ランドゥーガ研究会 トップページへ JAZZLIFE誌掲載記事のスクラップ 目次ページへ
JAZZ LIFE 1990 12月号

佐藤允彦 「ランドゥーガ」を追う
これからがおもしろいランドゥーガ

解き放たれた佐藤允彦のランドゥーガは、留まるところを知らない。 佐藤允彦の頭の中では、もう次のランドゥーガに向けて着々と構想が進んでいる。 次なるランドゥーガに備えて、「ランドゥーガ」の意味」をもういちど確認しておこう。
取材:久保田晃弘

継続することがたいせつだ

――ジャズライフが追っかけてきたランドゥーガが、セレクト・ライヴ・アンダー・ザ・スカイで音になって、それがCDになってというところまで来たんですが、ランドゥーガは決してあのプロジェクトの名前だったとか、新しいリズムだとか、音の重ね方だとか、そういうものではないわけですよね。  すると大切なのは「1発だけやる」ということではなくて「継続すること」だと。そのあたりをまず確認しておきたいと思います。

佐藤:そうですね。ランドゥーガは、そのとおりまったくシステムの問題ではない。  ハーモニーとか、使っているフレーズだとか、譜面の使い方とかそういう考え方自体はもうそこらじゅうにあるものだし、コロンブスの卵にも相当しないようなものだと思うんです。

――つまり、ランドゥーガとは、そういう譜面とかハーモニーとかのシステムのことを意味しているのではなく、音楽を作っていく場合のプロセスのことを意味してると。

佐藤:そうです。ランドゥーガというのはただ単にグループの名前とかいうものではなく、ひとつのフィールドの名前、昔でいえば流派の名前なんです。

――じゃあ、裏ランドゥーガとかができたりして(笑)。

佐藤:ランドゥーガ○○派とかね。そういうようなものになればいいなと思っている。 要するにム−ヴメントになったらなと。この方式で他の人がやれば、それもランドゥーガになるというふうにしたい。

――「本家ランドゥーガ」みたいに認定していくとか、暖簾分けするとか……。

佐藤:いや、そういう「天皇制」はない。ともかく音楽そのものが天皇制とか専制君主みたいなものを廃したものですから。  だから、もしランドゥーガのノウハウを知りたいという人がいれば、どんどん公開していく。

――ノウハウとしてのランドゥーガというかプロセスとしてのランドゥーガをまとめてみると……。

佐藤:ぼくが思っているランドゥーガは、人数がどういう状態になってもできるということ、ものすごく規制が緩やかであるということ、みんなが何をやっても基本的にはいいのだということ、ハーモニーということを考えないこととか、いくつかあるわけです。  たとえば次に別なメンバーを集めてランドゥーガを演る場合に、今回のCDに入っている曲もやりますが、ひとりでもメンバーが変わるとリズムの形も変わってくるし、インプロヴァイズの考え方もスタイルも変わってくる。  今回のランドゥーガでも、リハーサルをしていてまったく自発的にリズムが生まれてきた場面があった。ある意味では、ぼくが考えて書いてきたパターンというのを誰もやっていなかったりする。そこがまたランドゥーガのおもしろいところなわけ。

なんでも来いの料理方法

佐藤:ランドゥーガは、基本的にインプロヴァイズ・ミュージックです。  で、その時その時に加わってくるミュージシャンによってインプロヴァイズとはこういうものだという考え方がみんな違うと思うんです。ぼくの知らないインプロヴァイズの考え方をしている人もいるだろうしね。  たとえばアフリカのミュージシャンなんかだと、基本的に同じことを繰り返すことが彼らの音楽であって、10回同じことやったうちの3回目と6回目だけ2番目の音がちがうとかね。それだけの変化でも、ものすごくおもしろいといったインプロヴァイズの考え方を持っている人もいるわけです。  そういうミュージシャンに出会った時に、こちらがどれだけフレキシブルになってそういうものを受け入れられるかということなんです。ランドゥーガは言ってみれば料理の方法ですね。  とんでもないような材料が市場で見つかっちゃった場合に、それをどういうふうにして、今までになかったような新しい料理を作っていくか、それがぼくの課題なんです。

――では今回のランドゥーガにおいて民謡というのが材料に相当するわけですね?

佐藤:そうです。民謡は料理の材料ですね。だから民謡がそのまま出てくるという ことはない。料理人がちゃんと料理してあるものが出てくる。  もちろん料理の材料は民謡でもいいし、もっと全然違うアラビックの音楽のトーナル・システムみたいなものを使うという考えもあるし、いろんなことになると思うんですね。どんな材料を使うかというのは、ぼくがどういう料理を考えつくかということで、いろいろ変わってくるわけです。

――ランドゥーガ=民謡ではないと。

佐藤:たとえば料理で考えてみると材料を決めてしまえば、ラーメンだったらラーメン屋になっちゃうということでしょ。  そういう定食ばっかり作るんではなくて、海のもの山のもの田のもの畑のものと、入ってくる材料がいろいろある場合に、フレキシブルに、ああ今日はこんな材料があったからこういうのにしようという、ご家庭の主婦のような(笑)感じですね。  あるいは食べる側と思ってもらってもいいかもしれない。毎日お茶漬けばっかり食べるわけにはいかないし、毎日ステーキばかり食べているわけにもいかないわけだから。

――なるほど。で、さきほど規制が緩いとおっしゃっていたんですが、決して天皇制ではないけれど、リーダーとしての立場はあるわけですね。

佐藤:ぼくがやった場合のランドゥーガはこういう形になるけれど、他の誰かがやったランドゥーガは全然違ったものになる。  たとえば佐藤允彦が一応チーフのコックになっているランドゥーガの形式であると解釈してもらっていいと思うのね。材料が同じでも、他の人がチーフになってやるランドゥーガであれば、その人を通したその人の考えによる料理になる。

分子が自由に結合する それがランドゥーガだ

――ところで、マイルス・バンドとかブレイキーのジャズ・メッセンジャーズみたいに若手を育てる人が日本にはいないですよね。

佐藤:まあ、そこまで音楽的に影響力の大きい人って、なかなかいない。

――ランドゥーガのもうひとつの可能性として考えられることなんですが、そういう若手育成みたいなことはできないでしょうか。

佐藤:できればいいですね。ランドゥーガ・トレーニング・センターみたいなものを……。

――ランドゥーガ道場破りの若手が「たのもおぉっ」とかいって、毎回参加する(笑)。完全に飛び入りだとまた問題があるだろうから、マイルス・バンドとかワークショップみたいな……。

佐藤:ていうかね。ランドゥーガは、いわゆるジャムセッションみたいな形式で、いきなり出合い頭にバッと新しいものを作るというのでもない。  今日はこういうメニューで、出す順序はだいたいこんなふうにしようかとか、それくらいのことは決めているという感じですね。  もちろん道場破りの人が来てもかまわないんだろうけど、フリージャズでもって対決するみたいなことだったらすごく簡単なんだけど、そうじゃなくて、もうちょっと柔らかい、知的な接点みたいなものがある。

――なるほど。ランドゥーガはフリージャズというのとも違いますよね。

佐藤:めちゃくちゃにならないために、選ぶパターンが譜面で示してある。  だから何をやったらいいかがわからなくなったら、必ず書いてあるどこかに着地すればいいわけ。  もし自分の中で積極的に何かをやるという意欲も、なんのイメージも湧かないとすると、その書いてあるものを好きな順番でやっていってくれると、それはそれで一応の形になるようには書いてある。  もし縦割の関係でもってリズムがあったり小節数があったりといった仕立てがしてあると、そこからはずれちゃった人は、間違いということになってしまう。  でもランドゥーガは関係だけで成り立っているものだから。どんなヘンな状態でも関係というのはあるわけだから。  ワークショップはできるか?についてなんだけど、マイルスのバンドはランドゥーガとは違う。あれは完璧にマイルスという器みたいなものがある。  チック・コリアとかハービー・ハンコックとかがゼリーの溶けたような状態でマイルスという器の中に入っていて、そこで固まってポンと出てきて、ああかっこいいなというようなものなのね。  でもランドゥーガの場合は、ひとりの人が入ってくることによって、今まで少しづつできてきたスープの中に、塩とかコショウとかがポンと入っちゃう感じで、どんなにわずかな要素の変化でも音楽の格好が変わってくる。その点がマイルスと根本的に違うところ。  だから、若い人を連れてきてトレーニングしながら育てていくということは、もしかしたらランドゥーガの方式ではちょっと難しいかもしれない。

――でも、他のミュージシャンと、ある関係を保ちつつプレイすると、とてもためになることですよね?

佐藤:それはすごくおもしろい。  事実ぼく自身があの時、ウェイン(・ショーター)がいたりナナ(・ヴァスコンセロス)がいたりで、ものすごく勉強になった。  ああ、こういう反応があるんだなとか、こういうメロディの作り方とか音楽の流れの組立て方っていうのもあるんだなというふうにね。ぼくにとってもすごくいいことだった。みんなで助け合って音楽を育てていくというところがね。

――いま、いろいろな物事において、システムとしては直列的なものが多いと思うんですよ。上に来るものがあって、その下で協調してごちゃごちゃと動くというシステムですよね。  マイルスが直列的なシステムだとすると、ランドゥーガはもっと並列的なものだと。

佐藤:そういうイメージですね。

――器がなくて相対的な関係だけがあるんですね。

佐藤:融通無碍(ゆうずうむげ)なんです。  お互いには分子であって、その分子が結び付くことで、どういう物質ができるかわからないということです。

――つまり、絶対的に動かない不動の器があるんではなくて、「彼に対してぼくはこの位置でこういう音を出そう」と、そんな感じですね。

佐藤:そうです。それがランドゥーガです。


JAZZLIFE誌掲載記事のスクラップ 目次ページへ
ランドゥーガ研究会 http://sound.jp/randooga/index.html