PEACEMARKのプロフィール
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0 前身
高校の文化祭で岡田、久保田、楢林ら渋谷幕張高校水泳部が結成したコピーバンド”SWIMMERS”で初ライヴ。
卒業して半年後、岡田の呼びかけでpeacemark結成。当時は5人(久保田:Ba、岡田:Dr、渡辺:G、楢林:Key、宇都宮:Vo)。西船橋のスタジオに週に1回程度練習開始。
Drの音色等色々考えて練習スタジオを津田沼のStudio24に変更。
その後、G渡辺(家遠距離)、Vo宇都宮(金銭、予定不備のため)が脱退、その後代わったVo鈴木(家遠距離)も脱退、お手伝いVo酒井に委ねる。
1 甲斐登場
甲斐は乗り過ごして市川で降りる筈が、終点まで行ってしまった。
そこで久保田の家に泊まることにした。その日久保田の家は1stアルバムの作成中。
岡田、楢林とは初対面。意気統合で録音作業の手拍子で参加する。
数日後、甲斐がVoとなる。しかし楢林入院。3ヶ月程休む事になる。
退院後、Vo等をとり直す。2000年3月 1stアルバム「青春問題」完成。
タイトルは岡田の考案によるもの。今のメンバーでの1stライヴ柏(with G渡辺)、2nd日比谷(雨野外)を行う。
2 FANTAZIA武藤の助太刀
お手伝いGとして、夏休み中弘前から帰ってきた武藤を迎える。2ndアルバムで3曲参加。作成に大いに関わる。
彼も加えて千葉ANGAで3rdライヴを行う。持ち時間は過去最長の1時間。
弘前に戻った武藤はバンドのサークルのリーダーとして活躍中。
その後、ANGAからオファーがかかるようになる。4thライヴも千葉ANGAのオファーによるもの。
今まで使っていたカセットのMTR故障のため、ハードディスクによるMTR購入し、録音を再開。
2001年3月2ndアルバム「日常」完成。
今回は、歌詞応募や、日常の何気ない音を使用など、色々な試みで作られた。
そのアルバムをひっさげて、5月11日 千葉ANGAで5thライヴ。好評。
3 火事
何と行きつけのライヴハウス、千葉ANGAで火事。
そのため、2001年年末のライヴは本八幡ROUTE 14に変更。
6thライヴも無事終わる。3rdアルバム「touch stone」もこの頃完成。
しかし、すぐに1枚目のアルバムの取り直しを行う。貧乏暇無しwith時間。
3月25日ライヴを行う。この時4枚目「RIPASSO」完成。
4 某結婚式で披露
Vo甲斐が新潟へ行った為、急遽岡田に変更、更にお手伝い的Gだった武藤が正式加入、
某結婚式でVo岡田で新曲「エイジング」を披露。
5 修行中
暫しの休憩期間があり、
Mac、Logic Proにて作曲制作の勉強に入る。
数年経過し、楽曲作成できるレベルになり、
YouTubeに発表。広告収入も得られるほど、注目されるようになる。
「PEACEMARK @ YouTube」
6 PEACEMARK iTunes 全世界デビュー
約10年の歳月を経て、PEACEMARKの楽曲をKeyboardで再現。
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