盛口襄さんと私と 石井信也(元アルケミスト同人) 2010年12月5日
誰にも錯覚はあるものです。盛口さんが<<アルケミスト草創の頃>の中で、山形教研で云々とありますが、この教研へは私も参加していて、会場で盛口さんにお会いしているのです。この年は山形は大雪で、宿泊所(米沢市)までの移動が困難だった、という記憶があります。
“どれだけものにこだわるか”という度合を<アルケミスト度>と呼ぼうということになりました。盛口さんは90、石井は80、
長崎の鳥取益之さんは95という評価でした。
埼玉教研では、その鳥取さんがリポーターで“金属がパチパチ燃える音は、金属結合が切れる音で…”とやったところ、東京・埼玉の化サの人たちにこっぴどくやられ、3人で苦笑したものでした。
盛口さんが登山家であることを知りませんでした。ある時、“一人で、仙丈(仙丈ケ岳 南ア)へ行ってきた”というのです。私も山の経験は多い(http://sound.jp/oze-isihi 主張・論文の項 山の話)方ですが、盛口さんに出会うと、理科の話にのめりこんでしまって、山や詩(石井は下手な俳句を創ります)の話はどこかへ吹っ飛んでしまうのでした。
二人とも山は<一人歩き>が多かったようです。登山家には<そこに山があるから>という言葉がありますが、<そこにものがあるから>というのが、アルケミストとしての、実験家の理科教育観でした。
盛口さんの思い出を冊子にしようということになりました。これは、その冊子用の文章です。