タイ王国
公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand
、略して Thailand 。
日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。タイランドと称される事も多い。
漢字で泰(タイ)と表記されることもある。
かつては諸外国から、Siam と呼ばれていた。Siam とはポルトガル語の Siao, Syao
から来た語とされる[1]。
この Siam と言う語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、パガンのビルマ語碑文(1120年)、
アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える Sy?m という語に原型を見ることができる。
歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』[2]でこの語がビルマの
シャン族のシャン、インドのアッサムやアホム族のアホムの語源になったとしている。
いずれにせよ19世紀以降タイ国名のローマ字表記は Siam で統一された[1]。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、
暹という国と羅斛という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。
なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのが従来定説であったが[3]、
『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に
山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表した[4]。
なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シヱンロウという読みを与えている。
しかし、明治期以降シャムの読みが定着した[1]。
こうして20世紀前半までにシャム/ Siam
が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する[5]。
これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる[6]。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された[7]。
時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった[1]。
しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる[8]。