もっぱらものから学ぶ
理科の教育研究集会へは,私は,実験道具を持っていくことにしています.
大がかりなものは持って行かれないので, 手軽な装置,いわば玩具とも見られるような小型のものを持って行くのが通常です.
長野の教研でもそうしていますが, その初期の頃, “私の学校ではそのようなオモチャを必要としません” という発言が, 参加者の一人からありました.
千葉の教研でも, ある受験高校の教師から “実験などというものは, 女子校か定時制か実業学校でやるもので…” という発言があったものです.
私がそれまでに勤務した学校は,女子高校と定時制高校と実業高校だったので,「納得」したものです.
その後,千葉市内の受験高校へ転勤しましたが
“理科はもので教える”
という基本方針は変わりません.もちろん,退職後の今日においても.
化学の教師たちを中心とした<アルケミストの会>という集りがあります.私も工業高校で化学を担当していた頃は,この会の会員でした.というより,千葉の盛口襄さん(試験管でダイアモンドを合成した人です)たちと,この会を立ち上げた一人でした.アルケミストの名称からもわかるように,この会は化学の実験に執着している教員たちの集りです.
盛口さんは,当時,房総の女子高校に勤務していましたが,その後,千葉市の受験高校へ転勤することになります.そこは,例の
“実験などというものは,…” と発言した先生が勤務していた学校でした.ここで, 盛口さんは “受験生たちの多くは, 化学がよくわかっていない”
ということに気づいたのでした.
受験高校のハイ・アチーバーたちは, 教科書に書かれていることを, 能率的に記憶し,受験の場で「披瀝」すると, あとはきっぱり忘れさる,
という学習の仕方を身につけているようです.これが「できる子」の実態なのでしょう.
長野の教研では, その後,多くの参加者が実験道具を持参するようになったことを嬉しく思っています.
理科の学習で <もっぱらものから学ぶ>という方法は,科学の最前線でも同じことです.研究者たちは,
徹頭徹尾,ものに取りついています.フロントには論文がないのですから,ものに「きく」以外に手がありません.教材のより深い把握は,
このようにして得られるのだということを,理科の教員たちも理解すべきです. 教科書の解説者であることを越えるためにも.
自らが主体となって,
自分にとって未知の世界を発見していくこと,それが子どもにとっての理科の学習なのです.そのような場を設定していくこと,それが教師にとっての理科の授業なのです.
1951年に学習指導要領(Course Of Study)理科編(試案)が発表されてから,ほぼ10年毎にCOSは改訂されてきました.
途中から試案の文字が消え,今では法的な強制力をもつようになっています. この教研集会では,常に,このCOSの内容を批判的に検討してきました.
一例として,<作用反作用の欠落>を問題視してきました. 力学ではニュートンの三法則を基本概念とすることに異議を挟む余地はありません. ところがCOSは,
その一つ,作用反作用の概念を捨て去ってしまったのです. 中学のCOSには,作用反作用というテクニカル・タームスさえ出てきません.
COSには,運動の規則性に関する内容の取り扱いについて “物体に力が働くとき反対向きにも力が働くことにも触れること” という<注釈>があるだけです.
多くの批判があるにもかかわらず,今回のCOSでも,この部分については<改訂>されていません.
力のはたらきとしては,ものとものとが<押しあう>場合と<引きあう>場合とがあります.これを,押しあう場合で描くと,図1のようになります.力はものにはたらくので,
その力がどの物体にはたらいているのかをいわないと意味がありません.力がはたらいている物体の中に,力の作用点をグリグリと描くのが重要なのです.そうしないと,その力がどの物体にはたらいているのかが,はっきりしないのです。
COSに,
ものが登場しない傾向は,昔から一貫しています. 昭和45年に検定された小学校6年理科の教科書では,
力の学習は次のようになっています.“ばねがのびたまま止まっているとき, ばねを下向きに引く力と, ばねが上向きにちぢまろうとする力とが等しくなっている”
として図2が描かれています. 力がものにはたらいていないのです. 力と力が引き合っているように見えます. だいいち,
<ちぢまろうとする力>という表現そのものが非科学的です.
さて,
この<ばねを下向きに引く力>と<ばねが上向きにちぢまろうとする力>は,それぞれ,なににはたらいているかがわかりますか. ものが出てこない典型です.
これは啓林館の教科書の図ですが, 調べた限りの他の5社の教科書でも同じでした. 教科書は, 最高級の学者さんたちが執筆・監修しているのですが,
COS作成のお役人ともども, 力についての理解が不十分であることがうかがえます.
本教研の討議の柱の一つに,新学習指導要領にともなう小中高の一貫した教材編成の探求, があります. COSの欠陥を批判しながら, 力の学習に関しても,
この会の統一見解を出すべきでしょう.
このように, COSについては,その内容にも不満がありますが, それよりも,
教育そのものが国によって規制されることについて危険性を感じるものです.戦時教育を受けた私は,
国の教育には常に警戒心を抱いています.教育基本法の改訂は憲法「改正」への一里塚なのです.
<こころのノート>はそれへの布石なのです.このテキストは国定教科書そのものです.
この教育研究集会の,ますますの重要性を感じる今日この頃です.
2010年6月,長野県高等学校教育文化会議は<教文会議四十年史>という冊子を発刊しました.上の文章は,その理科教育研究会の部分に,教研の共同研究者としての石井が投稿したものです.