主張 作用反作用について M-115 No338 2011年12月22日(木)
はじめに
科教協千葉支部では,かなり前から,力の学習においては,“作用反作用”
の理解が特に重要な意味を持つと主張し,会員は折りに触れて,そのことをものに書いたり,研究会で発表したりしてきました.しかし,この問題は根が深く,現在に至っても事情は好転したとは言えませんので,この辺で,これまでの経過をまとめながら,中間総括をしておくのも意味があると思い,私見をまじえながら書くことにしました.
受験生は全滅した
1968年度の千葉県高校入試の理科で次の問題が出されました.
(この記録には図が入れられないので、状況を文で書いておきます。天井からつり輪でつるまきばねが下げられ、その下に糸がついています。このセットが二組並んでいて、以下略)
10gのおもりを加えるとごとに1cmのびるつるまきばねがある. このつるまきばねを2本並列に使って20gの滑車と20gのおもりをつるす. 図の
F1は糸がつるまきばねをひく力,
F2はつるまきばねが糸をひく力,
F3はつるまきばねがつり輪をひく力,
F4はつりわがつるまきばねをひく力, であり, つるまきばねと糸の重さは考えないことにする.
(1)F1F2F3F4のうち, 作用と反作用はどれか.
(2)F1F2F3F4のうち, つりあう力はどれか.
(3)F1の大きさはいくらか.
(4)右側のつるまきばねののびはいくらか.
数値で答えを出す問題は, やり方さえおぼえればできるのでやさしいともいえましょう. (3),
(4)はけっこうよくできていましたが, (1), (2)はさんたんたるありさまでした. ちょっとオーバーにえば,
千葉県の高校受験生は全滅したといえましょう. 関係者はマッサオになっに違いありません. この結果の責任は誰がとるべきだったのでしょうか?
ちなみに上の問題の正解は
(1)
F1とF2, F3とF4
(2)
F1とF4
それは日本の理科教育の栄えある伝統だ
この重要な概念“作用反作用”は教科書の中でも不当に低く取り扱われています.
手もとにあった大日本図書の物理新版(昭和31年度版)は上下505ページの教科書ですが, 作用反作用の説明には6行と4字をさいているにすぎません.他の教科書お大同小異のはずです. 年を追って, 記述の行数が多少増えているようですが, しかし, たかが知れています.
啓蒙書も, 作用反作用をまともに取りあげているものはほとんど見当たりません.取りあげているものは,
逆に害を与えているといった方がよいかもしれません. 一,
二の例をあげておきますと, 講談社現代新書『物理の世界』(昭和48年24刷)のp.74に次のような記載があります.
A「だいたいね,われわれが物の重さと呼んでいるのは,実は地球が引っぱっている力のことなのだ.それをはかるには…」
B「天びんを使えばいい.」
A「ソウ。ニュートンの第三法則だね.つまり,作用と反作用とはつりあうことを利用するわけなのだ.たとえば,つぎの図のように,ABの板の上に置かれた物体Mをかんがえる.Mには重力がはたらくが,それと同時に,反対向きに板から物体Mに,等しい大きさの力つまり抗力が生じる.この抗力が重さを示すのだ.(以下略)」
軽い気持ちで書かれたのでしょうが,「作用と反作用とはつりあえない」ことをムキになって教えようとしている私たちにとっては迷惑なことです.著者三名の中の一人に手紙をさしあげましたが,返事がありませんでした.
次はブルーバックス『“力”の発見』(昭和48年第1刷,
p.75) 運動の第三法則 作用・反作用の法則
右側に押そうと思えば, 同じ大きさで必ず左側にも押さなければならないし,
左側の綱を引っぱるためには, 同時に右側のなにかを引っぱるか,
あるいは左側に対して押しをかけてやるかしなければならない. このように力というものは, 同一方向反対むきに, いつもペア(対)になって現れるものである.(中略)
作用・反作用の法則は, 自分がものを押す場合とか綱を引く姿勢など,
とにかく自分が力をだしていることを考えているのが, 最も理解しやすい. 人間は多くの場合, 手を使って物体に力をおよぼすが, このとき足などでふんばっているはずである. ただ, われわれの意識は目的である手(作用)の方に集中しているために, 足(反作用)の力学的状態は閑却しているのがふつうである. マウンド上ピッチャーとか, 砲丸や円盤投擲の選手のほかは, 力をだす際の足場については, あまり注意を払わない. しかし, 足も手とまったく同じように,
常に力をだしているのである.(後略)
この例については, 手に働く力が作用なら, 手が押している(または引いている)物体に働いている力が反作用であって, 足には何の関係もありません.
バレーボールの嶋岡選手は飛び上がった状態でサーヴしますが, 手(人間)とボールに働き合う力が作用反作用であって, 彼の足は何も蹴ってはいないのです. よしんば, 蹴っていたとしても, 手とは作用反作用の関係にはなりえません. この著者は返事をくださいましたが(昭和48年11月),
本は一向になおる気配がありません(昭和52年, 第6刷) ので, この本を読むかもしれない方々のために, あえて例としてあげました.
このようにみて来ますと, 受験生が全滅したのは,
作用反作用の汎日本的無理解に原因があったといえそうです.
事態はますます悪化した
奇しくも, 受験生が全滅したこの年, 学習指導要領が改訂され, 小学校6年の理科「物質とエネルギー」の項の(4)として, 次のような内容が示されました.
力の大きさは物の重さに置き換えられることを理解させる.
ア おもりをつるして静止したつるまきばねでは, ばねのもとにもどろうとする力とおもりの重さがつり合っていること. (イ以下略)
指導要領を解説した『小学校新教育課程講座・理科』は天城勲文部省初等中等教育局長の推薦というオスミツキでそのp.205で次のようにいっています.
したがって, 伸びて静止したばねは, 伸びきったのではなく, 伸ばそうとする力ともとにもどろうとする力が同じであり,つりあっていることになるのである.
これを書いている人にとっては,力と力はものを介さずに引き合って, あるいは押し合って, つり合っているようです.
そして,この指導要領とその解説等に色目を使って書かれた小学校の教科書が検定という制度の中で決定的な誤りをおかしたまま子どもたちの手に配られるという悲劇が起きたのです.
これが意識的になされたとすると犯罪です.書いた人たちが
“わかっていなかった”とみることにしましょう.
この教科書の誤りについては「教科書の"力学教材"の問題点」(『理科教室』No.153,
157)で三井伸雄氏が詳しく述べていることはご承知の通りです.
千葉県で高校理科の伝達講習会があったとき, 私はこの点をとりあげて質問しました.
「指導要領の意を体して過りをおかした教科書をどうするか. このような図式(下図 略)で示された2力は作用反作用の一組であり,
つりあいを論ずべき筋合いのものではない.」と.
改訂理科6下 啓林館 p.53には次の記述があります。
ばねのかぎを指で引っぱったり, それにおもりをつるしたりすると, ばねはある長さだけのびて止まる. このときかぎのところでは, ばねがそれを上向きに引く力と, 指やおもりが下向きに引く力とが等しくなって, 2つの力はつりあっている.
これに対して指導主事は「ばねの先端の微小な部分を考え,そこでつりあいを論ずればよい」という迷論を吐いたものです. この誤りは,
私の教育実践の中で子どもから出た意見を紹介すれば十分でしょう.
ある日, 私は2力の合成の練習をやらせようとして, 黒板に二本の力の矢印を書きました.
T
この2力の合力を作図しなさい.
P
この力, 何に働いているの?
T
ここに小さい物体があると考えれば….
P
そんなことできないよ. それ, すっとんでいっちゃう.
微小な部分に働く力なんてナンセンスであることを, 指導主事さんはおわかりにならないのでしょうか.
1971年の第19時千高教組教研で, 私は “…しようとする力” というリポートをしました. その総括集には次のように記されています. 「 」は報告文引用.
「高校に入ってくる生徒の力に関する理解の低さには驚かされる.特に『作用反作用』に関しては,ほとんど理解されていない」とリポートはいう.そしてそれは「教える側でわかっていない場合が多く,この重要な概念がわからぬまま教えつがれていることは驚くべきことである」と続く.そして「しかし,事態は更に悪化した.“わからぬままに教えられた” から “まちがって教えられる”
状況に変わったのだ」という.
「“小学校改訂指導要領・理科編”で規定された6年の内容の力に関する箇所に“おもりをつるして静止したつるまきばねでは,
ばねのもどろうとする力とおもりの重さがつりあっている”という項目があり,
この不適当な表現に準拠した教科書が明確な誤りをおかしている」ことを指摘している.
「それでなくても生徒がおちいりやすい “…しようとする力”
という表現を, 学習指導要領の法的拘束力をもって強制するのはどうしてか? “…しようとする力” をなくすことが力を正しく理解させるための必要十分条件なのに」と結論している.
この頃, 千葉の物理を教えている連中は, 地区教研, 県教研, 科教協支部合宿,
関東大会, 全国大会等でさかんにこの辺のことについて論じています.
さらにもう一つの問題がある.
作用・反作用ということばの語感からくるものかもしれませんが, 作用反作用では作用が主であって反作用が従であるような感じをもたれやすいようです.
“板の上におもりをのせる. おもりが板に力を及ぼす.
板が変形する. それによっておもりを押し返す.
だから, 反作用は板の変形によっておきた”このように, 分析的に説明することの誤りについては稲葉正氏(県立千葉高)がつとに注意を喚起しているところです. 作用反作用のような基本法則は自然から直接に学ぶべきもので,
理由をつけて説明してはならないというものです. 変形による反作用を説明することになれば, 他の力についても,
それぞれの作用反作用がおきることの説明を考えなければならなくなります. 稲葉氏は'74年度の科教協千葉支部誌の中で次のように述べています.
法則を天下りにおしつけようという植民地的教育姿勢をとりたくないとする限り,ひとの認識はいわく言い難い共通の経験(基本概念)に立ちもどらざるを得ない. ジイドの「田園交響曲」の中に, 生まれつき眼が見えない人に「赤い色」を理解させようとする話があるが,それは本来不可能なことである.
あつい,つめたいというのも,いわく言い難いが,分子運動がわからなっければ温度がわからないというのは,本来転倒である.
力もまた,言語を超えた基本経験として発生したことに疑いがあるだろうか.ここで力が何であるかを論議する必要は全くない.ただ,経験を豊かにし,これをはっきり意識させるために量の大小を知る方法(ばねやおもり)になれさせれば足りる.量の単位は何でもかまわない.
さらに生徒との関連を密接にする形で意識化を強める意味で,力の代数が(つりあいの力学の形)発生する.この過程で,作用線の法則,力の合成法則,が発見され,さらに重要な力の主客関係・反作用の法則(対等という意:筆者注)が発見される. 反作用の関係は,
ばね秤でものを引いたり, その先に磁石をつけてみたり,
何はともあれ, もうたくさんというまでやるべきであろう.
(中略)
特に注意したいことは, 発見すべき基本法則を,
あいまいな前提から「説明」してはいけないということである.何にでも説明・証明があり,それのできるのが学力だという誤りを拭い去らねばならない.その意味では反作用がある「わけ」を説明してはならない.接触して表面が変形しても,接触しない場合でも反作用はあるのだから.(後略)
おわりに
力を学習するのは,その力で自然をきり開かせるてめ,という観点が正しいと思います.自然に働きかけることで,力の切れ味がますます冴えていくことも確かです.ただ,ジャングルのような複雑な自然にたちむかうためには,人類が獲得した力学の体系で装備することが必要です.そういう点からいえば,中学の段階にきて,なお「作用反作用には深入りしない」という姿勢は逃げ腰だと思います.小学校でも,教える教えないは別として,教員はしっかりとこの原理を身につけておくべきでしょう.
作用反作用はやさしい原理です.(原理は一般にそうです).
やってみて「なるほど,そういうものだ」と思えばそれまでなのです.むずかしいと思っているのは,教える側のコンプレクスなのです.正しい物理教育を受けられなかった私たち教員が被害者であったことを確認し,早くそこから脱却して,加害者の側にまわらない(教えないのも時には加害者だ!)ようにしたいものです. 私は,
作用反作用を正しく知ってもらうことをライフワークにしようと思っています.
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