音楽ホール
ある事情でもう1発アップする。 どうせリアなんぞは来ないだろうが意見があればメールにて。

 友人(水無月 純さん)のHPにある掲示板で、「ヴィジュアルの奴等のやってるのはロックじゃない。「ぞうさん」からやり直した方が良いんじゃねーのか」

という趣旨の書き込みをしてド顰蹙を買ってしまった。(当たり前だろ!!ドアホ>俺)

 で、その人から、「何故に「ぞうさん」からやり直さなければならないのか」という趣旨のレスがきた。

 それを見た瞬間書き方マズったことに気付いたね。彼は完全に「ぞうさん」をネガティヴなものとして認識してしまっている。

 あの歌がそんなにレヴェルが低いものに見えてしまっているとしたら彼はとてもひどい勘違いをしていると言わざるを得ない。

 いや、これは童謡の一般認識への挑戦にもなるだろう。間違った音楽観を矯正させるのもこの評論の眼目である。(言って後悔しそう)

 さあ、今回は「童謡」というジャンルを斬りに行きたいと思う。

 まず、例に挙げた「ぞうさん」は日本の音楽界でもVIPな存在である團伊玖磨とまどみちおの作である。

 内容を分析してみると、実に良くできていると感心してしまう。

 まず、何がすごいと言ってたった8小節の中に作曲をやる上で必要とされる音楽理論にたいしてものすごく忠実に作られている。

 そして、作曲技法の基礎がおよそ全て入っている。

 この曲は作曲を勉強する際に最も優良な手本である。

 例えば、音声学的に見ると、a、e、i、o、uの内長く伸ばすと汚く聞こえる音の存在に注目する。

 その音とは「i」の音である。

「ぞうさん」では伸ばす音に「i」の音は徹底的に排除されている。

 音を伸ばすという行為はその小節、フレーズの中で強調したい音が来る。

 その音を歌を入れたときに壊されるのは望ましくないのである。

 まだほかにも色々あるが音楽理論についての講義をやるつもりはまったくないのでここでは割愛する。

 が、何故こんな名曲たちが余りにも軽んじられるのか。

 どうやら余りにも安直に聞こえることも原因の一つなのでしょうね。

 都会の孤独やら恋やらストレスやら大人として触れ合うたくさんの出来事に対して「童謡」は余りにも無垢であり過ぎる。

 そこが「童謡」から大人たちを離れさせることになったと思うのだが。

 しかし、無垢だからこそ安らげる音楽になることができると思わないのかなあ。

 とか言いながらも俺が「童謡」の優しさに気付きその音楽を目指し始めたのもまだほんの2年前なんだけど。

 ……で、本題に戻ろう。

 今現在私が持っている結論から言うと、「童謡」を音楽の至上とする考えではないにしろ、

今ラジオやテレビで垂れ流されているほとんどの音楽より素晴らしい要素が多分にあるのではないだろうか。

 もう一度、童心に返ってみても良いんじゃないかと思うと同時に、

音楽を作っている人達は、もう一度自分の音楽の意義を見詰め直し、その上で「童謡」を自分の中で再評価する必要があると思う。

 そして、

私は「童謡」を永遠の目標の一つとしていつも向かい合っている。


あなたの夢が紡がれますように
 

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