Note…
ある精神病患者のタワゴト
単位もお金もはや俺には無縁なり

Last update:17th,Jan,'00(Mon)


もはやジョークになってないし。
っつーより、再開最初のNote…更新。



今日はあの阪神・淡路大震災からちょうど5年目の記念日である。
そこで、あの地震の思い出などをつらつらと書こうと思う。
別に、この話を読んでこれからの人生に役立てて欲しいとは思わないし、
別段役に立つとも思えない。

全く突然だった。眠っていたのでどういう風に揺れ始めたかは覚えていない。
が、周りの空間が悪寒を感じたように気味悪く震え出した。
そしてだんだん揺れが大きく激しくなっていった。
俺は敷き布団ごと丸まって寝るのが好きだからそのまま丸まっていた。
既に部屋の中がなんとなくぐちゃぐちゃになりそうなことは予測できていた。
せめてタンスの上から落ちてくる本からは身を守ろう。
そう考えて敷き布団ごと部屋の片隅のタンスにぴったりとくっついた。
それは半ば本能だった。
ドサドサと何かが大量に落ちてきた。
ただ丸ムシかアルマジロのように丸まっていた。
タンスは倒れてこなかったようだ。
なぜなら、相当むくむくになっていた布団の簀巻きが倒れるのを押さえてたためだった。
揺れが収まってもすぐには動けなかった。
まず、物理的にちょっとしんどかった。元々丸まっていたので完全に封じ込まれてしまったのだ。
次に、すぐには動く気になれなかった。またいつ揺れ出すか分からない。
ならば布団と上から落ちてきたもろもろで守られている今の方がはるかに安全である。
ちょっと重いけど耐えられないわけじゃない。
やがて、オヤジが上に上がってきてくれた。
まず俺の部屋を空けて絶句。そりゃそうだ。
自分が集めまくった油絵の額に息子が完全に埋もれていたのだから。
仕方がないので妹の部屋に行く。取りあえず無事のようだ。再び俺の部屋で救出作業。
取りあえず何とか首が出せるくらいまで発掘してもらった。
「大丈夫か?」
「うん、おはようそっちは大丈夫?」
「出れるか?」
「出てみる。よいしょっと。ありがとう」
………………それほど話をしていないわけじゃないが、ここ10年で一番親との絆を感じた会話だった。
出て見てとても驚いた。
部屋が、文字通り廃虚になっている。
って言うかよく生きて出られたな。
そして、この時になってひたひたと死の恐怖が押し寄せてきた。
そして、その日はちょうど、修学旅行の1日前だった。
本来なら学校で2年生だけが運動場か体育館に集まって、
校長先生のお言葉を頂戴する日だったはずなのだが、
学校までもが壊れていた。
「本日は休講いたします」
と書かれた紙を貼られた校門に何とも言えない薄ら寒さを覚えた。
帰りは、自転車で、色々な所を見て回った。
民家のほとんどが瓦を落としていた。
道路はひび割れて自転車では危ないところもあった。
そして、家へ帰ってきたら、阪急伊丹駅がくしゃっと潰れているテレビの映像が流されてた。
我が家からたった南に300mのところである。
慌てて見に行った。
既に水道と電気は復旧していたからである。
阪急伊丹駅は当時3階建てで南北に細長く伸びていた。
そして1階と2階部分がショッピング街、3階がプラットフォームだった。
その駅の1階と2階部分が潰れて東側に傾いていた。
その一番潰れていたところに交番があったのだが生き埋めになってしまったらしい。
我が家と駅の間にある小学校は、ほぼ伊丹市のど真ん中にあるのだが、
4階部分から瓦が落ちてきたのだ。
ナンでも民家に欠片が飛び込んできたそうだ。
家に帰ってみると、ウチの親は心得たもので、電話線が復旧するやいなや工務店に電話していた。
おかげで、ナンとか早い内に屋根を修理に来てくれるとのことだった。
それに、防水シートも持ってきてくれた。
夜は恐かった。
揺れ戻しか来る度に、体がすくんだ。
低い、地盤のうめきが聞こえる度に体が固くなってしまう。
それは、ずいぶんましになったとはいえ、今でもある。
地響きが聞こえると、急に聴覚がとぎすまされて鳥肌が立つ。周りの状況を窺ってしまう。
動悸が激しくなり、叫びたいのを懸命にこらえる。
あと何十年経っても、このクセは抜けないかも知れない。
部屋を片づけるために一晩中起きていた。
恐いので寝られなかったのもあるが、物理的にも寝られる状態じゃなかった。
一晩中ラジオを点けてた。
少しでも気が紛れるのは確かだった。
次の日は何とかホームルームだけやってあとは大掃除をやった。
その時のクラスメートの何人かはこのように愚痴っていた。
「修学旅行行かれへんのかな?」
「スキーやりたいわ〜。ナンかムカつくなあ」
所詮身の危険が過ぎればこの程度なんである。
周りに大怪我をした親戚がいる人もいるのに優雅なものだ。
「積立金返してもらわれへんかなあ」
と大声で言っているヤツもいた。
…………まあ、そうなんだが。今更言ってみてもしょうがないだろう。
しかし、みんな、何か怒りっぽくなってるのは確かだった。
何か苛立ちを隠せなくて、何かに当たりたかったのかも知れない。
でも、その時はそんな風に思いもしなかった。
2,3日はそんな感じだった。
しかし、本当の災害は複次的災害にあった。
今もそこかしこで続いているのは書くまでもないと思う。

Y2Kで今回色々騒がれたが、これだって立派な災害だ。
現在、あまり影響は出ていないようだが、それだって本当に大丈夫なのか怪しい。
全て、儚い偶然の均衡の中でのことだからだ。
俺だって、あのときあと10cm真ん中で寝てたら、確実に死んでいたんだ。
偶然俺が起きることができて、偶然布団にくるまって寝るクセがあって、偶然タンスの横で身を固くして……
全て偶然の均衡の産物だ。
安っぽい運命論を振りかざすつもりはない。が、自分が今、生きるためにいくつかの選択肢を持っているのも、その中の一つを選んだときも、そのあとも、やっぱりなるようにしかならないのだとも思う。
でも、どうせそうならば、後悔の無いように自己満足でも納得のいく生き方をしたい。

偶然が〜い〜くつも〜重〜なぁりあぁ〜って〜♪

あなたの夢が紡がれますように。

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