AH-64 アパッチ 
攻撃ヘリコプター
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1970年代に入り、旧ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍は、戦車等の戦闘車両の増強を図った。日に日に、脅威が増大してきた大機甲部隊に対抗する為、アメリカ陸軍ではベトナム戦争を戦訓に、攻撃ヘリの開発プロジェクトチームを発足した。1972年には、AAH(Advanced Attack Helicopter)先進攻撃ヘリ開発計画が正式に開始された。計画には、ボーイング社、ロッキード社、ベル社、ヒューズ社などが参加したが、ベル社とヒューズ社の設計案が採用された。

1975年には、両社共に原型試作機が完成し、初飛行を成功させている。1976年からは、アメリカ陸軍で評価試験が行なわれ、ヒューズ社の「YAH-64A」(後のAH-64)が採用される事となった。1984年に量産1号機が陸軍に引き渡されている。 後にヒューズ社はマクドネル・ダグラス社の傘下となり、そのマクドネル・ダグラス社も1997年にボーイング社と合弁した為、AH-64はボーイング社が生産を行なっている。








概要

最前線で活動できるように計画され、夜間の作戦や悪天候時にディスプレイに視界を表示するシステムやそれが統合されたヘルメットなどが組み込まれた。また、目標捕捉・指示照準装置、パイロット用の夜間装備、レーダー・ジャマー(電波妨害器)、赤外線迎撃兵器、地表面誘導装置、GPSなどの最先端の航空電子機器も搭載されている。また、高い防御性も持ち合わせており、メインローターに23mm砲弾が直撃しても一定時間の飛行が可能な設計となっている。メインローターの上にミリ波レーダーを装備したAH-64Dアパッチ・ロングボウ(ロングボウ・アパッチ)も開発・使用されている。

武装はコクピット下にM230 30mm自動式機関砲1門、スタブウイングの牽下パイロンハイドラ70 FFARロケット弾AGM-114 ヘルファイア空対地ミサイル、スタブウイング両端にAIM-92AGM-122AIM-9のいずれかの空対空ミサイルを搭載できる。その重装備・重装甲から空飛ぶ戦車と評されている。

本来の費用は、1,450万ドルであるが、2003年9月にギリシャが12機発注した際は、武器やサポートを含めて、総額で6億7500万ドルであった。この場合は、一機当たり、5,625万ドルという計算になる

実戦投入

アパッチは、1991年湾岸戦争に、約280機が投入され、イラクレーダー施設などの最重要破壊目標陣地や、イラク軍のT-72戦車や装甲車などの戦闘車両800両以上を葬る大戦果を上げた。

しかし、最近はヘリコプターの脆弱性が報告されている。2001年から2002年アフガニスタンに配備されたヘリコプターの内、80%以上が地上からの攻撃により、重大な損害を被っている。これは、大規模な戦闘に初めてヘリコプターが投入されたベトナム戦争の頃に比べて、対空ミサイルなどの対空兵器の性能が向上した事、それらが大量に出回っている事が要因として挙げられる。加えて、アパッチが装備するヘルファイア空対地ミサイルを発射したときに出る破片が飛んで、ローターを損傷させるという問題も発生している。このため戦闘時には、右側のパイロンからのみミサイルを発射しなければならなくなっている。また、AH-64は砂漠の作戦用には作られておらず、湾岸戦争では数時間の飛行で2/3以上が修理やメンテナンスを必要とする状況に陥ってしまった。

またイラク戦争においても、アパッチはイラク軍の戦車部隊に大打撃を与える一方で、不用意にイラク軍の防空コンプレックスに突っ込んで33機中30機が損傷・1機が撃墜されて敗走するなどということもあった。もっとも、逆に言えば9割のヘリが被弾するほど濃密な対空砲火にさらされながら、わずか1機の損失で帰還できたとも言うことができ、アパッチの頑丈さを証明するエピソードと解釈する者もいる

日本での配備

日本陸上自衛隊ではAH-1Sの後継として、ボーイングと富士重工業が提案したAH-64Dアパッチ・ロングボウを、三菱重工業ベルと提案したAH-1Zを下して採用した。空対空装備を擁し、対地戦から対空戦にまで幅広く対応できる為、日本語呼称はAH-1Sで用いられていた「対戦車ヘリコプター」ではなく、「戦闘ヘリコプター」となっている。AIM-92スティンガー空対空ミサイルの発射機能を最初から有したアパッチを導入するのは、採用国の中でも陸上自衛隊が世界初だという。

最初の2機は2002年(平成14年)度予算で計上された。初号機は2005年(平成17年)12月に日本向けのボーイング社から納入され、北宇都宮駐屯地に隣接する富士重工業航空宇宙カンパニーの宇都宮製作所に到着、2006年(平成18年)1月25日に初ホバリングを実施し、翌1月26日に初飛行を行った。3月15日に防衛庁に納入され、翌16日明野駐屯地の飛行実験隊に配備された。2号機も1月に到着している。3号機以降は富士重工業のライセンス生産による国産機となり、木更津駐屯地目達原駐屯地に配備される見込みである。

平成17年(2005年)度予算までに8機が計上され、また平成17年度から21年(2009年)度を対象とした中期防衛力整備計画では、期間中に7機を整備するとしており、21年までに合計13機が調達される予定である。防衛省では60機の調達を計画しているが、調達価格は2機で103億円(機体・エンジン、2004年(平成16年)度)と高額であり、毎年2機の調達が限度ではあるが、このペースでは完納に30年を要する。また、AH-1Sの約90機から大幅に削減されており、安価な他機種との混合運用(ハイ・ロー・ミックス)も検討されている。





















AH−64D アパッチ・ロングボウ ボーイング(マクドネル・ダグラス/ヒューズ)

概要

最前線で活動できるように計画され、夜間の作戦や悪天候時にディスプレイに視界を表示するシステムやそれが統合されたヘルメットなどが組み込まれた。また、目標捕捉・指示照準装置、パイロット用の夜間装備、レーダー・ジャマー(電波妨害器)、赤外線迎撃兵器、地表面誘導装置、GPSなどの最先端の航空電子機器も搭載されている。また、高い防御性も持ち合わせており、メインローターに23mm砲弾が直撃しても一定時間の飛行が可能な設計となっている。メインローターの上にミリ波レーダーを装備したAH-64Dアパッチ・ロングボウ(ロングボウ・アパッチ)も開発・使用されている。

武装はコクピット下にM230 30mm自動式機関砲1門、スタブウイングの牽下パイロンハイドラ70 FFARロケット弾AGM-114 ヘルファイア空対地ミサイル、スタブウイング両端にAIM-92AGM-122AIM-9のいずれかの空対空ミサイルを搭載できる。その重装備・重装甲から空飛ぶ戦車と評されている。

本来の費用は、1,450万ドルであるが、2003年9月にギリシャが12機発注した際は、武器やサポートを含めて、総額で6億7500万ドルであった。この場合は、一機当たり、5,625万ドルという計算になる

実戦投入

アパッチは、1991年湾岸戦争に、約280機が投入され、イラクレーダー施設などの最重要破壊目標陣地や、イラク軍のT-72戦車や装甲車などの戦闘車両800両以上を葬る大戦果を上げた。

しかし、最近はヘリコプターの脆弱性が報告されている。2001年から2002年アフガニスタンに配備されたヘリコプターの内、80%以上が地上からの攻撃により、重大な損害を被っている。これは、大規模な戦闘に初めてヘリコプターが投入されたベトナム戦争の頃に比べて、対空ミサイルなどの対空兵器の性能が向上した事、それらが大量に出回っている事が要因として挙げられる。加えて、アパッチが装備するヘルファイア空対地ミサイルを発射したときに出る破片が飛んで、ローターを損傷させるという問題も発生している。このため戦闘時には、右側のパイロンからのみミサイルを発射しなければならなくなっている。また、AH-64は砂漠の作戦用には作られておらず、湾岸戦争では数時間の飛行で2/3以上が修理やメンテナンスを必要とする状況に陥ってしまった。

またイラク戦争においても、アパッチはイラク軍の戦車部隊に大打撃を与える一方で、不用意にイラク軍の防空コンプレックスに突っ込んで33機中30機が損傷・1機が撃墜されて敗走するなどということもあった。もっとも、逆に言えば9割のヘリが被弾するほど濃密な対空砲火にさらされながら、わずか1機の損失で帰還できたとも言うことができ、アパッチの頑丈さを証明するエピソードと解釈する者もいる

日本での配備

日本陸上自衛隊ではAH-1Sの後継として、ボーイングと富士重工業が提案したAH-64Dアパッチ・ロングボウを、三菱重工業ベルと提案したAH-1Zを下して採用した。空対空装備を擁し、対地戦から対空戦にまで幅広く対応できる為、日本語呼称はAH-1Sで用いられていた「対戦車ヘリコプター」ではなく、「戦闘ヘリコプター」となっている。AIM-92スティンガー空対空ミサイルの発射機能を最初から有したアパッチを導入するのは、採用国の中でも陸上自衛隊が世界初だという。

最初の2機は2002年(平成14年)度予算で計上された。初号機は2005年(平成17年)12月に日本向けのボーイング社から納入され、北宇都宮駐屯地に隣接する富士重工業航空宇宙カンパニーの宇都宮製作所に到着、2006年(平成18年)1月25日に初ホバリングを実施し、翌1月26日に初飛行を行った。3月15日に防衛庁に納入され、翌16日明野駐屯地の飛行実験隊に配備された。2号機も1月に到着している。3号機以降は富士重工業のライセンス生産による国産機となり、木更津駐屯地目達原駐屯地に配備される見込みである。

平成17年(2005年)度予算までに8機が計上され、また平成17年度から21年(2009年)度を対象とした中期防衛力整備計画では、期間中に7機を整備するとしており、21年までに合計13機が調達される予定である。防衛省では60機の調達を計画しているが、調達価格は2機で103億円(機体・エンジン、2004年(平成16年)度)と高額であり、毎年2機の調達が限度ではあるが、このペースでは完納に30年を要する。また、AH-1Sの約90機から大幅に削減されており、安価な他機種との混合運用(ハイ・ロー・ミックス)も検討されている。

































AH−64D アパッチ・ロングボウ ボーイング(マクドネル・ダグラス/ヒューズ)

AH−64アパッチは、1970年代にその脅威が増大してきた旧ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍
の大機甲部隊に対抗する為に、米陸軍ではベトナム戦争の戦訓を取り入れた攻撃ヘリ開発プロジェクト
チームを発足している。 前進となったのは、1965年のAAFSS(新型航空火力支援システム)構想を
発展させ、1972年にAAH(Advanced. Attack Helicopter)先進攻撃ヘリ開発計画が正式に開始された。
AAH計画に参加したのはボーイング社(Boeing)、ロッキード社(Lockeed)、シコルスキー社(Sikorsky)
、ヒューズ社(Hughes)、ベル社(Bell)の5社で、国防省及び米陸軍はベル社とヒューズ社の設計案を
採用し、ベル社のAAH計画案をYAH−63A、ヒューズ社にYAH−64Aの名称を与えて試作機開発を
開始させた。1975年までに両社の原型試作機は初飛行を成功させ、1976年6月から陸軍での本格的
な評価試験が行なわれた結果、1976年12月10日ヒューズ社のYAH−64Aが採用される事となった。

制式採用されたヒューズ社YAH−64はAH−64の型式名称が付けられ、1984年1月26日に量産1号
機が陸軍に引き渡され、量産14号機から部隊配備が開始された。 ヒューズ社は、その後1984年に
マクドネル・ダグラス社傘下に入り、マクドネル・ダグラス社は1997年にボーイング社と合弁した為現在
は、ボーイング社AH−64アパッチとなっている。

現在は、ロングボウミリ波レーダーを搭載した最新型のAH−64D アパッチ・ロングボウとレーダーを
搭載されないAH−64D アパッチ、旧式化しD型に改修されるA型が存在し、2003年からD型アパッチ
・ロングボウの発展型ブロックIIの配備が開始されている。
アパッチシリーズは米国陸軍以外にも使用され、D型アパッチ・ロングボウを採用しているのは、イスラエル
(18機)、英国(67機:名称WAH−64D)、D型アパッチを採用しているのはシンガポール(8機、)、
オランダ(30機)、A型アパッチは、サウジアラビア(12機)、エジプト(36機)、UAE(30機)、ギリシャ
(20機)を保有している。
A型からD型に改修予定なのがアラブ首長国連邦(UAE)の30機で、ギリシャ12機、クウェート16機
(一部仕様が異なる)が導入を決定し部隊配備を開始している。
日本でも、2001年8月27日に陸上自衛隊が現有のAH−1Sの後継として次期攻撃ヘリAH−64D
アパッチ・ロングボウを選定採用し、中期防衛整備計画(平成13〜17年度)期間中に10機導入し、最終
的には60機の導入を予定している。