2)ナンシー関 追悼文
 
 

 彼女の突然の訃報に、ある種の喪失感を抱いたのは決して私だけではないだろう。
彼女の替わりを務める人はいない。彼女の担っていた部分はまるまる大きな穴になった。

 
 彼女は‘消しゴム版画家’と‘コラムニスト’の肩書きを持っていた。
どちらにも共通して窺えるのは‘鋭い観察眼と洞察力’。
特にTV・芸能界の話題に徹したコラムは一般読者はもちろん、同業者やいわゆる著名人からも高い評価を受けていた。
もちろん私も彼女の大ファンで、毎号買っている『週刊文春』での連載“テレビ消灯時間”は
木曜一番のお楽しみと言っても過言ではない。
彼女は文春の執筆陣の中では若い方にも関わらず、連載自体は長く‘古株’の域に達している。
各方面で活躍する超有名どころや(ある意味での)権威者が執筆者としてがん首並べる中で、
彼女が「TVネタ」一本で高いレベルを保ち連載を続けてきたということは、大変な偉業といってもいいだろう。
 

 よく‘辛口’と評される彼女のコラムは、TVで起こる事象に対して人々が何となく感じていたこと、
例えば‘違和感’や‘きな臭さ’を、より明確に分析し言い当てたものである。
それをまた、茶化したりドライでユーモアのある口調で語っているので、その距離のとり方が
返って読者に説得力を与えていた。
 しかし、彼女のコラムのレベルの高さの核心は、それが単なる‘TV批評’にとどまらなかったということである。
つまり、彼女のTV批評は、時にそのまま‘社会批評’となっているのである。
 

 例えば、彼女がしばしば話題にしていた‘TVチャンピョン・大食い選手権’。
その内容のエスカレート具合と各社のパクリ氾濫、そしてそれを平気で受け入れる視聴者への分析はからは、
現代社会の‘適度・節度の無さ’‘過熱しやすさ’が浮かび上がってくる。 
そもそもTVが社会に与える影響の大きさや、逆にTVが視聴者に受け入れられることを
目的に作られていることを考えれば「TV=社会の鏡」となるのは今さら言うまでもないことであり、
彼女の的を得たTV批評が上質の社会批評になるというのも至極当然といえよう。
 

 そして、特に最近はその‘大食い選手権’はじめ、‘筋肉番付’‘ビューティーコロシアム’
‘サバイバー’などに対するコラムではそこで窺われる世間の‘歯止めのきかなさ’‘短絡さ’に対して、
より意識的に警鐘を鳴らしていたように思う。NHKの『奇蹟の詩人』に関しては、彼女にしては珍しく
明確に社会的批判の相を表わした。
 

 そう、彼女のコラムには、その下地に社会に対する‘正義’があったと思う。
もちろんコラムでそのようなことは謳われていないし、
もし誰かに正面きってそのようなことを言われたら彼女は否定しただろう。
けれども、客観的な彼女の批評の物差しは確かに「社会にとっての正」なのである。
だからこそ、危うい社会の流れに警鐘を鳴らしたのである。
 そして付け加えれば、私は時として、その警鐘の根底に彼女の優しさをも感じた。
 

 なぜ、私が‘辛口’と言われる彼女のコラムに優しさを感じたのか。
それは、私が彼女自身の境遇を考えるからである。
 彼女の文章は多くの人に読まれ、その文体や趣旨は読者に「ナンシー関のもの」として
はっきり認識されていると思う。
しかし、「ナンシー関」そのものに関して多く知る人は一般読者の中にはほとんどいないのではないか。
なぜなら、彼女はTVなどにも滅多に出ないし、雑誌においてもコラム以外での発言というのはほとんど無い。
コラムやその他でのコメントも、あくまで「何かに対して」の分析であり、
彼女自身についての発言というのは皆無に近いからである。
彼女はあくまでも大衆的事象について語っているに過ぎず、けっして自分の身の回りの出来事や
私的なことをネタや道具にすることはなかった。
例え、もとを正せば個人的経験から導き出されたものであっても、
きちんと‘一般化’というフィルターを通す作業を怠らなかった。
彼女は‘コラム’に徹し、ナァナァな‘エッセイ’でごまかしたりはしなかったのである。
それゆえ、彼女の私生活や過去というのは一般に知られていない。
 

 しかし、である。意外にも多くの人が知っている彼女自身の情報がある。
それは容姿である。それは彼女のペンネームから受ける洒落た印象とは程遠いものであった。
いつからかはわからないが、私が知る限りでは、まだ「若者」で括れる年代の時点で
彼女はかなり太っていて、頭髪は長くもっさり、眼鏡の奥には細い筋のような目があり、
はっきり言って醜かった。
若い女性としてはそのことは決して軽々しく忘れたり開き直れることではないと思う。
 いままで、こんなことはあまりに失礼だし、そのようなことで罵倒しても
それを跳ね返すだけの筆力が彼女にはあるので誰も表立って言ったことはなかった。
おそらく業界では彼女の容姿について触れるのはタブーであったろう。
 けれども、頭の良い彼女は、自身のような容姿に対して
一般大衆がどう思い評価するかということは百も承知であったろう。
ここから先は私の推測の域を出ないが、彼女は自分の容姿によって何度も、
また長年、嫌な思いをしたのではないか。太り始めたり、眼鏡をかけだした頃から。
それがすでに幼い頃からであれば男の子からひどい言葉でからかわれただろうし、
ある程度大人になったらなったで女の子から気を遣われてしまったり、
根拠なく人格を決めつけられたりというように。
彼女がそれを明るくあしらったか、それとも黙って耐えたかはわからないが、
余程鈍感でない限りそのことは相当辛いことであるに変わりはないだろう。
「ナンシー関」として世に認められてからだって、
通りすがりや外出先で嫌な思いをすることは多々あったに違いない。
容姿で人を判断し非難する、そういう国なのである、日本は。
 

 また、彼女がいわゆる‘TVウォッチャー’として
日々のほとんどを過ごしていること(確か本人もそう言っていた)、
またそうなった経緯などを考えると、彼女は決して社交的ではない。
文章や活動の仕方をみてもそのことは大いに窺える。
もちろん親しい友人はいたであろうが、多くの仲間に恵まれたとは考えにくい。
恋愛に恵まれていたとも考えにくい。
彼女がそれを恥じていたとか悲観していたとも思わないが、
それを喜んでいたとも思えない。
ほとんど人とも会わず家にこもる生活は
少なからず人に突然の孤独を感じさせたりするものであろう。
 

 これらの、容姿によって受けた屈辱や生活での孤独が
どの程度のものかはわからない。
彼女が私的なことをほとんど書かないのも、
あるいはそれを悟られないようにするための意地であったのかとも思う。
 しかし、彼女の文章と理論には確かに「それを知る者」だからこその‘根’があり、
鳴らす警鐘には彼女なりの‘切実さ’と‘誠実さ’‘優しさ’を感じるのである。
ただ‘面白い’だけではない、きちんとジャーナリズムを持ち合わせた主張、
それが彼女の文章であった。

 
 今日、日本は社会への客観的な視点を一つ失った。
曖昧なもの、きな臭いもの、違和感のあるものに対して
はっきり「待った!」と言える人を失った。
少なくとも現時点で‘ポスト・ナンシー関’はいない。
今はただ、その失われたものの重要性を噛みしめるのみである。
 

 ご冥福を、心より祈ります。
 
 
 

2002/6/12        
                                          yuki  
 
 

 

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