音楽ホール
ある事情で、今回は急遽「ヴィジュアルロックの功罪」とでも題して、彼らの音楽を斬って行こうと思う。
注、ここで「バンド」という言葉が出てきますが、草の根の地道な活動をしているアマチュアバンドも含みます。
今回は前にも増して論理構造がガタガタです。これは私の劣悪な執筆環境が主な原因です。
ご了承ください

「ヴィジュアル」という分野のロックが出てきたのはいつ頃か私は知らない。

ただ、ミュージックシーンで台頭してきたのは大体2,3年ぐらい前だと記憶している。(この辺もやはりあいまい)

で、彼らの音楽とはどういう物かを総括するのは、15年前のロック分類ならいざ知らず今の分類ではやはり難しい。

共通しているのは、「ヴィジュアル」の名前のとおり、「見た目が美しい(という事になっている)」所である。

その「見た目」というのも線の細い男性が真っ白に顔を塗って、髪の毛を華やかに染めて、

原色のキラキラした衣装で着飾って…とオリジナリティーを追求しつつもある意味ほとんど似ているようだ。

つまり…あえて長い間マカり通っていたロックの分類でいくと「ルックスはハードパンク、楽曲はポップス/歌謡曲」という分類になるだろう。

例えば、いつの間にか「ヴィジュアル」に入っているらしい息の長い"BUCK-TICK"なんかは最初「パンク」だったことを思い出して頂きたい。

・・・で、問題の「中身」の方はやっぱり「歌謡曲」である。

これを読んでいるあなたがたはどう思っているかは知らないが、

一度でも本気で(売りこみをしているような)バンドをやっているなら、大体の人が、こういう感想を持っている。

例えば、私が知っているハードロックのバンドをやっている人は、

「死んでもあれをロックなどとは呼ばせない」とワメいたことを人づてではあるが聞いている。

私はその人の音楽を「音を凶悪に歪ませることでしかロックを表現できないヤツ」として軽蔑していたのだが、

さすがにそういう人達でも「ヴィジュアル」に対しては辛い評価を与えている。(もちろんその人と意見が合ったのは初めてである)

T田君、予告どおり載せました。(まさかこんな載せ方だとは思わなかっただろうが)もし見ていたらメール下さい。
対決に応じますので(キサマの腐りきった音楽観をブッ潰してあげるよ)

閑話休題。で、そろそろ問題の「中身」について検証してみると、

 



などが上げられる。

最初の2点は、まあ最近は一般化しているが、これはある意味重要かもしれない。

特に2つめは。

「ヴィジュアル」に限ったことではないことをもう一度述べた上で、尚言うと、「バンドにおいて何もかもヴォーカルとリードギターの言うがまま」である。

極論を言うとこうなる。もちろん現実はこの限りではない。むしろ全然逆のことが起きているバンドをいくつも知っている。

しかし、「バンドでロックをやるからには俺の言うことを聞け」ホザきまくっているギタリストもそれ以上に知っている。ヴォーカリストに至ってはもう言いたくないほどそういうのを知っている。

で、そういう外道なヴォーカリストやギタリストを見ているとやりきれない気持ちが起きてしまう。

バンドはみんなのものじゃないのか?ロックはみんなのものじゃないのか?


ベースやドラムやってるヤツが曲を作ると聞きもせずにハネつける「自称ロッカー」を見ているとそんなクソ忌々しい気持ちになる。

悲しいことに、そんな悪習を「ヴィジュアル」が継承している所があるのも確かである。

でも、こんなベーシストもいる。

「ベースってな、人数足りへんやんか。だから俺もいくつか掛け持ちしとーけどな、前行った所ではあんまりヒドい音楽やっとったから『こんなんやるんやったら俺降りる』言うて脅して俺のやりたいヤツ入れさせたけどな」

…私の友人である。キャリアが長くなるとこういう痛い所を知っている強いベーシストやドラマーもいる。(チュッパチャップスじゃないんだからナメられてばっかりいられない)

でもこういうワガママはバッテリー(ドラムとベースをくくってこう呼ぶ)の場合許されるのである。

実は音楽性に深く関わっているのはバッテリーだからね。

レヴェルの高い音楽性が求められているんだからこれくらいはいいんです。

駆け出しのドラマーやベーシストはともかくとして。(とか言いながらもドラムとベースがバンドに入るとすぐに掛け持ちをすることが多いのでその分ほかのパートより鍛えられる)

で、閑話休題。後の2点について考えると、何かとても変わっちゃったねぇ、という感じだ。

今まで全盛だったのは、Mr.BigやBzなどに代表されるような「速弾きテクニック重視」のバンドだった。

この手のバンドはえてして「速弾きテクニック」くらいしかないバンドが多かったのだが、(アマチュアなんかは特に)

「ヴィジュアルロック」では「ルックス」しかないバンドが急増中だと聞く。

最近もさっき紹介した友人のベーシストにしょっ引かれて、

いくつかのバンドが共同でやっているライヴに行ってきたのだが、

正直「ヴィジュアルロック」がこんなにヒドい物だとは信じたくなかった。


いくらなんでも「ロック」の欠片ぐらいはあるだろうという私の願いは無残にも打ち砕かれた。
  1. 第一印象は、「コンな暗いステージで何やんねん(しかし…ステージって暗いモンじゃないのか?>俺)
  2. ライヴが始まってからの印象は、「うっわー、こんなヤバいバンドあんねんや」
  3. 30分後、「こんなバンドばっかりやないやろな(まだこの時点ではジョーク)」
  4. 1時間後、「まあ救いようのないバンドが前座やるのは定番やしな」(しかしすでに前座と言う時間でもないだろうに)
  5. それからまた30分後、「チョイ待てよ。お前…ダマしたな!?(横の友人に突っかかる。かなりマジ)」
  6. もう30分後、「もう…勘弁してくれ」このステージは途中退場ができなかった所がミソである。
  7. 終了後、「千鶴さん…僕を…殺してよ(謎)」状態。

一言で言うと、曲のジャンルやスタイルはまちまちだったが、どのバンドも「なんかキレイとされているらしいお兄様方」が会場を空気が歪むかと思えるほど大きな噪音(もはや楽音ではないだろうあそこまで来ると)を出し、

エレキギターを弄び舌を突き出し妙な踊りを踊っていた。

という所である。

私は、何か、音楽という大切なものを、どこかに置き忘れ去ってしまったように見えた。


そして最後の歌詞が抽象的であること。

これについては、最近のリスナー(受け手側)の好みが変わったのだろうか?

私は実体験に基づいた詞も抽象的な詞もどちらも書くから特にどうであるという風には感じないが。

そういう現象は「ヴィジュアル」に限らず色々見られる。

それでも私の印象では、「ヴィジュアル」はどんどんそういう歌詞や雰囲気を取り入れているように思う。

ネクストジェネレーションなのかな?そういう結論に今回は達した。

あーあ、しかし余りにも「罪」の部分を強調しているきらいがあるね。反省。

もちろん、「功績」も存在する。

今まで、日本のロックバンド(特にアマチュアの多く)はルックスに気を遣わなすぎた。

私も人のことは言えないが、ボサボサの髪の毛に薄汚れたバンダナでギターを鳴らしているバンドもいまだに結構あるのである。

それか似合いもしない茶パツでゲボゲボな声でシャウトしている奴等のどちらかである。

しかし、「ヴィジュアル」は、彼ら独特の美的感覚で身を包み、声の出し方や仕草の一つ一つまで「カッコよさ」を追求している。(私もまだ彼らのセンスを理解するには至っていないのだが)

その点では余りにも彼らは自分に対してシビアである。一番良い例が、ShaznaのIzamではないだろうか。

しかし一つ、大きな注文を付けるとすれば、「もっと音楽そのものに対して気を遣え!」ということだ。

もしあの音楽が美的感覚に則ったものならば、「その美的センスとやらから見直す方が良いんじゃないか?」

と言いたい。


それでなかったらせめてロックを語らない方が良いと思うのだが。

あくまでロックは「音楽」である。決して「舞台芸術」ではない。その辺を穿き違えているのではないのか?

ロックをほんとに愛しているモノたちは「単なる舞台芸術」に堕した「ヴィジュアル」を認めはしない。

それでも、ただ受けたいだけにギターを持つヤツらは簡単に「ヴィジュアル」の何たるかを考えずに「テクニカルロック」から「ヴィジュアル」に転んでいるようだが。

まあそれは半端モンのやっていることだから、まあシカトしておきましょう。


…待てよ。そうなると、プロアマ問わず「ヴィジュアルロック」っていまだ半端モンのオモチャでしかない訳かい?

つまり今は本当に「ヴィジュアル」がジャンルとして固まって行く過渡期だろうか?

もし…そうであったとしたら…さっきまでの暴言の数々お許し下さいませっ!!(ってったってまだほとんど根性入った「ヴィジュアル」は存在していないよな)

今後の成長を静観することにして、とりあえず今はここで筆を止めるとしよう。


あなたの夢が紡がれますように
 

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