中国の場合


凉山イ族社会の奴隷制度

               1949年の解放後も存続した四川省南部・凉山イ族社会の奴隷制

  中国西南部に住む少数民族とはいえ、イ族は人口約650万人と多く、現在、四川、雲南、貴州に広く分布している。民族の起源については、移住や土着など諸説あるが、北方或いは西北方から中国西南部に南下してきたとする見方が多数派である。漢代から唐代にかけて、イ族社会は奴隷制になり、次第に強大になっていくが、その後、元、明、清の各王朝に抵抗は示すも、次第に大半のイ族奴隷主は消滅させられるか、あるいは清朝に服従して地主になり、封建社会へ移行した。しかし土地の険しい四川省西南部の大凉山を中心とするイ族社会だけは、閉鎖社会を続け、中華人民共和国成立後もしばらく1956年の奴隷解放宣言まで、その古代奴隷制度が存続した。

  この凉山イ族社会は、奴隷主階級と奴隷階級の2つにはっきり分かれている階級社会で、奴隷主階級は黒イと呼ばれ、イ族社会の7%で、自由民・支配者・統治者であり、一方、奴隷階級は白イと呼ばれ、イ族社会の93%を構成していた。奴隷階級は、曲諾(チュノー)・瓦加(ワチャ)・呷西(ガシ)の3つの階層に分かれている。貴族奴隷主統治階級である黒イは、世襲の族長である茲莫(ツモ)と奴隷主の諾(ノー)で構成され、自分たちを諾蘇(ノースー:黒い皮膚の人)と呼んでいる。黒イは、労働をいやしみ、一日じゅう、騎馬や武芸にあけくれ、奴隷階級の無償労働と現物貢納で暮らしていた。黒イは、彼らの自称:ノースーからきている漢族による呼称で、白イは、黒イにかつて征服されていたイ族をいう。

 曲諾(チュノー)は、総人口の半分ぐらいで、その身分は奴隷主に隷属していて、奴隷主の直轄区域内でしか移動できず、奴隷主に贈り物を贈ったり、軽度の労役に服さなければならないが、ある程度の身分上の自由があり、奴隷主によって殺されたり、売られたりする事はなく、その子女も自分で所有する事ができる。奴隷階級ではあるが、彼らのうちの力のあるものは、漢人奴隷やその子孫を自分の奴隷として所有している。

 瓦加(ワチャ)は、漢語で「安家(ワチャ)娃子」と呼ぶ奴隷で総人口の4割程度を占めている。奴隷主の家の近くに、奴隷主によって「呷西」の妻をあてがわれ小さい家庭を持つ。奴隷主の土地を使って農畜業をいとなむ一方、一年の大半を主人のため無償労働する。身分上の自由がなく、殺されたり売られたりするし、またその子女も自分の所有とならず、奴隷主の「呷西」となる。

 最下層のクラスは、呷西(ガシ)で、漢語で「鍋荘娃子」(イロリのそばで働く奴隷と言う意味)と呼ぶ奴隷。総人口の1割程度がこれに属し、奴隷主の家に住み込んで24時間拘束され、どのような自由も権利ももたない。殆どが、一生を独身で終わる男女で、彼らは主として、漢民族居住地区から掠奪されてきた人やその子孫出、主人に金で買われた者もいる。少数は忠実に働くと、主人から妻をあてがわれ少しの土地と家をもらい、瓦加に昇格することもある。こうした3階層の奴隷は、自由・権利を持たず、貧苦の生活を強いられ、もし逃亡したり反抗すれば、目をくりぬいたり、鼻をそいだり、生き埋めにするなど、非常に残酷な刑罰を受けた。

 こうした奴隷制度は、1949年の中華人民共和国成立後もしばらくつづいた。中国諸民族の社会発展の段階がそれぞれまちまちであったため、それぞれの実情に即して社会主義化を行わざるをえず、ひとまず奴隷主の支配権を認める平和協商方式によって、1952年、四川省凉山イ族自治州が成立。自治州成立後も奴隷制度は数年間存続し、1956年、四川省凉山イ族自治州第3回代表会議で、奴隷解放が決定され、古代からの長きにわたった奴隷制度が、ようやく消滅する事となった。

 尚、黒イにさらわれた漢族の娘が、奴隷の身から解放されてからも、凉山にとどまり、婦女連合会の主任になったという実話にもとづき、『ダジとその父』という小説が書かれ、映画化もされたとのことだ。

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記事入力 : 2007/06/20 09:39:39

中国の過酷な「奴隷労働」の実態とは(上)

 「棒で殴られ足の骨が折れた。一緒に働いていた2人は殴り殺されたが、死体がどこにあるのか分からない」

 中国山西省洪洞県のあるレンガ工場から救出された申海軍さん(38)は腫れ上がった左足をさすりながらこのように語った。
申さんは3カ月にわたり毎日15時間労働を強いられていた。
業者を殺せなかったのが恨みとして残っている、と泣きながら語った。
30数人いたレンガ工場の「奴隷」の中には子供7人も含まれていたという。

 中国公安当局が捜査した山西省や河南省のレンガ工場での現代版奴隷事件を機に、
中国内部での悲惨な労働や人権の実態が明らかになりつつある。
北京オリンピックを1年後に控えたこの時期、中国人はこれらの実情に怒りを隠せない。

◆労働と人権の死角、中国の裏の姿

 衡庭漢という人物が経営していた工場からは労働者31人が救出された。
彼らは周辺都市の駅やバスターミナルで拉致されたり、人身売買で売られてきたという。
1日16時間働いても、サボっていると言って殴られ続けた。
他の工場で監視員として働いていた時に拘束された陳某容疑者は「2003年から、
1人当たり130人民元(約2100円)で20人ほど人身売買グループから買い取った」と証言した。
新京報は18日付で「毎晩殴られている労働者たちの残酷な悲鳴が周辺に響いていた」という奴隷労働者たちの証言を報じた。

 中国公安はこれまで2500カ所のレンガ工場に対し抜き打ちで捜査を行い、
8歳から18歳の未成年者50人を含む560人を救出し、業者ら168人を逮捕した。
中国マスコミは、山西省だけで少なくとも7500カ所のレンガ工場があると推定している。

 四川省のある職業学校では、実習の名目で200人以上の学生が1日14時間、広東省東莞の某工場で強制的に働かされていたという。
学校側は「実習に参加しないと卒業できない」として学生たちの労働力を搾取していた。
国際労働運動団体の連合体であるプレイフェアは最近の報告書で、浙江省と広東省にある
オリンピック記念品工場4カ所では12歳の児童までを強制的に働かせていると暴露した。
さらに15日には河南省で4年にわたり118人の児童を拉致し、
全国各地に売りさばいていた人身売買グループ一家が逮捕された。

◆中国人から怒りの声

 中国人たちは、これらの大規模な人権蹂躙は公務員の協力なしには不可能だと怒りに満ちている。
とりわけ王兵兵というあるレンガ工場の経営者が共産党地方組織の書記の息子であることが明らかになると、市民の怒りは最高潮に達した。
インターネット上には「公務員の協力がなければ不可能なことだ」
「腐敗公務員に対する処罰を同時に要求しよう」などの書き込みが寄せられている。
南方都市報は「他国なら政治的危機と不信任を招く事件」とし、
広州日報は「中央政府の支配力が弱まっている証拠だ」と分析した。

 これに対し胡錦濤主席や温家宝首相は「徹底した真相究明」を指示し、
中央政府レベルでの調査チームを現地に派遣した。
これにより、警察官3万5000人以上が調査に投入されるという。

 結局、王兵兵の父親は解任された。そして国民の怒りを静めるため、開放された労働者1人に対し
1000人民元(約1万6000円)が支払われることになった。
中国共産党は、問題の拡大を防ぐため一部のマスコミに対し、報道の自制を指示したという。




中国・山西省臨汾市一帯のレンガ工場で、誘拐された子供1000人以上が強制的に働かされていることが分かった、
と中国の夕刊紙「北京晩報」が13日に報じた。

 同紙によると、子供たちは河南省鄭州などの駅周辺で騙され、山西省臨汾や運城にあるレンガ工場が集中している地域に
500元(約7530円)で売られたという。

 また、レンガ工場は子供たちを1日14時間働かせ、食事も十分に与えず、暴行を加えていたことも分かった。

 強制的に働かされている子供たちの中には8歳の幼い子供もおり、
最長で7年間働かされたケースもあるとのことだ。

 この事実は、レンガ工場で強制的に働かされていた息子を救出した父親らが
インターネットに実態を告発したのをきっかけに、明らかになった。

 同紙は「児童強制労働の実態がインターネット上に掲載されてから6日間で58万件ものアクセスがあり、
現地当局への批判が相次いでいる」と伝えている。

 臨汾では今月8日にも成人労働者31人が1年以上監禁された状態で強制的に
働かされていたことが明らかになり、物議を醸していた。

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奴隷の悲鳴シナ絶望工場…党幹部自宅に“万人坑”

<<   作成日時 : 2007/06/23 07:2
言葉巧みに誘い、睡眠薬を飲ませ、過酷な労働現場に送り込む…

ショッキングな奴隷工場の実態が次々に暴かれる中、北京の中共政権は防戦一方だ。

6月20日に温家宝が改めて徹底調査の方針を示したのに続き、22日にはシナ山西省の省長が謝罪会見を開くなど、問題の火消しに躍起になっている。

シナ内陸部の各地で暴かれた奴隷工場。それはシナ国営テレビも報道する異例づくめの事態に発展。これを海外メディアが大きく報じたことに当局は警戒感を抱き始め、一過性の個人犯罪に落とし込めようとしている…


▽山西省で保護された奴隷工(AP)

失踪した子供達がいたのは過酷なレンガ工場だった。監禁され、僅かな食事で1日16時間の奴隷労働。中共は個人犯罪と主張するが、闇工場は地元共産党幹部の自宅敷地内にあった。


耳目を集めたのは、山西省南部の臨汾市洪洞県にあるレンガ工場だ。

切っ掛けは、5月27日、違法爆発物の取締中に、様子のおかしい労働者を警官が見つけたことだったとされる。立ち入り検査を行なったところ30人を超す悲惨な状態の労働者を相次いで発見。凄惨な労働現場の実態が浮かび上がった。


▽保護された奴隷工(ロイター)


ただし、これも官製報道で、実際の発見経緯は全く違うようだ。

見つかった労働者は、身体は火傷など傷跡だらけ…破けた衣服をまとい、腐臭を放っていたという。自由を完全に奪われ、過酷な現場で強制的に働かされていたのだった。

保護された労働者のうち、最年少は14歳の少年。さらに知的障害者も多数含まれていることが判明した。レンガ工場の労働者は5人の用心棒と6匹の大型犬に常時監視され逃げ出すことは不可能だった。






▽救出された幼い少年(AP)



▽保護された14歳の少年(AP)

1日の労働時間は16時間にものぼり、食事は小麦をこねた饅頭だけだったという。中世にもなかった悪夢の奴隷工場は、この21世紀に我が国の隣国に存在していた…

【児童労働ではなく人身売買の奴隷】

問題のレンガ工場で働かされていた者たちは、すべて無給だった。始めから賃金など設定されず、家畜のように酷使されていたのだ。「奴隷」と分類するに相応な条件をすべて兼ね揃えている。


▽搬送される奴隷工(AP)


どのようにして彼らは、悲惨な奴隷工場に送り込まれたのか? 保護された20歳の男性は、連行された経緯を、こう明かす。

料理店の面接受ける為、河南省の省都・鄭州市を訪れていた男性は、レストラン経営者を名乗る人物に勧誘された。興味を抱き、その人物の車に乗り込み、与えられた飲料水を飲んだ時点で記憶を失う。

睡眠薬入りの飲料水だった。そして翌日に目覚めた時は、既にレンガ工場にいたという。言葉巧みというより、完全に人攫いだ。その日から地獄の奴隷状態が始まった…

勧誘した人物は、人身売買のブローカーだったのだ。




▽山西省のレンガ工場(ロイター)

明るみになったレンガ工場の問題は、過酷な奴隷労働だけではなく、人身売買を軸にした犯罪の構図が底にあった。
人攫いが日常的に“奴隷”を掻き集め、工場に売り飛ばしていたのだ。

同様のケースは摘発された箇所だけに留まらず、山西省を中心に1,000人以上の子供が拉致され、
奴隷工場に送り込まれたことが判明している。
その中の最年少は8歳で、7年間も奴隷状態に置かれていた少年もいた。

子供たちの多くが鄭州市の駅などで攫われ、ブローカーによってレンガ工場など過酷な労働現場に売り飛ばされていた。
拉致された子供に付けられた“値段”は、1人あたり500元(約8,000円)だったという。


一部の暗黒経営者が奴隷を掻き集めていたのではない。中共の知られざる暗部として、そのような悲惨な状況は過去から積み上げられてきたものだ。

その暗黒面を暴く突破口を開いたのは、インターネットだった。

【救出劇を阻んだのは地元警察】

中共の御用メディアが報じた公安(警察)の摘発は創作ストーリーだ。

5月27日の工場摘発に関して中共メディアは小さく報じただけだった。
しかし、子供の父親ら400人が連名で救出を訴えたことで、事態は劇的な変化を遂げる。

6月5日、河南省の新聞『河南日報』のWebサイト「大河論壇」に、救援を求める書き込みが掲載された…

「罪深き悪人の道!山西省の非合法レンガ工場に子供を売られた父親400人の血涙の救助要請」
*中国の奴隷売買(日テレ報道)

この告発が大反響を呼び、1週間足らずで約60万のアクセスが集まる。
奴隷工場が暴かれるまでには、子供を攫われた父親たちの執念の追跡があったのだ。

不審な工場の情報をゲットした一部の父親が、出稼ぎ工を装って工場内部に入り込み、2ヵ月間で約40人の子供の救出に成功したという。
その際、地元警察は救出を妨害し、奴隷工場を守る側に回っていた。


▽写真を見せて子供を捜す親(AP)


自分の子供しか連れ出すことしか認めず、多くの子供は取り残されたままだった。
奴隷工場は何のお咎めもなく操業を続けていたのだ。

その中でネットでの告発が行なわれ、遂に当局も秘密工場を守り切れなくなった…
それが国営メディアまでもが報じる異例の事態を呼び起こした。

【工場は共産党幹部の敷地にあった】

中共のプロパガンダTV局CCTV(シナ国営テレビ)も6月中旬に、奴隷工場の摘発を報じた。
しかし、その内容は、救出された子供と家族との感動的な再会劇に重点が置かれ、暗部にまでは立ち入っていないようだ。

奴隷工場は一部の不届きな経営者による犯罪として扱い、葬り去ろうとしている。
*シナ国営テレビの報道(2分)

6月19日、中共外交部の定例会見で秦剛報道官は、こう開き直った。

「そもそもこのような事態が、賄賂を貪り法を曲げる少数の人間による行為なのか、
それとも中国政府の政策なのかを、いくらか区別して受け止めるべきだ。
中国に、大規模な児童の使用と搾取の普遍的な現象が存在するだろうか?」


答えは簡単だ。現在もシナには奴隷工場が多数存在し、中共支配が続く限り、それは普遍的な現象である。



▽傷だらけで発見された少年(ロイター)


事件が反響を呼ぶ中、中共は一部の悪徳経営者とブローカーの犯罪にして逃げ切りたいようだが、
言い逃れの出来ない事実も発覚した。

一連の摘発の端緒となった臨汾市洪洞県のレンガ工場は、資源許可証も税務登録証もない闇工場だった…
なぜ、そのような工場が存続できたのか、理由は明快だ。

闇レンガ工場があったのは、地元共産党支部の書記・王東記の自宅敷地内だった。
そして工場の経営者は、息子の王斌斌なる人物。



▽党幹部敷地内の闇レンガ工場


つまり地元共産党支部の最高幹部一族が奴隷工場を築き上げていたのだ。
公安(警察)が救出に向かった父親らを邪魔した理由も、そこにあった。

シナで公安(警察)は、住民を守るためではなく、党を守るために存在する。
外敵のいない共産党の統治システムが奴隷工場を生んだことは明らかだ。

【『アジア絶望工場』に絶望する】


タイ、マレーシア、インドネシアなどに進出した日本企業の負の面を探索。いかに現地の労働者が“犠牲”になり、
過酷な労働現場に置かれているかを、書き流している。単行本の発行は1984年。

サヨクがインテリだという幻想を捨て去るには、格好の教科書である。
戦前とは違い、団塊以降のサヨクなど、理解力も判断能力もないことが、この本でよく判る。

名著と聞いて読んでみたが、フィリピン編では何故かバーを巡って女性と日本語で語り合うシーンが延々50ページも続く。
鎌田慧は「フィリピンの夜の女性たちは、日本の経済進出の犠牲者だ」と主張、ご熱心な取材を続ける。

しかし事実の提示もなく、どう読んでも単に飲み歩いているだけ…


それは笑って済ませられるが、この本の“白眉”は、シナ編だ。

労働現場に飛び込んで取材し、労働者の目線で問題点を浮き彫りにするのが鎌田慧のスタンスだ。
しかし、シナでは国務委員財政部長(財務相格)と会見してレクチャーを受け、党幹部と労働現場を巡回。

そして当然のようにシナの労働現場が、いかに素晴しいか語り尽くす…改めて読み返すと絶望的な気分になる。

労働現場を管理サイドから眺めた時点で、ルポとしては0点である。
その間違いを鎌田慧自身が認識していないと同時に、絶賛する左派言論人も気が付かなったようだ。

【万人坑プロパガンダの正体】

80年代の半ばになっても我が国の左派言論人の対中共認識は、この程度だった。
共産主義を盲信し、本音から「労働者の天国だ」などと思っていたのか…



▽レンガ工場で働く女性(AP)


盲信していたのであれば、単なる低脳軍団で済む。しかし中共の実態を故意に隠蔽していたのなら、それは犯罪行為に等しい。
奴隷大国シナの加担者だ。

我が国の労働貴族が、ぬるま湯に浸る中、労働者を主体とした国家では
中世の暗黒時代さながらの奴隷が次々に生まれ、声なき悲鳴をあげている。

その悲鳴を押し潰していたのが、我が国の左派言論人であった。現在の反日ファシストも同じだ。

本当に、この悲惨な現実が見えないのか?



▽保護された奴隷工(ロイター)


鎌田慧が探していた絶望工場は、フィリピンの夜の街ではなく、共産党幹部の自宅敷地内にあったのだ。

闇工場の経営者だった王斌斌は逮捕された。
しかし、父親で地元共産党書記の王東記は、18日に党籍を剥奪されたものの、行方をくらましている。
失踪ではなく、バックの公安組織が身柄を隠しているものと見られる。
▽党幹部の奴隷工場屋外施設(AFP)


事態の広がりに震える胡錦濤政権は、調査の徹底を命じる一方で、メディア規制を開始した。
いったんは国営テレビもニュースとして扱ったが、報道は一気に終息しているようだ。

これ以上のマイナスイメージは、五輪開催にも影響を与えかねない。
しかし今の時代、数多の奴隷工場を隠し切るのは無理だ。
露見したの闇工場など氷山の一角に過ぎないことは誰の目にも明らかである。



▽湖北省のレンガ工場(ロイター)


そして何故、中共が未だに「旧日本軍による万人坑」なる捏造話を拡大宣伝するのか、
その意味がようやく分かった…

シナ大陸には、膨大数にのぼる「使い捨て強制労働」が、現在進行形で続いているのだ。

私の意見
こんなことで 中国は北京オリンピック 大丈夫ですかね?