し合っていてもしょうがない。
全国民や韓国、アメリカ、全世界に発信して、
そのような不正義や韓国の被害妄想、日本に対する疑念を払拭せねばならない。

 一連の動きの裏には、北朝鮮・左翼勢力による謀略も見える。すなわち、
慰安婦問題を再提起することで、拉致問題を相殺し、日米の離間を図るというものだ。
この点からも我々はこの問題を見過ごすことはできない。

 出来たててまだまだ不十分だが、今後、「北朝鮮核問題ネット協議会」を通してネット世論パワーを結集し、
関係国や関係団体に集団抗議を行い、不正義を正して行こう!

文責 hello_bonbon2006氏

彼女らの収入について、元海軍中佐杉浦実は彼女らの前借金が4千円から5千円であったと言っています。
そして彼女らはこの前借金を3ヶ月から半年で返し、平均的な貯蓄額は5−6千円から1万円持っていたと言っています。
その中には3万円も持っている人も居て、皆驚いていました。
アメリカの反撃が予想以上に早く、彼女らの中には爆撃で死んだ人も居ました。
又前借金の返済が終わったにもかかわらず、船がなくて帰ることが出来ず、前線で亡くなった人も居ます。
終戦と共に彼女らの大半は日本に帰りました。

昭和史研究所1999年11月号によれば、1943年7月現在 の日本陸軍の階級別年俸は下記の通りです。

大将 6600円 年俸
中将 5800円
少将 5000円
大佐 4440−3720円
中佐 3720−2640円
少佐 2640−2040円
大尉 1860−1470円
中尉 1130−1020円
少尉 850円
准尉 75−32円 月給
曹長 30−23円
軍曹 20円
伍長 13.5円
10.5−6円


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小野田寛郎 旧陸軍少尉
『 私が見た従軍?慰安婦の正体 』


私が見た従軍?慰安婦の正体 『 正論 』 平成十九年一月号より


首相の靖国神社参拝や従軍?慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。
南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

戦後六十年、大東亜[ 共栄圏 ]戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は、
完全な『 商行為 』であったことを書き残そうと考えた。

外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。
そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。

大東亜[ 共栄圏 ]戦争時、戦場には「慰安婦[ =売春婦 ]」という言葉は確かに存在した。
当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも『 従軍 看護婦 』と言う言葉は常識として知っていたが、
「従軍?慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。

それは日本国を貶[おとし]める為に後日作った造語であることは確かだ。

淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈[はず]であるが、
他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。
あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。

では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、
世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。


『 漢口の「慰安所」を見学 』

商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口[現武漢]に渡った私は日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、
言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。

当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて、
地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。

日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を
携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。

難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。
それだけ危険な場所だった。 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。

ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。
しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている
場所を思い出したので、その通り教えてあげた。

映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。
街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。

私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・
うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入して
いたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。

私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。
日が暮れていたので「お茶っぴき」[客のない遊女]が大勢出てきて経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。

そこには内地人も鮮人も中国人もいた[ 現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった
当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である。]

群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。
憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。

また利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。
料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

半島出身者に「コチョ[ 伍長─下士官 ]かと思ったらヘイチョウ[ 兵長─兵士 ]か 」、「 精神決めてトットと上がれ、
ネタン[ 値段 ]は寝間でペンキョウ[勉強]する 」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。

内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、
中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。


『 どこにもいなかった「性的奴隷」』

ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ
健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業する
のが本当だが。」と本音を漏らしていた。

私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも
一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。

というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、
また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。

その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。

確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。
明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島では悪どく詐欺的な手段で女を集めた
者がいると言う話はしばしば聞いた。

騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんなしたたかな女の話もある。「 従軍看護婦募集だと騙されて慰安婦にされたが、
私は高等女学校出身なのに、」と、兵士や下士官を、涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。

またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。

私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような
統計があると教えてくれた。

当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。
三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。

貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかった
のが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、
貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。

ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。

「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。
サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。

私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站 [ 作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の
確保などに任ずる機関 ]の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、
地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。

これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。

「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、
そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。


『 問題にして騒ぎ出す者たちの狙い 』

次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。

初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の
予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。

だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「 外出でありますか。」と
挨拶したら、「 オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ。」と笑って返事をしてくれた。

周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。

南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。
私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。

「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。
教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。

私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。
前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。

その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。
軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。

考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。
その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。

それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。
性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。

「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。
彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。

辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。
私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。

今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、
こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。

これは私の部隊だけではないと思う。 もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。
したがって娼妓[ ここでは慰安婦に相当する ]に対する解釈も当然変化している。

そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは
何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ何かが得られると狙っているということだ。

戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。
野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。

自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。
軍は「慰安所」に関与したのではなく自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、
明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。

彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。
現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。

「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、
一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。

買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。
根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。

「従軍?慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率の
いい仕事をしていた、と言うだけのことである。

こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

『 正論 』平成十九年一月号より