Tony

ハードロック界にフレットレスを伝道した男!


今だからこそ、ロックにフレットレスを使うのは珍しくはないが、
トニー・フランクリンがデビューした当時はロックミュージックでスラップをする事すら
却下されていたような時代、、、
フレットレスはJazzやFusionでプレイする楽器というのが一般的な常識であった。

イギリス出身の彼の周りではPUNKミュージックが流行っていたらしく
フレットレスのようにベースの輪郭がはっきりしない楽器は
仲間内から、お高くとまっていると懸念されていたようです。

また、彼の家族は音楽一家で、彼自身もブラスバンドなどでクラリネットを吹いていた経験もあるが
そういった仲間からは「ロックをやっているような奴は馬鹿ばかりだ!」 などと相手にしてもらえなかったようです、、、
どこにも馴染むことが出来なかったトニー・フランクリンに1985年 時転機が訪れる事となる

ジミー・ペイジ(exレッド・ツェッペリン)に引き抜かれ、ポール・ロジャース(exフリー・バットカンパニー)らと ザ・ファームを結成する!
彼らは、スーパーグループとして話題になった反面、期待された成功を収める事はなく
アルバム二枚を残して自然消滅してしまった、、、、 しかし、このザ・ファームに加入した事で、
トニー・フランクリンは世界的なベーシストと仲間入りを果たす。

1987年WHITESNAKEを脱退した ジョン・サイクスの招きでコージーパウエルと共にブルー・マーダーを結成!
当初、ヴォーカルはトニー・マーティンが参加するがブラック・サバスへ加入の為、後任にレイ・ギランが加入
しかし、マネージメントの意向により脱退、、、
(レイ・ギランはその後ジェイク・E・リー等とバットランズを結成するが93年HIV感染により死亡)
その後 変わりのヴォーカルを入れるもののコージー・パウエルがその方針に疑念を抱き脱退してしまう、、、
最終的にはボーカルをジョン・サイクス自身が取り、後任ドラマーとしてカーマイン・アピスが加入し
Blue Murder が結成される事となる! これにより、ロックミュージックで縦横無尽に練り動くフレットレスベーシストがいると
世界中にトニー・フランクリンの名前を刻み込む事となった。

1992年 アルバム製作が進まない事を理由に、トニー・フランクリンはカーマイン・アピスと共に バンドを去る事となる、、、
その後、田村直美率いる PEARL にカーマイン・アピスと共に加入し、日本で話題となる。
このライブを観た事があるのですが Blue Murderの曲のコピーやら
カーマイン・アピスが参加してたベック・ボガート & アピス ヴァージョンの「迷信」を演奏したりと ちょっとした学園祭のようでした、、、、

そんな中、トニー・フランクリンのベースソロコーナーがあったのですが
子供が使うようなミニサイズのベースを肩から下げて超絶技巧のスラップソロを観たときに
世界の壁が こんなにも高いのか、、、と心底感じました。
(ちなみに、この時弾いた小さなベースはフレッテッドでした)

その後 WHITESNAKEのツアーに参加したり、氷室京介のアルバムでプレイしたりと 世界的に活躍している。
また、2枚ほどソロアルバム「Brave New Tomorrow(2000年)「Wonderland(2003年)」を発表している
こちらは、殆どの楽器をトニー・フランクリン1人でこなすマルチプレーヤーぶりも発揮しています。
ちなみに、 上にあるサインはライブの打ち上げで、トニー・フランクリンとカーマイン・アピスに もらったものです。



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