Last Update:5th,Sep,'99(Sun)
音楽ホール
今回も音楽の理論臭いところから離れようかと思います。
今回はとっても個人的なことです。「俺の家からピアノが消えた」

 私の家にピアノがやってきたのは私が3歳か4歳の頃だった。
 三木楽器のアップライトを中古で購入した。
 自分の家にピアノを置くのが父の夢だったのだ。
 私がピアノを習い始めたのは6歳からだった。
 そして5年かけてやっとバイエルが終わるか終わらないかという情けないものだった。
 練習を嫌う性格はそのころからのものだった。
 やっぱり、一週間に一度しか触らなければその程度しか進む訳はないと思う。
 それでも、ピアノがあるおかげで、私は人より若干優れた音感を身につけることができたんだと思う。
 ピアノを11歳の時にやめてから、ぱったりとピアノに触らなくなった。
 そのころの私は他のもの-演劇とか、合気道とか-の方が忙しかったからだ。
 そして、中学になって、吹奏楽部に入った。
 そこは、ピアノの世界とは違った世界だった。
 いくつもの「ド」があり、音程を合わせるのに一々苦労する世界だった。
 練習嫌いの私はそこで、落ちこぼれた。
 ある日、私はピアノを弾いてみた。
 もちろん、指はガチガチで動かないし、鍵盤がとっても重く感じた。
 でも、何か安心できるようなどっしりした安定感が私の心を包んだ。
 すると、私の内側から何かが湧き起こった。いや、何かが降りてきたと言うべきなのかも知れない。
 そして、少しずつ、その何かを追いかけるように鍵盤を押していた。
 それが、私が作曲を始めた瞬間だった。
「誰にも勝てないなら、競争しないところで頑張ればいい。」
 こうして私は、ピアノと新しい関係を築いた。
 私が右手小指の骨を折った後、固まった関節を動かす練習にもピアノを使った。
 小指のみならず薬指や中指まで動きにくかったときにもピアノを少しずつ弾いて関節をほぐした。
 やはり、そのときにもピアノは絶えず新しい曲を紡ぎだしてくれた。
 そのピアノは、もう私の家にはない。
 無くなった。
 現在寝たきり状態に近い祖母が我が家に来ることになって、そのベッドを入れるためにピアノが邪魔になったためだ。
 今まで18年間ありがとう。
 俺は決してキミにとって良いプレイヤーでもユーザーでもなかったかも知れない。
 でも、俺にとっては君はとっても良いパートナーだったんだ。
 できればスクラップにならずに東南アジアあたりで第二の生活を送って欲しいんだ。
 そして、Rand\ってヤツが作った歌の薫りを一片だけでも届けて欲しいんだ。
 18年分の感謝と感慨を込めて。

あなたの夢が紡がれますように


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