1991年のランドゥーガ・マンスリー・ライブで配付された小冊子「RANDOOGAR 6 - A MAGAZINE FOR RANDOOGA PRAYERS -」から,転載しました。
嵐導雅道場やワークショップ以前の,いわゆる「プロ版ランドゥーガ時代」の佐藤氏の考えに触れることができます。(大場十一)
ランドゥーガの基本
インタビューをお読みになる前に,以下のことを頭の片隅に残しておいていただければ幸いである。
それは,昨年セレクト・ライヴ・アンダー・ザ・スカイ'90に出演が決まった時に考えられた,
ランドゥーガの基本的方法である。
世界中の曲からメロディラインを佐藤允彦自らセレクト
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そのメロディラインをヒントに構成,メロディーをつくり譜面をおこす
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譜面は,バラバラないくつかの小節からできている
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その譜面から演奏するものをメンバーが自由に選んで行く
合わなくてもいい合ってもいい
ずれることの面白さ
演奏者の中に誰も中心になる人はいない。全員が主役である。
―――昨年セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイの時に初めてランドゥーガを聴いたわけで,今までになかった方法論だなと思っていたんです。 それで,そのはじめの方法論をマンスリーライブの最初の頃って継承していたように思うのですよね。でも,今はかなり変化してきているように思うんですけど。マンスリーライブも最後を迎えて,そんなあたりのことから少しお話していただけませんか。
佐藤:最近はずいぶん質的に変わってきた感じがありますよね。 最初の頃って曲の数もなかったし,まずとりあえず一歩こっちの方角かなと思って踏み出さないと,と思っていたわけです。 それで,やっているうちに,自分達で「あ,こういう面白さもあった」ってね。 ほら,人と話してて,自分の中で曖昧だったものが整理されてくるってあるでしょう?音楽でもやってるうちに見えてくることが多いわけです。 要するに一回のコンサートに向けて僕がいろいろ考えてそこでひとつの形にするということと,一回ずつの負担はそんなに大きくないのだけど,少しずつ負荷を与え続けたという今年のマンスリーライブはずいぶん違うなって思いましたね。 僕は余り一つのバンドを長くやったことがなくて,長いものでメディカル・シュガー・バンクが2年ぐらいかな。その時以来ですから,僕にとってものすごく勉強になりました。
―――でも,ランドゥーガのようにいろいろメンバーが入れ替わっていくなんてことはもちろんなかったですよね。
佐藤:そうですそうです。そのうえコンセプトがずっと一定してて,メンバーがこんなに入れ替わって行くっていまだかつてないし,あまりみんなやってないのじゃないかな。
―――そういう意味で,これまでのマンスリーライブって実験室みたいな雰囲気があったと思うんです。そして,聴いてるサイドとしては方法論的に多様になったように感じるんですよね。 1月,2月の頃は,はじめに立てた考え方に沿って行こうという感じがあって。3月,4月くらいからでしょうか,そういうものも継承して行ってもいい,完全なインプロがあってもいい,がしっと決まったものがあってもいい,と。
佐藤:そう,すごく自由になってきたし。それとインプロヴィゼーションの方法にしても回数多く出てくれた人ほどずいぶん変わって来たなってね。僕を含めてね。
―――ランドゥーガの曲の作り方としては,最初に世界中の音楽のメロディーラインがあって,それをもとに佐藤さんが譜面におこし,それをメンバーに渡してというところは変わってないと思うのですよね。で,その現場の演奏する段階での方向が変わって行ったと思うんです。 で,ちょっと具体的に,たとえば昔の曲がこのように変わって来たみたいなところについてお話いただけませんか。
佐藤:そうですね,一枚目のCDの中から今年一番多くやったのが「捨丸囃子」なんですけどね。この曲はマリンバとシンセサイザーで演奏して行く音がそうとう長い間やっても大丈夫なように長く書いてあるんです。 そこからのはずれ方が1月の頃のはずれ方と11月にやった時のはずれ方とでは,とにかくまるっきりはずれ方が違う。 なんと言えばいいかな。うーむ。初めの頃は,そう,はずれ方が消化されきっていなかったのかな。 それで6月頃はもうスムーズになってきて。そして,ここのところは,もうそっから踏み出したはずれ方になってきて,もう大丈夫という感じかな。 それで,一枚目のCDからの曲,全体に言えるけど,もう,今は僕がキューを出す必要がまったくなくなってきた。終わりの合図くらいでね。 はじめのうちは曲の途中でキューを出さないとみんなどうしようというかんじだったけど,今はみんなが考えるようになってきた。これはひとつの成果なんですよね。
―――それはわかってきたとか,経験をつんだからということと違うわけですよね。
佐藤:そう,自分達が作って行くんだってことの面白さにみんな気がついてくれたみたいでね。 ―――1月,2月くらいは前に出たりしてキューを出してましたものね。 佐藤:そうでしたね。そういう意味でいえば「打吟(たぎん)」なんだけど,普通はあの曲は指揮する人がいないとできないんですよね。 でも,指揮する人の限界というのがあって,絶対,ああは面白くならないのね。だから,このマンスリーライブではあのへんが具体的な成果のひとつなんじゃないかな。
―――いやあ,あの曲は・・・。なんあんだこれはぁ,と。あってないとこがすごい。
佐藤:ははは,あれなんかも何回かやって,合う瞬間だけビタっと合ってきたらこれまたスゴイ面白いなって思うんですよ。あれなんか録音するようになれば,めちゃめちゃなところ,テンポなどを修正して,また別の面白いものになると思うのよね。
―――今は合わせようという方向につっこんでいるかんじがします。
佐藤:そそ,あれをね,みんな何も考えないで自由にいろいろな方向を向いて,自然に合ってしまったという具合にできると思うのね。たぶん一時間練習すればできると思う。こないだは,ほとんど初見だし。 これに弦の人が入ってくれば,もっと面白くなるのではないかって思っているんですよ。弦の人ってテンポが変わって行くってことに対する感覚が違うから。とくにクラシックの人はね。 こういった意味でも,「打吟」は,僕の思っていたひとつのピークではあるのね。
―――すると,それ以外にも思っていた方向がいくつかあるわけですよね。
佐藤:そうそう,他にもいくつかあって,まだ,これはできかけなんだけど,みんなが『節』の断片みたいなのを持っていて,それをみんなでいい状態に組み上げられれば,すごく面白い。できかかってる曲もあるし,あまりできてない曲もあるんだけど,今は途中までは行ってるって感じですね。 それから,リズムセクションの人がまったくいなくてサックスの人が自分たち3人だけでやるっていう。なかなかサックスの人が3人揃わなくてやる機会が少ないんだけど,僕がものすごく気に入ってる「鳥羽絵もどき」みたいなのね。 リズムがメロディになる,メロディがリズムになる面白さ。たぶん,もう何回かやるとテンポとか予備のカウントとか出さなくても,みんなでバッとやって面白くなっちゃうんじゃないかってね。 それと,なんでサックスを重複して構成に入れてるかというと,サックスってトランペットなんかより人の声により近くて,表現の幅が広いように思うわけなんです。 で,なぜ,同じ種類の楽器を重複して入れるかといえば,ずれた時の面白さが出るのね。あれが別種の楽器だと音の質が違うから離れてしまうんです。おんなじ状態のところにずれが生じてきてるのが面白い。 で,みんなが選んだ時に,誰がどれを選んでるのかしまいには追えなくなっちゃうでしょ。
―――それと,最近,平均律にのっとらない,いわゆる不協和音のものもほとんとは面白いんだ,って思っているのですけど,このことでいえば高野山で聴いた「理趣中曲(りしゅちゅうきょく)」。あれは,まさに不協和音の面白さが際立ったわけなんですけど。 どういう経緯であのような形になったのでしょう。
佐藤:最初,話が来たときは,高野山でいろいろな音楽なんかの催しものをやるっていって,その一環でランドゥーガを一日やらないかってことだったのね。 それで,ランドゥーガはこういう自由なグループなんだから,できれば聲明とジョイントできないか。聲明の後にランドゥーガが出てくるとか,ランドゥーガの休憩時間に聲明をやるとか,何か聲明と関連づけられたらありがたいなって,ことだったのね。 僕は昔から聲明好きでね,その聲明は二月堂の方の聲明なんだけど,だいたいおんなじようなもんだろうと思ったから,「えっ,それじゃ,もしかして聲明と一緒にできるんですか?」ってプロデューサーの人に言ったのね。 そしたら,「もし一緒にやるってことになったら,向こうも喜ぶし面白いでしょうね」ってことになって「最後の10分ぐらい一緒になること考えてくれませんか」って言われたんですよ。 それで,あとで「これは国立劇場でやった時のもので,大体この人たちが同じようなスタイルでやりますから」っていうのでもらって,それがたまたま「理趣中曲」だったのね。それで少し,したてるなりなんなりして,どっかちょっと使えたらって思って聴いたのね。そしたら,すごくいいわけ。それに時間もちょうど一時間ぐらいあるし,最初から最後まで一緒にランドゥーガとやっちゃったらこんな面白いことないじゃない,ってことになって,とんとん拍子で話がすすんで,やることになったわけ。
―――最初思っていた以上にどんどん話が膨らんでいったと・・・。
佐藤:うん,それで,聲明は譜面というものがないし,お経が書いてあってその横に歌い方の記号が書いてあるわけで,これを解読してもわからないし,いろいろな仏教音楽の本を読んだりすると,おまけにこの通り歌われるわけではないって書いてある。 そこでもう,とにかくまず最初に何にも知らない状態でコピーしちゃえって思って,曲全体を我々がわかる譜面におこしたわけ。何いってるのかわからないんだけどね。 あとから見ると「あーうーえうーあおー」とか,なんじゃこりゃって。時々,「こおーぼーだいしー」っていうところだけわかったりすごく面白い。結構,膨大な譜面の量になってね。 その次にはたと困ったのは,はたしてこれはこっちである音を出したら向こうがその音にのってくれるのかどうかということ。 昔は笛と一緒にやってて音程なんかもすごく厳密だったというのだけど,今は「頭」がやったイントネーションなどをまねて歌うということしか決まってないわけだから,そのソロの人をどうにかしてこっちがわの音程にひきつけるかしかないな,と思ったのね。
―――あ,現場に行くまでは,音を合わせようという意図は佐藤さんの中にはあったのですか。ま,そうですよね。
佐藤:うん。それで聲明なんかに詳しい現代音楽の間宮(芳生)さんに,どうなんでしょうね?って聴いたら「いやぁ,これはねー,音程はねー。無理だよ」なんて言われちゃってね。 でも,まあ,それでも一応かっこつくように譜面をしたてて,向こうの音程が変わってもこっちでどうにでもなるようにある程度作っておいたのね。 ところがさ,「頭」のソロをとる人が国立劇場のとぜんぜん違う人がきちゃったのね。ぜんぜん違う音からはじまっちゃったわけ。 それで,最初のうちはこっちもいろいろ指示出して合わせようとかしていたんだけど,そのうち,もういいや,このまま行ってしまえ,ってね。そしたらさ,これがすごい面白くなってね。あわないことがこんなに面白いことなんだってね。
―――なるほど。合わせるために準備はしていたわけだけど,実際演奏をしてみると・・・
佐藤:そうそう,それで合わせるように指示だしてみるととんでもないことになっちゃう。それで,このまま行ってしまえ。で,後から聴いてみたら,お坊さんたちには自分たちの声が聴こえてなかった。お坊さんたち自分たちの声が聴こえないでしょ。だからどんどん声をはりあげて,どんどん音程が高くなっちゃうのね。
―――お坊さんたちの方にもモニターを返してればちゃんと合ったはずだけど,逆に合わないということが結果として非常に面白かったということですね。
佐藤:それと,あと広場の三方を大きな木の伽藍が囲んでいて,開いてる一方が杉の大木の林で,あれはコンサートホールでは絶対味わえないアコースティックだったよね。
―――演奏の途中後ろの方へ回って聴いてみたりもしたんですが,これは,もしかしたら,音響についても計算されて作られてる野外ホールなんじゃないかって思いましたよ。やはり当時のハイテクである仏教の粋を集めたという。
佐藤:合板やコンクリートではあんな音はでませんよね。PAシステムのノウハウを越えた何かがあるんじゃないかね。 今さリバーブのユニットで,ケルンの大聖堂とかカーネギーとか,いろんなシミュレーションしたものがあるでしょ。あれさ,やっぱり高野山のあの壇上伽藍をシミュレートしたものがないといけないよね。日本の製品だったらさ。
―――できますものね。
佐藤:あと,高野山の時はリハーサルなしだったでしょ。はじまる前にお坊さんと,ちょっと打ち合わせして,国立劇場のときと同じようになっていただけれがいいですっていうことと,この部分とこの部分はこっちにまかせてくださいっていうだけだものね。 PAの人もバランスとるのたいへんだったでしょうね。姜泰煥さんもすごかったしね。 でさ,あれを夏のカンカン照りの太陽の下でやったらどうだろうね。ミスマッチで逆に面白いんじゃないかな。
―――ははは,面白いかもしれませんね。少しベースきかせるとかすれば,ノレたりするだろうし。
佐藤:お坊さんもなんか夏用の袈裟で出てもらってさ。やりたいなぁ,もう一度。 でも,後で聞いたらお坊さんたちは「今日はきつかった,二度とやだ」みたいなこといってたらしいからね。ははは。でもね,あれは外国でやったらすごく受けるように思うよね。
―――来年はかなり外国でやる予定があるとかお聞きしたんですけど。
佐藤:今,話がすすんでるのは,ソビエト東欧圏を姜泰煥さんと高田みどりさんと回るかもしれないっていうのがひとつ。 それから富樫(雅彦)さんと僕とフランスのジャン・フランソワ・ジェニー・クラークっていうベースの人なんかと秋にフランスを回るかも知れない。 それとスペインのコンサートって話もあるし,2月の末にも韓国に行く予定ですけど。ランドゥーガをパリに持って行きたいって話があったりね。
―――今年,12月で一応終了ですが,来年もできればなんらかの形でランドゥーガは続けて行ってもらいたいと一ファンとして思うのですけど。今の状況で面白いことをしていくみたいなのがあればと思うのですけど。
佐藤:もちろん定期的にはやらないけど続けますよ。ほら,マンスリーライブの場合,毎月新曲を書かなくちゃいけないっていうのがたいへんで,終わるとすぐ次がきちゃうでしょ。 だから,来年は曲のここんところをもう少しこうしてとか,じっくり温めてみてやろうかなと。だから少し間を空けて遊ぶのも,いいかな。
―――よく佐藤さんが,メンバーが少ない時に「今月は遊んでくれる人が少なくて」って笑いながら言ってましたよね。
佐藤:やはり,遊びって真剣にやらなければいけないと思うのね。そのあたりのところは,出演してくれるメンバーの人たちがよくわかってくれてるのですよね。
―――とにかく,今年一年毎月一回っていうのはすごく面白かったですよね。
佐藤:そうなのね。自分のためにはすごくよかった。こんなにいろいろなことを教えてもらって悪いなぁ,って感じ。僕にとってはすごく,くたびれたけど,実りのある一年だったですね。
―――メンバーもすごい人ばかりだったですしね。
佐藤:めぐまれました,ほんとに。
―――今日本で聴ける音楽の要素がいろいろ入っているし,それって逆に日本オリジナルっていう意味でも世界対応しているような気がしています。
(インタビューアー:吉村 信)