Last Update:3rd,Jul,'99(Sot)
音楽ホール
今回は、久しぶりに音楽の理論臭いところから離れようかと思います。
今回のテーマは、「音楽の授業好きでした?」

 音楽の授業と言えば何を思い出しますか?
 やっぱお歌の時間ですかね? 楽器を少しだけ弾いたこともあると思います。
 定番は鍵盤ハーモニカと縦笛ですね。ギターを弾いた学校もあるようで菅間だ少ないのではないかと思いますがいかがでしょう?
 それは悪くはないとは思うんですが、何でやる曲が決まり切ってるんですかね?
 まず、全学年通して言えるのは、いかにも「文部省唱歌」という感じの歌唱曲。
 そして、小学校3年生くらいから高校3年生までの間、必ず2,3回は歌いませんでした? フォスターとかバーンスタインの歌。
 で、決まって自由曲とか参考になる曲で教科書の真ん中か後ろかに小さく、カーペンターズとビートルズの歌がポップスの紹介として載ってるんですよ。
 もちろん、ほとんど歌いません。
 世界の歌って項目がありました? あったとしてせいぜい「コンドルは飛んでゆく」と「トロイカ」ぐらいしかないですよね? もちろん、韓国の「イジンガン」とか、面白い曲はあるハズなんですが。
 日本の民謡なら「竹田の子守歌」、「ソーラン節」、「谷茶前」がいいとこ。
 近現代の歌でも山田耕筰、滝廉太郎この辺が良いところ。
 あとは西洋のクラシックですか。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ワグナーこれが中心ですか。
 それと、せいぜい交響曲の観賞が2,3回。
 そりゃ最近は、チャゲアスとか小室とかが入りだしたとはいえ、基本的には歌わないか1回流すだけだし。
 これがだいたいの音楽の授業内容です。
 これに「世界の楽器」とか作曲者の写真とか音楽記号、用語の説明があって簡単な器楽曲で終わりかな?
 ……これだけで、音楽の何を教えたいんですかね?
 これで音を楽しめるとでも思ってるんでしょうか?
 不思議ですね。
 これを何年も続けてゆくわけですよ。
 まるで、これらの他には音楽というものは存在しないかのように。
 これからは君が代を毎回時間の最初に練習することになりそうですし。

 そうそう、笑える話がありまして、何でも、音大の友人によれば、小学校終了時点どころか中学卒業時点の音楽の習熟度ではSPEEDや宇多田ヒカルは歌えないらしいです。
 で、書くまでもありませんが、あんな単純に作ってるにもかかわらずBlue Heartsやウルフルズ程度の曲も作れません。
 当たり前です。作曲そのものを教えないんですから。
 つまり、その程度の教科なワケです。
 いったい何のためにあるんでしょうね?
 他の図画工作・美術とか、書道なんかはちゃんと自分で「創り出す」ことが授業の中に取り込まれていますよね。
 音を出す楽しさや、音楽を奏でる嬉しさを学校では教えてもらえないんです。
 音楽の授業を語るとき私は良くこういいます。

外に行って音を写生する授業どっかにあらへんかなあ?

 つまり、そういうことです。
 ただ、逆に考えると、学校ではこれっぽっちも音楽を教えてもらえないだけに自分で音楽をやろうと思ったらいくらでも学校に毒されずにできるんです。
 例えば、今でも続いている「電子楽器の是非」を論じる場所ではそうです。
 学校が無視し続けているからこそ、自由に意見が出て来るんです。
 そして、本当に音楽が好きな人しか音楽を作りませんよね。
 これは、何となく絵を描いたらうまいと言われたからプロデビューした式の作者や作品の数を激減させてある程度本気の作者や作品を集める作用を持ってます。
 つまり、作曲する、と言うだけで既に第一の敷居はまたいでいるのです。

 しかし、あくまで「情操教育」という観点の上に立てば、現在の学校教育は間違いだらけなワケです。
 耳から受ける刺激というのは、ほとんど一生付き合う刺激に数えられるでしょう。
 それを楽しむと言うことは一生楽しむこととも言えますね。
 それを教育すると言うことはとても重大なことです。
 一生に幾ばくかの影響を与えることでもあります。
 もっと、学校教育の毒素から解放されて豊かに音を楽しめるようになりたいですね。

あなたの夢が紡がれますように


Rand\にMAILを送る
バックナンバーへ

玄関ホールに戻る