教壇にて

6月4日(実習打ち合わせ日)


 不安だ。遂に始まってしまった。大学生活の中でも最大のイベントとも言えよう。教育実習だ。三ヶ月前から心配でしょうがなかった。
 打合せの日に同級生に会う機会があった。中には話し方も変わった人もいた。彼はM山君で関西の大学に行ってるらしい。ここで会うのは不思議な気分だった。
 高校の時は家から電車で1時間かけて通っていたのを1時間かけて自転車で行ったせいか、2時間ぐらいの打ち合わせだったのにすごく疲れた。
 この先どうなるんだろう。

6月5日(初日)


 朝は5:30に起きて6:30に家を出て7:30に着いた。相変わらず職員室は居心地が悪い。担当のM井先生とG上先生に挨拶をして、職員会議で先生方の前で自己紹介。そして担当の2?2のクラスに入った。
 自己紹介をした時、安心感がもてた。運がいいのか悪いのか、落ち着いたクラスのように思えた。戻ってM井先生と打ち合わせをした。いきなり明日に授業をやるらしい。この日は見学だけであったが、明日からここで授業をやる事になるので、何時間か自分の担当する以外の教科も見学させてもらう事にした。まだ名前も顔もうる覚えのクラスで果たして授業が出来るのだろうか。
 同じ中学生を教える実習生と仲良くなった。同級生のH館君、M村さん、外部生で同じ学年のY内さん、年上(?)のI田さん、同じ大学の椙Y君。みんな不安なんだろう。
 中学2学年の先生方での会議「学年会」が放課後にあった。ネットに載せられないような話ばかりだった。明日の保護者会のための会議とも言えよう。
 今日は疲れたので早く寝たいところだが明日は教壇に立つため、指導案を担当の先生に提出しなければならない。それを書いていたら3時になってしまった。明日は5時半起きだというのに。

6月6日(2日目)

 本当に職員室は居心地が悪い。本当は職員室にいなければならないのかもしれないが、図書室で準備をすることにした。教えるのは「ピタゴラスの定理」でごく簡単ではあるが、いかに興味深く教えるかだけを考えてとりあえず教壇に立ってみた。実習生の前では、話を合わせる為に自分で緊張すると言ってみたりしたが、全然緊張しなかった。ある程度開き直っていた。
 手にチョークが馴染んでないせいで、全然綺麗な字が書けない。結構生徒に笑われた。でも反応があるだけ良かった。まだあんまり話したことはないけど、クラス全員の生徒に話しかけることもできそうな気がした。
 放課後、保護者会で受付をしたり、色々なお手伝いをした。バイトをしてるような気分になった。明日は同じくM井先生が担当のH館君の授業を受ける事になる。

6月7日(3日目)

 昨日までで色々な先生の授業を見させてもらったお陰で、大分知ってる先生が増えて、職員室の居心地も良くなった。昨日の授業の反省会を今日やることにした。M井先生はベテランで色々と教えてくれた。心の中を全て見透かされているようだったが、嫌な気もしなかった。
 H館君の授業を見た。声が余り出ていなかった。自己紹介の時もあまり喋れなかったらしい。彼はごもってしまう癖もある。ある意味緊張感の漂う授業だった。生徒に支配されているようだった。自分の授業を見直すよい機会だと思う。
 その反省会は少し怖かった。H館君が自分で意見を言わないので、M井先生もカリカリしていたのを我慢していたんだろう。その様子がM井先生の笑顔の中に伺えるので隣に座っていて怖かった。
 放課後にM先生に誘われて水泳部OBとして部活に強制参加。高校で同じく実習をしている1000ダさんを探した。その途中に6年間お世話になったS木先生とY井先生に会った。特にY井先生とはM山君と共に30分ぐらい話してしまった。この学校の教育スタイルや、誰がどうなったとかで、話題が尽きない。
 その後、1000ダさんと共に部活に参加というより、マネージャー室で今のマネージャーと話したり昔の写真とか見たりした。M先生に遊んでるだけじゃないかと言われたけどまさにその通りだった。懐かしい匂いがして、部活に見学して良かったと思った。

6月8日(4日目)

 何年ぶりだろう。8田先生の授業を参観した。8田先生は生徒が解いたプリントを何枚もとっていて、それを参考にしていたらしい。高校とかの時は余り感じなかったけど、今思えば凄い事をしているんだろうと思った。受けている人にはたった一つの授業かもしれないのが皮肉だ。
 生徒が鎌倉研修の発表会をする事になった。H館君のクラス2?7はM先生のクラスで、H館君に不安があったのか、M先生にそこに行くように言われた。相変わらずH館君が生徒を静かにさせようとしても出来なかったので、結局静かにさせるのは自分が引き受けるかたちとなった。でもそのお陰で自分のクラスでもある程度静かに出来るようになったと思う。
 自分が鎌倉に行ったときの思い出は0に等しい。写真もないし研修のテーマも親に聞くまでわからないありさまだった。そんな中で鎌倉についてのアドバイスは難しかった。生徒にわからない漢字を聞かれて困ったりもした。(「白湯」さゆ)この中学生の知識の多さに脱帽だった。
 新聞で一面トップになるようなニュースが昼休みに入ってきた。これを帰りのH,Rで生徒に発表したら伝え方が悪かったのか、なんか笑い話みたいになってしまった。この日はG上先生がいなかったので独壇場でH,Rをした。ニュースが笑い話になって悪いとは思うけど、どんな事があっても笑って過ごせるような意味で生徒に伝わったと思えばG上先生にも申し分がつく。最近は生徒ともよく喋れるし、実習が楽しくなってきた。


6月11日(5日目)

 今日は2回目の授業があった。数学の時間なのに、日曜日に渋谷行ったときの話をしたりした。自分のペースで喋れたことが一番良かったと思う。中学生とは言えど、相手は偏差値65のつわものである。偏差値55ぐらいの昭和秀英に落ちた自分が知識で完全に勝てるとは思えん。だって鎌倉のレポートで地図とか調べるのにホームページ見てるような人達ですよ。
 今回の授業(with H館君)はM井先生の反感を買ってしまったらしい。教材研究不足だったらしい。M井先生は40年教材について研究しているかもしれないが、我々は高々一週間。勝てる筈もない。半分怒り気味の先生に反抗することもなく、我慢我慢。というか、H館君があまり大きな声ではっきり意見を言わないのでそれが反感を買った原因だと思うが。帰り等に何人もの生徒から「M井先生の授業は眠いけど、先生のほうが面白い」とか言われた。うーーーん。生徒に好かれ、教員陣に好かれない実習生になってしまったらしい。別にいいけどね。色んなこと言われたけど、参考になることも回りくどく教えられたし、教員に対する意欲は失せるけど勉強にはなった。
 年輩の先生の授業が面白い。古典のO川先生、地理のI原先生、英語のT橋修先生。独特の口調とギャグで攻めるあの授業は、つけっぱなしTVのような大学の授業よりよっぽど面白い。

6月12日(6日目)

 不思議な感覚だった。久々に音楽の授業を椙Y君と受けた。懐かしい感じはするが、先生は同級生のM村さんなのである。ピアノを弾きながら生徒に歌わせたり、笛を吹かせたり。これほど不思議だったことはない。自分の時の音楽の先生だった金田先生は辞めてしまったらしい。他の音楽の先生が言うには、ある日急に来なくなったらしい。
 学級日誌は参った。毎回自分で印鑑の横にキョロちゃんのグラサンVERSIONを書いていたら生徒にパクられた。また、きのうの授業の事で生徒にピタゴラスの定理をブタゴラスの定理と書かれていた。何てギャグな人たちなんだ。欠席者の欄には大体絵が書いてあるし。あれだって正式な書類じゃないのか。まずいっすよ。午後の授業の感想欄は大体眠いって書いてあるし。学級日誌が熱い。そして、ごもるH館君と開き直りが多いY内さんのクラッシュトーキングが熱い。(Y内さんに対するH館君の小声の愚痴が原因)
 3時寝5時半起きの生活にも慣れてきた。

6月13日(7日目)

 今日はM山君の授業を受けた。そう言えば、高校生の頃ってあんまり授業聞いてなかったな。M山君は関西弁化してしまっていた。所々訛りがあった。
 生徒総会があった。中学にも放送同好会があり、部に昇格するか否かの話し合いがもたれた。過半数を充たせば部に昇格できるらしい。その日の過半数は354票だったが349票しか入らず。たった5票で昇格できなかった。可哀想に。もっと手挙げてやれよ。原因は部員のほとんどが3年生で来年は部員がいなくなってしまうかららしい。多分聞いたことないと思うが、昼休み?とかにラジオ番組「MUSIC BOX」をやっているらしい。生徒に聞いた話だが、今やテニス部は100人以上部員がいるらしい。何人か放送同好会に行け!

6月14日(8日目)

 自転車がパンクしやがった。普通の走り方をしない自転車をこぐのは疲れる。
 18日の実習には色んな先生を呼ばなければならないので、ちゃんとした指導案を作ったので、それを配ることにした。知らない数学科の先生にも渡す事になっている。懐かしい先生に挨拶した。自分のことを覚えている先生も結構いた。N井先生(数学)には名前だけ覚えられていた。FANTAZIA武藤のことは覚えているかもしれない。FANTAZIA武藤は僕が貸した漫画「金田一少年の事件簿」を取り上げてくださいとばかりにN井先生のテスト中に読み、案の定取り上げられた。武藤に弁償させたのは言うまでもない。
 H館君が最後の授業だった。反省会では相変わらず意見を言わないので、隣に座っている僕が反省を述べたりした。一体誰の反省なんだ。そりゃM井先生も怒るって。
 放課後に来年実習に来るA野さんが遊びに?きた。相変わらずにぎやかな人だ。後、O本さんとこの日ではなかったがH田さんが来てた。A野さんに連れられ合唱部の部屋に入ってみるとさらにI大祐氏がいた。彼と同じ駅に住んでいるのになんでこんなに会わないんだろう。M村さんとM山君らと共に昔の音楽祭の課題曲を歌っていた。みんななんであんな頃の曲を覚えているんだ。そりゃ聞き覚えはあるけどさぁ。
 職員室に帰ってみると開き直りの多いY内さんが指導案の制作で死にそうになっていた。手伝ってあげました。おいおいおいH館君は見てるだけかい。椙Y君が担当の先生M村先生に飲み会に誘われていた。数学科の先生方だけ飲み会がないらしい。
 気がつけば次で最終日なんだな。

6月18日(最終日)

 最終日なのでカメラと生徒に配るお菓子を自腹で買って持ってきた。写真は生徒に撮ってもらうことにした。
 3時間目に最後の授業があった。色々な先生が来て自分のペースで話が出来なかった。相変わらず生徒には評判がよくて、先生方には評判が悪い。M井先生の方が安心して授業を受けられるから生徒も眠くなるのではないか。反省会は大変だった。尋問だった。カツ丼が出てきそうな勢いだった。教材を無駄に使ってしまったのが1番の原因らしい。
 1000ダさんと同級生で同じ大学のM川君の授業を受けた。2人ともしっかりしていて自分がいい加減に授業をやってるような気になった。
 実は自分には中学2年ぐらいから写真がない。写真がないと結構思い出も掠れていくもので、生徒にも同じことがあってはならない。とかそういう最後の挨拶をした。生徒一人一人手渡しでお菓子を渡した。渡している時にクラス全員の名前が出てきた。最後に集合写真をとった。現像してみると写真ではG上先生が半分きれていた。やっとこの実習の終わりを感じた。
 最終日は今まで以上に生徒と話しこんでしまった。メールアドレスを教えたりした。水泳部とかまわっていた時に、ずっと自分のこと探して生徒がいたらしい。結局会えなかったが職員室に戻ってみると、椙Y君に女生徒2人から手紙が来てるよとか言われてビックリ。机に手紙が置いてあった。良い子3人組みからなんて。seacretらしい。secretだって。うふふふふ。励ましの手紙ありがとう。今度は文化祭でまた会おう?。
 結構大学で厳しく言われた教育実習もやってみれば結構楽しいものだった。大学での教育関係の単位はほとんど役には立たないものばかりだった。大学の授業ってなんだろう。その生活にまた戻ることになるのか。生徒に会えないのが結構寂しいものだ。

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