■鹿鳴館■
ぺぺの呟き〔過去ログ〕
★2006/3月分
はいどうも。
前回はマジメな告知だったので、またいつもの通りのつぶやきに戻ります^^
前々回までの『上京日記?』が好評(??)のようなので続きをひとつ
上京して最初に住んだ「青南荘」を半年で地上げにより立ち退いて、その頃入り浸ってた喫茶店(まぁ、基本的にメシを食いに行ってたんだけどね)アメニティスペースって所があってね、ここのマスターとその彼女がすんごく優しくて良い人なので「東京の人って優しいのね」と最初に思った人達でした。現在はもうないんだよなぁ...マスター何やってんだろ今頃...。
で、そのマスターの同級生の実家が不動産と言うことで紹介してもらった新居が6畳一間でトイレ付き風呂無しで台所が1、5畳くらいの部屋だった。陽当たりは抜群に良くて以前よりかなり狭くなったけど快適だった。大家さんが建物1階の半分くらいを使って住んでんだけど、まぁ、普通に良い大家さんだったなぁ。その後そこには8年住むんだけど、元々¥34,000だった家賃が、7年目に上がって¥36,000。その時は引っ越す程の貯金もないし我慢したんだけど、9年目なる更新時に¥38,000になると聞き引っ越しを決意。
陽当たりも最高だし気に行ってた部屋だったんだけど、古くなって部屋が痛んでんのに値段があがるシステムが納得いかないんだよなぁ。(て、痛ませたの俺様だった)まぁ、そういうもんなんだろうけどな
でも、俺「何?この部屋ビンテージなの?」と思っちゃうのよ。^^
そうそう、その部屋には友達も結構訪れてくれて、よく酒盛りもしたなぁ。
そこでは俺様が花の応援団だったかも^^
まぁ、それでも大家さんが下に住んでる事もあるし気は使ってたんだけど、お隣さんが引っ越した時にちょっと気が弛んだんだろうね、ある晩、結構馬鹿騒ぎしてたのね、真夏でウチには当時冷房なんてなかったから、窓を開けて大騒ぎっすわ。そしたら窓の外を如意棒が出て来てゆ〜らゆ〜らしてるわけさ、4〜5回ゆらゆらした後に、ウチの窓目掛けてバシバシ叩くわけ、結構な勢いよ。浅間山荘の鉄球くらいの迫力だったもの、で、そーっと窓の下を覗いたら1階の賃貸部(ちょうどウチの真下の部屋)に住んでるおばちゃんが「何時だと思ってんだぁ〜〜〜!!」とえれぇ剣幕で怒鳴ってた^^
翌日に菓子折り持って謝りに行きましたわ(苦笑)
2軒隣のおばちゃんは、晩飯を良く作ってくれた。ベタなんだけど「沢山作り過ぎちゃったんで食べるか?」つって持って来てくれる。
しかも、いかにもおばあちゃん料理じゃなくて、洋食もんが多かったな。
パスタとかが多かった記憶がある。当時お金がない時期はすごく助かったねぇ。
おばちゃん生きてっかなぁ、会いたいなぁ...
隣に引っ越して来たのは中国人だった。3〜4人で住んでたんじゃないかな?人の出入りが激しかったもの。で、俺様が仕事休みで家に居たりすると、夕方5時くらいに鍋を振る音が響くわけ、んでニンニクのいい香りもして来てたまんねーのよ。この人達はなんにもくんなかったけどな(笑)
続く...
(2006.3.29)
今回は真面目に「WHAT'S NEW!」です!
憂架の追悼イベントが開催される事になりました。生前彼が好きだと言ってくれていたウチのステージに馴染みの仲間達がこんなに集まってくれたそうです。
この面子を確認したら、ほぼ全バンドが演奏時間を守らずイベントの進行を押す種のバンドばかりだと言う事にびっくり(笑) 憂架も笑っている事だろうな。
こんな機会も滅多にないから良いイベントにしたいね。
(2006.3.20)
こんにちは。
やっぱり戻ってきやがったな、この寒さ。
さて今回は前回に引き続き俺様の上京日記を(お!またここを日記て認めちまった^^)
さて、前回は渋谷でのバイトを書いたわけだが、今回も時代はその辺で行こう
俺様が上京して最初に借りたアパートが風呂なしトイレ付きの3畳と4畳半の二間に3畳の台所が付いたとこ。風呂はなかったんだけど、結構快適な広さだったんよ。
上京にあたって実家から大きな家具は、ベッド、タンス、冷蔵庫くらいのもんで、後は炊飯ジャーとかテレビとかステレオなんかのみ。あとは当時はまだそんなに所持数も多くなかったレコードとかカセットテープ類だな。
その部屋は、何度か東京に来て不動産を廻って決めたとこなんだけど、初めて下見に行った時はまだ人が住んでたんだよね。留守だったんだけど、部屋中にオムツとかの赤ん坊の衣類の洗濯物が干してあってさ、不動産の人が「現在住んでる人は、バツイチさんで子供と二人暮らしなんですよぉ」
いやいやいや、そんな情報いらんし
なんだか、現在他人が住んでるところを勝手に(不動産は住人に許可を取ってるハズだが...怪しかった)お邪魔するのは気が退けたなぁ。
で、3月に入ってやっと引っ越して来たわけだけど。リフォームらしきものは皆無だったね。
壁に知らんタレントのポスター貼ってあったしさ、その上ポスターを剥がしたらヤモリが居たの!これにはホントびっくりしたわ!手伝いに来てくれた親父が尻尾持って外に逃がしてたけど、まぁ「守宮」と書くのだから縁起モンと言う事にしたけど。
で、電気とかは最初から付いてると思いきや、台所が輪っかの蛍光灯で3畳間が裸電球。一番奥の4畳半は電気なしでした。2年契約だったんだけど半年間だけそこに住んだ。
なんでかつーと、時はバブル絶頂期。
ある日、地上げ屋が我が家にやってきまして、そこに越した時に掛かった費用の倍の値段の立退料をくれると言う事で引っ越しました。
俺様は一番手前にある部屋だったんだけど、一番奥(4部屋先)に住んでいる人がかなりの頻度で酒盛りパーティーをやってて、夜中の2時過ぎた頃にはギターと歌声が響き渡るわけ(しかも懐メロというかフォークソングというか「翼をください」とか「なごり雪」とかなの)
俺様はバイトの入りが早番の時は9時起きで、通しでやると店が終わるの11時だし、それから毎晩夕食会があって、それが大事な食料確保の時間だったからね、無理してでも遅番まで通しでやったもんよ。でも帰りは終電だし、コインシャワーに寄って帰ると家に着くのが深夜1時ちょっと過ぎくらいなんだわ。だから少しでも多く寝ようとロクに何もしないから、寝る為だけの我が家ですわ。その日も、さっさと身体を休め眠りに就こうとすると
そこに鳴り響く大合唱(アコギ入り)で、流石に連日連夜だからアッタマ来て文句言いに行ったわけよ!
そしたら、中から出て来たのが『花の応援団 byどおくまん』(知らないお友達は昭和30年代後半〜40年代前半生まれの人に聞いてみよー)
でも、こっちもアッタマ来てるけど、玄関先では見えぬ死角にこーゆーのが4〜5人居たら返り打ち決定だからな。とシュミレートして口から出た言葉が
「あのー、うるさくないですか?」
何の確認や!
ヘ、ヘタレやんけ!俺様!
がはははははははははは!いーのいーの!なんだか急にガンジーになっちゃったんだもん。
まぁ、応援団(かどうかは知らんが)も以外にも素直に「ごめんねぇ」と謝って来た。その日は流石に歌声も治ったが2〜3日後には完全復活遂げてたけどな。
もう『触らぬ神に祟りなし』ですわ。
でも、その部屋より1部屋手前の若夫婦は1週間に最低2回くらいは怒鳴りあいの喧嘩してた。赤ん坊の泣きわめく声と庭に放り出された無惨な家具や食器なんかを見ると怖くて注意にも行けなかったよ。なんだか東京ってスゲーなと思いながらも、結構楽しんでやってた。
こっちも開き直って、休み前とか夜中にステレオをガンガン鳴らしてたしな(笑)
もう20年前なんだなぁ。現在のマンションに来るまでにもう1件挟むんだけど、それはまた今度(え?続くの?)
(2006.ホワイトデイ)
こんばんは
3月初の更新ですな。
3月かぁ....俺様が手伝いの親父と兄貴と一緒に大型トラックに揺られて田舎から上京したのも3月。9日だったかなぁ?記録的な大雪が降った翌日だった。
あれから、もう20年経つのね。
10年ひと昔なんて言うけど、その倍だもんねー
そら髭にもうっすら白髪も出ますわ。
上京して、右も左も分らない東京でまず就いた仕事が、渋谷の道玄坂にあるラーメン屋とお好み焼き屋の掛け持ちバイトだったんだけど、楽しかったねぇ。
現在はもうなくなっちゃったんだよなぁ
風俗なんかにも出前に行くんだけど、そういうとこではハレンチなお姉様に出迎えられたりね。
田舎者の上、10代の俺様には刺激が強かったわぁ(笑)
その風俗の中に(現存するので名前伏せるけど)Mちゃんと呼ばれている店長が居たんだけど、怖くてねぇ。出前の電話を自分で掛けて来るんだけど、不貞腐れたドス声でいつも決まって「みそスープとごはん」って言うんだ。その店のメニューには“みそスープ”ってないのよ。
で、俺様が電話で狼狽えてると、ウチの店の店長が鍋を振りながら「Mちゃんだろ?わかったって言って」言ってくる。
なんだよ、あんのかよ!みそスープ!つーか、前もって言ってくれよ、あるなら!まぁ、みそラーメンの麺抜きなんだけどね。
一緒に勤めてた先輩は、とあるマンションに出前に行ったら完璧に“その筋”の事務所だったって事もあった。で、エレベーターで帰ろうとしたら、筋者っぽい人が一緒に乗り込んで来てね、その先輩は長髪だったから声を掛けられたらしい
筋モン「おう!あんちゃんバンドやってんのか!?」
先輩「はいっ!」
筋モン「俺もやってたんだよ!」
先輩「そうなんですか!楽器は何を?」
筋モン「ギター」
と見せられた指には指が3本しかなかったって。
「現在は無理だな」と笑ってエレベーターを下りて出掛けたそうだ。
これね、ウソみたいけど本当の話しなんよ。
でも、凄く気さくな良い人そうだったって言ってたなぁ。俺様はその人には会わなかったけど会ってみたかったね。
もう一件お得意先に雀荘があるんだけど、ここの店長は注文で何言ってるかわかんねーんだよ。「○×ΞΧγπΘжйВЮ餃子∇ζΨ」みたいな感じで
ほぼデスメタルな感じのディストーションヴォイスなもんで“餃子”だけは聴き取れるんだけど、ほかは「がっでむさのばび〜っち!」にしか聴こえないのよ。
で、俺様が電話口で「すみません、もう一度お願い出来ますでしょうか?」と繰り返してると、また店長が「T(現存するので伏せる)だろ?」直接行って注文取って来て!」
んも〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!だから先に言えよ、そういうのが居るって!
そんな感じのお得意様が他にも沢山ある楽しい職場だったなぁ。
その店には半年ほど御世話になった頃、なにやら店の雰囲気が俺様に“調理師の免許をちゃんと取りなさい”的な空気になって来たのと、鹿鳴館での仕事が決まったので辞めてしまいました。ラーメン屋目指して上京したわけじゃないかんね!
取り敢えず今回はこの辺で、さようなら
(2006.3.6)
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