山の記録 (S)はスキー KZAKの括弧の中の数字は日数
1946 妙義山」
1947
1948
槍ヶ岳 妙義山 清澄山 菅平(S)
1949 榛名山 那須岳 湯沢(S)
1950 妙義山
高尾山 三原山 大穴(S)
1951 高水三山 石老山 白馬三山 渋峠越(S)
1952 北ア裏銀座
昇仙峡 八方尾根(S)
1953 大岳山 唐松岳(S)
1954 立山剣岳 針ノ木峠 石打(S)
蔵王(S)
1955 戸隠山 立山
1956 飯縄山 日光 奥多摩御嶽 石打(S)
妙高(S)
1957 奥多摩御嶽 赤城山 扇山 高尾山 日光(S)土樽(S) 岩原(S)
1958
富士山 大菩薩峠 乾徳黒金山 赤城山 筑波山谷川岳 三つ峠・雲取山
1959
日出山 富士山 大菩薩峠 甲斐駒ヶ岳 北岳・農鳥岳 陣馬山 景信山 入笠山
1960
棒の折山 榛名山 富士山 金峰・千丈岳 塩沢(S)
1961 丹沢表尾根 日光白根山 那須朝日岳等
金精峠 妙義山 湯元(S) 発哺(S)
1962 荒船山
赤城山 湯元(S)
1963 丹沢大山 尾瀬火打岳 上野原(S)
1964 御坂峠 鳳凰三山 富士山
武尊山 剣山 医王山 蓬峠
1965 上野原(S) 川苔山 塔ケ岳
甲斐齣・仙丈
1966 万座(S) 草津(S) 草津(S) 庚申山 塔ケ岳 刈寄山
筑波山 大平山 御嶽 塔ケ岳
乾徳黒金山 臼杵市道 北岳・赤石岳 金精峠
尾瀬戸倉三山
1967 草津(S) 蝶・常念 丹沢首稜 天覧山 三つ峠 三頭山 馬頭刈山
赤城山 丹沢緒表尾根 元清澄山
大山 元清澄山 武甲山 赤石・光岳
霧ヶ峰・美し原
三頭・雲取 立山・大日岳 女峰山 鬼怒沼 KZAK(1・2) KZAK(3・4・5)
KZAK(6.・7)
1968 奥秩父 那須 丹沢
武尊 丹沢雲取 飯豊・朝日 三国峠 赤岳 浅間 三つ峠 清澄山
KZAK(8・9・10・11・12) KZAK(13・14・15) KZAK(16・17)
KZAK(18・19・20)
1969 上の原(S) 大菩薩 奥多摩縦走 十国峠 川苔山
清澄山 湯ノ丸山 丹沢表尾根 八ヶ岳縦走
鳥居峠
八ヶ岳 清澄山 谷川岳* KZAK(21・22・23)
KZAK(24) KZAK(25・26・27・28・29・30・31)
1970
1971
昔からよく山を歩いた。
野田高(1957)、清水高(1962)の山岳部顧問になってからは、その回数が増えた。
清水高に職員の山の会を作り、部報<里程>を発行する(1963)ようになってからは、更に、その回数が増えた。
山行の場所を決めるのが面倒になった頃、同僚と三人、関東地方の境を歩くことを決めた。<国境を歩く会 KZAK(ザック)>と命名した(1967)。
ぼっか訓練で谷川を登っているとき(1969)*、心臓に異状が来た。土合の486段の階段を一人で下りながら、これで、私の山は終わったと思った。
私のザックは31日目の、横手山付近でストップしたが、この計画は数年後に完遂された。
<里程>は22号(1971)まで続いて休刊になった。
10年もたって、群馬の理科サークルと付き合うようになってから、「空身」で尾瀬を歩くようになった。
殆ど数えきれないくらい…。
だが、それも、そろそろ終りかな、と思っている今日この頃である。