物理読み物28 速度 M-64 No225
2010年7月29日(木)
ある日のこと、 星の王子さまは、バオバブの樹の下に座って、空を眺めていました。小さな星が一つ流れて行きました。しばらくすると、また、星が流れて行きました。今度は大きな星も含めて、いくつかの星が流れて行きました。“流れ星の多い日だナ”と王子さまは思いました。“だが、待てよ。流れているのは、あの星たちなのだろうか。それとも、私の星なのだろうか?”
飛行機での経験です。飛行機が成層圏にまで飛び上がって巡航に入ると、飛行機が飛んでいるという感覚は全くなくなりました。窓の外を見ても、青黒い「空」が見えるだけです。気流の状態が悪くなって、運動状態が変わると、それと、わかりました。速度は体感できないのに、加速は体感できるのです。等速度運動をしている王子さまの星の上や、巡航中の飛行機の中では、地球上で生活しているのと何の変わりもありません。このような、場所、空間を慣性系といいます。ひとつの慣性系から見て、等速度運動している他の系は慣性系です。慣性系同士は対等で、どちらも、優位を主張することができます(あるいは、できません)。
ニュートンの運動三法則のうち、第1法則は慣性の法則とも呼ばれ、次のように表現されます。“外部から力が働らかないか、あるいは、いくつかの力が働いていても、それがつり合っていれば、静止している物体はいつまでも静止を続け、運動している物体は、いつまでも、等速直線運動を続ける”
静止を続けるという前半の部分は、感覚的にわかりますが、後半の部分は生活経験に矛盾するので、容易には理解できません。“運動しているものはどんなものでも、やがては止まる”という信念…信仰といった方がよいか…が、私たちにはあって、静止しているのが、ものの本来の姿であり、運動しているのは静止へのアプローチとしての仮の姿である、と思っていた(あるいは、今でもそう思っている)のです。静止が一般であるというのは、地球というプラネット上での特殊事情だと見抜くことは、容易ではなかったのです。
静止がものの本来の姿となれば、運動しているものについては、その理由を説明しなければなりません。自からの位置に戻ろうとするから…、とか、インピタス(エネルギーといっても同じこと)を持っているから…、とか、いろいろです。
運動している物体は、みんな、それぞれぞれ異なった速度をもっているというのが、一番無理のない状態です。誰が命令する訳でもないのですから、それが、お互いに、みんな歩調を揃えて同じ速度で運動しているというのは、全くもって“気持ちワリー”としかいいようもありません。そんな世界を座標系にとれば、物体はみんな静止しているということになるのです。
摩擦力には相対的な運動をゼロにする働きがあります。地球は(重力と)摩擦力が支配する天体なのです。
静止を一般から特殊へ鋳直す思考の転換は、まさにコペルニクス的転換でした。
ものは運動する、しかも、自由に運動する、というのが、もののラヂカルな性質なのです。