世に出なかったシリーズ(ポリス編)

1.「Visions Of The Night c/w Dead End Job」(シングル) 1977年
後に各々シングルのB面で日の目を見るが、元々はJohn Cale のプロデュースでIllegalからシングルの予定で録音された。John Caleの起用は当時Miles Copelandが掛け持ちでマネージメントしてたSqueezeの1stをプロデュースしてた縁だと思われる。この時ポリスはまだHenryが居たので4人組でした。しかし、ポリスを完全なパンクバンドに仕立て上げようとしたJohnとポリスのメンバー(特にAndy)の考えの食い違いは大きく、レコーディングはうまくいかなかったとされています。よってこのヴァージョンは今日まで未発表のままです。尚、このセッションは他のメンバーとの力量さを知ったHenryの脱退のきっかけになったとも言われています。

 

2.未発表曲??? 「Truth Hearts」(1980)
80年に限定5万セット、日本でも1万セット輸入されアルファからリリースされた「Six Pack」というシングル6枚組パックがありました。これは既発のシングル5枚と「The Beds Too Big...」(mono)を付けた構成でしたよね。
リリース前にレコード屋に貼ってたアルファレコードの広告ポスターでは、この「The Beds Too...」のB面には「Truth Hearts」という未発表曲が収録予定、と堂々と記されてました。
しかし、実際リリースされたのは、「Truth Hits Everybody」のライブヴァージョンでした。
しか〜し、タイトルが似てる事などから察するに、単純にレコード会社のインフォメーション・ミスじゃないか?と今では思う訳です。(つまり最初から存在しない)未発表曲と言えば、初期に「Don't Give Up Your Daytime Job」というのがある、とポリスのバイオ本によく載ってますが、これは「Dead End Job」とは関係ないんでしょうかねぇ? 不明です。

 

3.Live In Budokan,Tokyo (1981)
このライブはフルでNHKにより録音され、ノーカットでFMでオンエア(渋谷陽一氏DJ)、またテレビ「ヤング・ミュージック・ショー」でも一部放送されました。現在これをソースにした数多くのブートレグが出回っておりますが、A&Mもこの模様をライブアルバム用に録音しておりました。
それで同年の秋頃リリース予定とFM番組(ご存知シリアポールさんの「POPS BEST 10」)でも告知が流れました。しかし、その秋には先ず9月にオムニバス「Urgh!!」が、10月にはニューアルバムの「Ghost In The Machine」がリリースされこのライブ盤は結局発売されず。個人的にも思い入れがあったツアーなので楽しみにしてたのですが残念でした。
でも、今思うと、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで絶好調だった彼等に過去を振り返るライブ盤のリリースは不要だったのかも。正解だったような気もします。

 

4.Live In Canada '82
これは、ポリスが「Ghost In The Machine」ツアー中の頃の82年夏に出た「Player」誌のインタビューの中で言われてたものです。丁度アンディはフリップとのデュオアルバムを控え、スティングも初ソロシングル「Spread A Little Happiness」の発売直前の時期だったと思います。
インタビューでこの予定を語ったのはスチュワートで、カナダはトロントでの公演をライブレコーディングし、丁度ミックスダウンも終了したところだったようです。但し(当時のアナログで)2枚組にはならない予定だったので、曲を削らなければならず、結果「Ghost」からの曲は全て外れ、前の3枚からのみの選曲になるという具体的なことまで言ってました。
しかし、またしてもこれもお蔵入りになりました。

 

5.(タイトル不明) スタンダードのカバー集 です
83年夏「Synchronicity」のプロモの為にアンディが単独で来日の際に取材の中で出た発言です。ポリスはリハーサルではウェザーリポート等のカバーをよく演ってたようですが、このアルバムでは50年代〜60年代初頭のスタンダードに絞って、各人のお気に入りの曲を収録しよう、という企画でした。アンディはこの時、既にモンクのカバーを演りたいと言ってます。スティングはJ・レノンでもおなじみの「ペギー・スー」をカバーしたがってたようです。
84年のポリス活動休止の記者会見の際も、この企画は残されましたが結局実現に至っていません。(録音したかも謎) 私が思うに、この直後にR・プラントのハニードリッパーズやD・リー・ロスのミニ・アルバム等で同傾向の企画ものが発表され、先を越されたのを嫌って見合わせたのか? とも考えられるのですが、それ以前にもう一緒にアルバムをつくるつもりがなかったのかもしれませんね。
しかし、アンディの「Round Midnight」にスティングが参加したのは、もしかしたら2人の間に、持ち越しになっていた約束でもあったんでしょうか?

 

6. Live (from Synchronicity Tour)
上記と同じく84年に行なわれたポリス活動休止の記者会見の際に、メンバーの口から発表されたもので、その年のクリスマスにリリースされるとの事でした。 しかしこれも発売されないままバンドは永久に活動休止する事になりました(86, 92年を除く)。 結局ポリスはグループ活動中にライヴ・アルバムは3度棚上げになった事になります。 しかし、シンクロ二シティ・ツアーに関してはアトランタ公演がゴドレイ&クレーム監修によりビデオ化され、95年には同じくアトランタ公演(ビデオとは内容は異なる)が79年のボストン公演とのカップリング『Live!』でようやく日の目を見ることになりました。

ここで気になる事があります。 この95年リリースの『Live!』のプロデュースを担当したアンディ・サマーズのインタビューを読んだ事があるのですが、ライヴ盤を編集するに当たってA&Mの倉庫に眠ってるポリスのライヴ音源のマスターテープを探した所、残存していたのはこの2公演のみだった、ということでした。 と言うことは過去ボツになったライヴアルバムのマスターテープは全て紛失してしまったのでしょうか? あるいは誰かが持ち出して無くなってしまったのか? 79年のボストン公演も元々は米FM局のものですし... いずれにしてもA&Mの倉庫の管理のずさんさには呆れるばかりです。

 

7. 6枚目のオリジナルアルバム他 (1986)
メンバーが各々ソロ活動を開始したのが85年ですが、その翌年スティングはブルータートル・ツアーも一段落し、アムネスティ主催のチャリティ・ライヴ「Conspiracy Of Hope」ツアーにU2、Bアダムス、Pガブリエルらと同行し、米主要箇所をまわりました。 そのツアーのハイライトである6月11日アトランタ公演と6月13日シカゴ公演と最終の6月15日ニュージャージー公演は、幕が上がるとステージに立っていましたのはスティング&ブルータートルバンドではなく、なんとポリスの3人にKカークランドと女性コーラス2名を加えた混成バンドでした。 
もっともこの時はポリス名義ではなく、「スティングのコンサート:スチュワートとアンディを迎えて」という風にアナウンスされたらしいのですが、実質的なリユニオンには変わりなく、この後続けてグループ活動を再開するという話になりました。 ニューアルバムのレコーディング用の為にスタジオも予約され、そこにはマイルス・デイヴィスやカラヤン指揮のウィーン交響楽団等も参加すると言うとんでもない噂まで飛び出し、周囲の期待は高まる一方でした。ところが、グループ後期から生じていたメンバー間(特にスティングとスチュワート)の摩擦が再び勃発し、当時最先端だったシンクラヴィアを使うかどうかで言い争いになり、最後は取っ組み合いの喧嘩になりレコーディングどころではなくなり、更にはスチュワートは趣味のポロで落馬し骨折した為ドラムを叩ける状態では無くなりました。
その結果、ニューアルバムは幻に終わり、新録音はベスト盤用の数曲のみになってしまいました。(これも当初はベスト盤の全曲を録音し直す話もあったらしい) ドラムは当然打ち込みになっています。アルバムに先駆けて「Don’t Stand So Close To Me」の86年ヴァージョンがシングルでリリースされましたが、その時点ではアルバムには「Roxanne」と「Message In A Bottle」それに「De Do Do Do, De Da Da Da」の新録音も収録されるとの情報が流れていました。 しかし収録されたのはこの「Don’t Stand So Close To Me ’86」のみで残りは全て既発表ヴァージョンでした。時は流れて2000年にベスト盤のDTSサラウンド仕様盤がアメリカで発売された時に、なんとここに86年の録音である「De Do Do Do, De Da Da Da」のニューヴァージョンがレコード会社のミスで収録されるという事件が起こりましたが、残りの2曲「Roxanne」「Message」については未だに日の目を見ておらず、本当に存在するかどうかも現時点では謎のままになっています。 (公式には存在しないと言われているが...)