食物連鎖の頂点


お母さん、「食べ物はよく噛んで食べなさい」って僕に言ったよね。でも何だか食事の準備するのが面倒くさかったみたいで、炊飯ジャーで玄米粥を炊いたよね。お母さんはそれを「食べ物は薬だと思って飲みなさい」と言ってくれたよね。僕は玄米粥を噛むべきなのか飲むべきなのか、TPOにあわせるべきなのか、お母さんの部分入れ歯の事情に合わせるべきのなか、要はTPOなのだけれども、そういうお母さんの部分入れ歯な身の上を考えたら、噛むべきとか飲むべきだとか、そんな事に躊躇してふさぎこんでも答えはナッシングだったんだね。お母さんの部分入れ歯はきっと高価な墓石よりも大事なのかもしれないけど、お母さん、ちょっと最近、声が大きいよ。きっと耳が遠くなってて音のバランスとかまるで解ってないロックンローラーを気取っているのかもしれないけど、お金の話をする時とか御近所さんに聞こえるくらいの大声で話すのはどうかと思う。その、つまり、僕の家の内情を御近所さんが知ったらちょっとアレじゃない。お母さんにもきっとお母さんなりの建て前があると思うんだ。今のお母さんの声のボリュームだとお母さんの建て前が御近所さんの前で通用しなくなってくると僕は思うんだ。そもそも今まで通用していたかという話になれば難しいけれど、お母さんはよく白髪の鼻毛が出ているから建て前を通用させるとかそういう以前の問題だと思うんだ。
お母さん、今度その鼻毛を切らせてください。きっと鼻毛は出てない方が素敵なんだと思います。その、つまり、みんなが鼻毛ボーボーでネクタイやブローチをする社会ならともかく、鼻毛出してネクタイやブローチなんて今の社会だと、きっとナメられるんだよ。僕もそうなんだけど一回、その人をナメると後々までその人をナメやすくなっちゃうと思うんだ。それは自分にとってとっても都合が良さそうで、実際は違うと思うんだ。孔子さんもほら、君子三日合わざるば瞠目して待つべしって言ってたみたいで、なんちゅうか、一度自分の中で定義した物の認識っていうのは修正きかすのが難しいんだ、大体は修正きかすとストレス溜まるから修正しないまま突っ走っちゃう、そうなると、どんどん自分がみじめに思えてきて、つまり、そんな事、本当にどうでもいい話で、お母さん、今度、鼻毛切るので待ってて下さい。軽はずみな発言は控えたいのですが、いざって時にやっぱり、鼻毛出て死んでてほしくないって大体の人は思うと思うんだ。でも、そんな事どうでもいいから、鼻毛切ろう。ね、きっと、鼻毛切ったら世界が360度変わるよ。大体の事を見回してもっかいお母さんとして生をまっとうできるよ。だから、御願いだから鼻毛とか切らせて下さい。あと、部分入れ歯の問題とかきっとあるんでしょうけど、なるべく食べ物はよく噛んで食べてください。御願いします。