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被爆・終戦60年の今 2005年 あめあがりコンサート |
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「ふるさとの風に」 竹内浩三の詩による寺嶋陸也依嘱作品を歌う 指揮・ピアノ寺嶋陸也 |
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2005年11月26日(土) | |
武蔵野市民文化会館大ホール | |
終了いたしました。ご来場ありがとうございました | |
■竹内浩三略歴■ | |||
1921年(大正10年)5月12日、伊勢市吹上町の大きな呉服商の畏男として産まれる。幼くして母と死別。明倫小学校を経て、宇治山田中学校へ入学、勉強は全くしないが、成績は全体の3分の1以内にはいってい る。幾何が得意であったが、運動会ではいつもビリ、人並外れた陽気さで、よく周囲の人を笑わせていたという。 岩波文庫や新青年を愛読する。 浩三の父は、浩三が芸術の道に進むことを反対していたが、父の死後、中学を終えるや上京して、日大芸術科映画科に入学する。 1942年6月、故郷に住む友人らとともに同人誌「伊勢文学」を創刊。詩や小説を発表する。 同年10月、浩三21歳の時、三重県久居の歩兵第三十三連隊に入隊、初年兵教育を受ける。翌年1943年9月20日、西筑波の滑空部隊、のちの空挺部隊に転属になる。筑波での、1年3ヶ月の訓練の間、最初の3ヶ月を除き、日記を書きつづける。 1944年12月、浩三の所属する空挺連隊はフィリピンに向けて出発する。12月19目に宇品を出航、フィリピンルソン島の西海岸にあるフェル才ンド港に着く。 激しい戦禍の中、島の山岳地帯を斜めに横断し、バギオに向かう。公報によれば、浩三は1945年4月9日バキオ北方の1052高地で戦死。遺骨は還らなかった。 4月28日、バギオ北方のトリダート街道で、浩三らしき空挺部隊員を見た、という未確認情報もある。 ★滑空部隊とは、落下傘部隊のグライダー版、と言えるもので、極めて危険な任務であった。 ★竹内浩三路歴を作成するにあたり、「戦争と平和」市民の記録2「愚の旗一戦死やあわれ」』竹内浩三著(家永三郎・小田切秀雄・鶴見俊輔監修 日本図書センター1992年5月)と「Spotting」(Vol.12夏2000文芸社)を参考にさせて頂きました。 |
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