弐〇〇壱年五月十二日 於新潟Z−1
「奇々怪々」

本日の演目
百人浜

新曲(タイトル未定)
新曲(タイトル未定)
百人浜
水色の涙
明鏡止水
我三界に棲み処なし
花火
かごめかごめ変奏曲
諦念プシガンガ


羅宇屋。らうや。ある夕暮れ、
日課となりつつある散歩も終わり何時もの如く道に迷った私は
知らず知らずのうち椿屋敷に、青白くおぼつか無い役立たずなこの足を踏み入れていた。
そこには、このまま全てを溶かしていってしまうのでは無いかという程
爛れた夕焼けの橙を見詰めながら、
ぽつねんとしゃがみ込む幼子の影三つ。
そのうちの一人は今にも消え入りそうな声で確かにこう言った。
「羅宇屋の羅宇はキセルの吸い口と火種の間を繋ぐ管の事。そしてそれは、あの世とこの世、想像と現実を結ぶ管。」
……今となってみれば、あれは本当に幼子だったか。
千羽鶴に小さな躯を雁字搦めにされたあの影。
あれは本当に…。

静かな、それはとても静かな。
響き渡る七色の鐘の音。
それらの音の重なりは今宵、薄暗く小さなこの牢屋に自ら囚われる事を
良しとし集ったまばらな人々を、行灯部屋へと誘い込む。
はて、何か奥で童歌とも童謡ともつかぬ澄んだ歌声が聴こえる。
あらら、今宵はこの甘美で残酷な牢獄の中に先客がいらっしゃる模様。
無造作に置かれた朱の番傘や〃羅宇屋〃の三字が書き染められた長半紙、
以前何処かで見たような千羽鶴とちょこんとあしらわれた桜の花々。
それらに見入っているうちに、無邪気なじゃれあいに興じつつ
着物をはためかせながら名古屋嬢主であられます椿屋敷静暮嬢と
その妹君椿屋敷きよ嬢がようやく姿を現した。
忘れては成らぬもう御一方椿屋敷名和眠嬢はアコヲディオンを大事そうに胸に抱き、
やんわりとその頬を赤らめたかのような桜の前へ。

気まぐれな戯れ合いにも飽きたのか、
幽玄な低音が何処からとも無く空気に浸透し始めると
静暮嬢の紅に染まった唇が紡ぎだす『仮題』。
凛と澄み切った力強さと遠くを刺すような声音。姉様に続くように血色の防毒面の下、
旋律をなぞるきよ嬢。そして生まれる和声閃く赤扇子。
【貴方の海です 貴方の空です 積年の思いは見事波と砕け 貴方の心に泣くのです 百人浜は泣くのです】
きよ嬢作の口上を挟み二つ目の『仮題』へと。
「恋し 愛し あの人いずこ」。潤んだ目と時折上擦る声で発せられる言の葉。
おしろいでは覆い切れぬあどけなさを残した静暮嬢の腕は「あの人」だけを探し求める。
そんな姉様にそっと寄り添うように名和眠嬢が自らの喉から鍵盤から音を引き出したかと思えば、
あちら側でひらひらと殺気立つきよ嬢。
それらがあまりに胸に刺し迫って来たものだから、私の淀んだ二つの窪みからぽろぽろと液体が零れ落ちてしまう。
続いて今宵のお題目でもある『百人浜』。
打ち込まれた節奏に融合する事無く独自に進行するノイズギタァにからまる、
きよ嬢と名和眠嬢の脆く儚い声と声。
静暮嬢は種種多様な色味を帯びる。本日二度目の口上が消え入ると『水色の涙』。
場の緊張感を一瞬のうちにして律する御琴の音に率いられ伸びる声。
本来無色透明である筈の水に色を与えるのは他でもない何時如何なる時も私たちの頭上にある、青。
いくらこの手を伸ばした所で絶対に願いは散る定めの、あの空。
時代という人間が勝手に決めた括りに到底動じることの無い、美しくも残酷なあの青空。
叶う事の無い願いと知りつつも零れ落つ、水色の涙は何を映す。
さて、次に私たちの目の前に繰り広げられた情景は
静暮嬢の童心とそれに相反するかのような艶が見え隠れする『明鏡止水』。
誰もが一度は耳にした経験があるだろう
「うーさぎうーさーぎっ、なーにーみぃてぇーはぁねぇるーっ」
のあの曲を中心に据えた羅宇屋版、
時には物心付くか付かないかの子供の無邪気さで、
かと思えばアバズレじみた狡猾さをのぞかせながら歌う静暮嬢。
圧倒され気味の観客とは裏腹に彼女自身は
自らの色分けを楽しんでいる御様子。
緋色をした着物の裾をはためかせながら。
【時には怒りもするでしょう 時には泣きもするでしょう されど、常に心には、細い微笑を絶やさぬように】
そして続くは『我三界に棲み処なし』。
電子的手段と経験則的な拍節とを巧妙に融合させたハウスのリズムで徹底的に遊ぶ。
悩ましげでありながらも何かにいきまいているかのような静暮嬢の滑らかな旋律。
「死んではならぬ 死んではならぬ 生きて地獄を見届けよ」、
繰り返されるこの言葉の救い様の無い重さがあるからこそ、打ち込み故の音の軽さが生きてくる。
その対比がまた面白く、羅宇屋の独自性を担っているように思う。
途中、滝廉太郎の〈荒城の月〉といった歌曲をコラァジュしてみたりと実験的要素も多分に含まれて。
静暮嬢は繰り返し言う、
「あんたの言ってること全然わからないのあたしにはさっぱり」。
水色の光に照らし出されれば幼女に、赤色の光に包まれれば妖女にと、
変幻自在の己の声に自覚的だからこそ聞き手は惑わされる。
そして時たま垣間見せる白痴とも見紛う素振り。
観客は完全に椿屋敷の奥の奥まで覗いてしまった。
あぁ、行きはよいよい帰りは怖い。
お次は羅宇屋にしては比較的ストレェトなアプロォチが特徴的な、ロック色強い『花火』。
突っぱねたようにこじゃれた声を響かせる静暮嬢にその名の如くノイズギタァを毟るきよ嬢、
悲壮感こそ無いものの本来自分が居るべき場所に想いを馳せているのだろうか、
アコォディオンを携えて名和眠嬢は遠く遠くを眺めやる。
キセルの煙がもくもくと聴衆を取り巻きだすような幻が生まれた頃合に聞こえた、
語りべの最後の一説は
【なつかしい心の砦を崩す音】
そして『かごめ』。
昔々から伝わる児童の遊戯の代名詞と言っても過言では無い籠目籠目。
一見何の疑いようも無い微笑ましいお歌ではあるが、
詞を詩として読み解く作業に至って気が付くのは、
そのあまりの縁起の悪さに伴う不可解さ。
諸説は数限りなくあるようだがそんな現世のオアソビはこの際ほおっておくのが賢明。
なぜならば私たちの目前色とりどりの扇で舞う嬢主三人を御覧。
先程までは成熟した艶で見るものを釘付けにした静暮嬢は
すっかり元の幼子に戻ってしまったし、
表情を絶対露にしないきよ嬢の感情が少しでも表れないかと
真っ赤なその瞳を見やれば破壊衝動が見え隠れ。
無表情さと素っ気無い仕草がかえって印象的な名和眠嬢が奏でる音たちは、
何処と無く懐かしく。
幼稚でまだ何も知らない静暮嬢のたどたどしい高音と、
狂気を進行させつつも静寂を守るきよ嬢の空恐ろしい低音が
この曲の全てを物語っているように思えた。
「うしろの正面どの正面」…。
さて、名古屋嬢主である三人がそろそろ元の場所へお戻りになられる時間が
刻一刻と近づいてきたようだ。
そこで今宵の宴を締めくくるは戸川純の『諦念プシガンガ』。
静暮嬢が「今日はかわい子ちゃんが二人ゲストできてくれてます」と告げると
姿を現したのは本家を百倍にしたような(←嘘)犬神凶子氏の姿を
無理矢理模した犬神イチ子、こと
今宵の催しの主催者でも在らせられる毒殺テロリストのイチロウ氏(横笛を吹きつつ登場)、
そしてANTI-KRANKEよりいらっしゃいました
立ち姿自体既にオーラを発しデスメイクが過ぎるほどに
似合う椿屋敷バニラちゃんことバニラ嬢のお出まし。
こういった何が起こるかわからない即興性がイベントの醍醐味だ。
湧く観客をしかと見据え落ち着いた声で「参ります」とは静暮嬢。
もつれる様なギタァは名和眠嬢、重たくたどたどしいドラムはきよ嬢によるもの。
お互いの顔を見合わせ照れ笑いを隠し切れない二人が懸命に
それぞれを爪弾く姿は微笑ましいの一言。
そんな妹君達と対照的なのは舞台前方、
スティックを頭上で交差し打ち付け続ける椿屋敷長女。
瞬きすること無く一点を見詰め腹の底から声を出す。
「ライラライララーイ ライラライララーイ 我一塊の肉塊なり」
と声も高らか、宣言するかのよう。
コォラスで参加のバニラ嬢がその存在感と声音でもって
椿屋敷の新たな側面を引き出してみせると、イチ子もおぼつかないながらも頑張る(笑)。
会場は大きなイチ子ちゃんやすらりとした黒装束も素敵な
椿屋敷バニラちゃんに魅せられながらも、本家本元椿屋敷に食われる。
そんな楽しい演奏も終焉を迎えぼそり、「ありがとうございました」と姿を消す静暮嬢。
いえいえこちらこそ良いものをみせて頂きました、
などと返す間なんて当然有らず気づくと再び不思議な低音が
この行灯部屋を覆おうとしている。
そんな経験をかつて致した事が無いので比較の仕様が無いのだがしかし、
狐につままれるとはこういった事ではなかろうか。
行灯部屋と思い込んでいたこのハコだが、それは私の早合点。
なぜなら遊郭で遊んだはいいが伴う金を払えず支配人に閉じ込められた人々が、
こんなにも晴々とした微笑を浮かべるはずも無い。
思えば歌うたいのあの少女、何処と無く狐のようだった。何時か確かに聞いたあの声。
幼くも力強いあの声。
「羅宇屋の羅宇はキセルの吸い口と火種の間を繋ぐ管の事。そしてそれは、あの世とこの世、想像と現実を結ぶ管。」
現世こそ夢 夢こそ真。それでは皆様おやすみなさい。

                                   襟架


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