KZAK報告(第14回) 付4 2012年6月21日(木)
第44日
朝日岳(1971/6/5)
水上駅は東京から近い. 普通列車長岡行は,
高崎で41分停車だが, 4時間21分で着く. 待合室は登山者一色.
おもいおもいに寝ている. 私たちも荷物載台二つを並べて,シュラフを出して3時間近く仮眠.
東武バス湯ノ小屋行は, 立教, 明治の大パーティでほぼ満席.
藤原ダムに上がる頃, フジの花が山肌に輝いていた.
久保で全員下車. 私たちはタクシーにて宝川林業試験観測所へ.
快晴, 日射は既に夏である. 高度計を800mに合わせる. 朝日岳は1945.3m, この差をこれからかせがねばならない. 8時30分, 大きく深呼吸して歩き始めた.
13分ほどで板幽沢着. わらび刈りであろう, 乗用車が追い越して行って, 止まった. 林道終点は伐採作業場になっている. 指導標には「朝日岳登山道 山頂約6km, 4時間(軽装)」とある.
「(軽装)」という字に, 倍の所要時間を覚悟する.ピンクの山つつじと, 白いこぶしの花が新緑に映えている. 左岸の高い登山道は平坦で, ほとんど登りを感じない. スミレ,
コバイケイソウ, ショウジョウバカマ,
イワカガミ, オオカメノキの花が,
単調な歩行に変化を与えてくれる. 飯島,
清水, 私の3人の荷は平均されていて, 重くはない. 沢音が少し高いと思ったら, 左下前方に落差の大きな滑めを含んだ滝が, 白く割れていた. 小さなポールに「八宝の滝 後方の峰笠ケ岳」とある.
目を上げると, 新緑の木々の向こうに,
残雪をいただいたこげ茶色の山肌が見える.
1964mのピークへ上がる道を右に分けると, 宝川に出た.
河原の大石に白ペンキの矢印で朝日岳の方向を示してある. 白ペンキは対岸へ渡っているが, 水量多く, 徒渉は困難と思える.
少し上流のスノーブリッジがおあつらえ向きであった. これ以後,右岸の道は沢に近く, 残雪も多い. 10時35分広河原着. その名の通り,
かなりな広さで左にウツボギ沢を分けている. 板切れに「朝日岳山頂3km, 2時間30分」と記されている.
昼食. ラーメンの中に入れたふきのとうは,
美味であった. 層雲が発達し,
頭上を朝日岳まで続いている. 増水したウツボギ沢は,
靴を脱いでの徒渉, 水は冷たく,
2歩で足は痛くなった. 必死で渡り,
後ろの清水さんを見ると, ふらつきながら到着.
顔色少し悪く座り込む. しばしの後「失神しちゃった」と言う.
広い河原は沢山の残雪を留め,割れ目にはミズバショウが群落をなし,シラネアオイが淡青紫色の花弁を可憐に咲かせている.真ん中に雨量計があった.道は残雪と湿地と交互に繰り返す.50分も歩くと広い沢は全面雪となった. 中央をのんびり歩く. 背中の荷も気にならない.
大石沢は左手に広く雪面を持ち上げている. 朝日岳の肩であろうか.
稜線も明瞭である. 宝川はこの先,
一部底を見せている. 雨量計があったが,
夏道はこのあたりから尾根を登るのであろう. 私たちは大石沢を詰めることとする. 高度計1250m, 登山靴は快調に雪面を蹴飛ばし, 急斜面を直登する. 眼前に迫り来る白い壁は私の敵ではない. 貴重な高度をかせがせてくれる味方である. 53分後の高度計は1700mを示していた. 素晴らしき登高であった. 一息入れると, 今居た宝川は遥かに低く, 布引尾根の向こうには, 赤城,
武尊, 日光白根, 至仏, 燧, 利根源流の山々が並び,
明日縦走予定の巻機への稜線も上がって来た. 苦しい登りの後,
遠近の, 周囲の山を確認できる喜びは常に変わりなくあるが,
それが, いずれは歩こうとする山,
歩かねばならぬ山の場合は全く異なった趣がある.
KZAK山行が他の山行と本質的に違うことは,
山を下りて「これで終わったというのではなく,また次がある」という良さだ,と清水さんは言う.理屈は抜きにしても,とにかく,山を下りて満足感と同時に感ずるある種の空虚感がこの山行にないことは確かである.
笹のブッシュを抜け,雪渓を一つ登り,再びのブッシュの上に夏道があった.それから朝日ノ原への26分は長く感じた. 土の上の歩きづらさよ!! 14時58分着.
稜線は4月と景観を異にしていた.
雪原の東端に設営と決める. 20名位の一パーティーが設営に余念なく動いている. 西へハイマツをよぎって見た谷川はやはり高かった. 18時就寝. 夕方より雲は次第に厚くなり, 夜は風と雨. されど睡眠不足の私たちが眠れないほどではなかった.
第45日
朝日岳-巻機山(1971/6/6)
3時50分起床. 雨雲が厚くたれこめ, 小雨.
気温8度.
天候が悪いと出発までの動作が鈍くなる. 3時間を要して出発.
幸い雨は上がり, 視界もある. 4月5日, 広い残雪のジャンクションにだいたいの位置見当をつけて, ハイマツに打ったプレートNo50はすぐに探し得た. 夏道の傍らであった.
このすぐ先に分岐があり「巻機山清水峠尾根縦走路 NoJ」
のポールに打ちなおす.このポールは巻機までNoを少なくして続く.
尾根上の雪はなく, ハイマツと低い笹と草地が急斜面で東に下っている. 転ぶと一瞬にして下着まで水が染みた.
ぱらつく小雨の中を地蔵ノ頭へは一登りであった. 導標NoIは予期した通りあった.布引尾根を従えた大鳥帽子は,東面の雪田をまき上がった.稜線上は明瞭な道があった.4人の軽装パーティーに逢う.
テントも背負った彼らは,勿論巻機からであるが, その荷のコンパクトなのに比べ, 私たちのスタイルは妙な感じであった.
大きなガスの突然の乗越しに,広い雪田で視界を失ったが, 4人のトレースを頼りに下る. 道は稜線と利根側の残雪を交互に繰り返す.
“残雪あっての道”という表現が適切である.
ナルミス越路からの緩やかな登りが終わると広い桧倉の山頂であった.
倉という名にふさわしい山容と山頂である. 小雨と濃いガスの中に.
草つきの湿地は池塘をたたえていた. もう少し遅い時間なら,
ナンキンコザクラが満開となろう.
シラネアオイは低い笹の中に多い. 殺風景なその中に,
淡青紫の花弁はこの花をなおさら効果的に見せる. ヒメツツジは未だ早いが, ヤマザクラが小さな花を咲かせ,
シャクナゲの深紅〜淡紅色はガスに濡れた新緑の葉に冴えて美しい.
シャクナゲの区別を教えてくれた平標小屋のおやじを思い出す. その谷川も視界にない. 標高差のそれほどない下りは, いつも快適である. ガッチリと整備され, 訓練された感じの単独君が登り来る. 昨夜は雨と風に苦しんだとのこと, 早朝から歩いているに違いない.
この稜線上のコルは「越路」を「こえじ」と読む.多くあるが,清水の猟師や魚釣りにはたいせつな峠だそうである.桧倉越路には清水へ下る道があった.道標NoEには,柄沢山3.1kmとある.
標高差350mである. ある本に,
涸沢の引き上げだから五万図「柄沢」は誤りで「涸沢」とあった.山渓世界山岳百科事典には「柄沢山別名東屋山」とある.道は稜線である.登りなかばから,利根側の残雪を直登,二度ばかり山頂を思わせる山容の後,南北に長い,笹とシャクナゲの三等三角点に着いた.導標NoDは破損寸前で読めない. 三角点北方約10mの笹の中のシラビソにKZAK51を打ち, 登山道から巾1m, 長さ5m位の道をナタで切り開いた. パンと朝用意した紅茶で昼食にする頃, 小雨は止んだ. しかし,
眼前の雪田はガスの中に消えている.
食事後は全員好調, ナメリ平へはとばした. 長径3m位の池塘が二つ.飯島さんがその傍らで写真用のポーズを取った.ニウジッタ山,エガシラ山,深沢の頭,と三つのピークを通過して,米子頭山へは難なく登れた.導標NoB,1798m, 栂の段山へ1.2kmとある. 北東面を,
シャクナゲの根に気を取られながら下ると, やがて広々とした釣屋根様の鞍部へ出る. 風這いである. 感じのいい傾斜で登っている. 利根側の残雪上に出て登る. やがて急坂となり,
雪のない稜線を「これが最後の登り」と自分に言い聞かせ,上げた足の膝に手を乗せて体を押し上げる.この時ばかりは,なかなか変わらぬ高度計の針がうらめしい.胸位の笹とハイマツとシャクナゲの広い肩に出,広い雪の斜面を,ガスの中にトレースを探して登る.栂ノ段山と思われる地点から残雪を10分登行すると, ガスの中に3本の導標が突如出現した. そこはまぎれもなく巻機山であった. 1本は導標No@,
2本目は「湯沢町観光協会縦走路分岐点」の表示, これにKZAKを打つ. 残りの1本はXさんとYさんの結婚記念云々. 急に,
山の存在価値が他に移った感じがする. 私の山にとり返したく清水さんに写真を催促した. 眼前の池塘が安らぎを与えてくれる.
巻機山は割引山から1960m峰と, 牛ケ岳に対し呼ばれるが,
正確には1960m峰とのこと.
ザックをポンチョにくるんで, 牛ケ岳へ出発.
広い尾根は,高原調の低い笹に,種々の低木, 草つきにコケモモ,
ガンコウラン等を交え, 残雪の融雪に池塘は満水.足もはずむ.三等三角点には1m角の航空写真用の発泡スチロール製板があり, 46・2・28まで破損禁と記されていた.
すぐ北に, 池塘と, 祠と, 牛ケ岳と記したポールが2本あった.
裏巻機山登山コース開発記念(五十沢コース)とある.
東の国境稜線を探したが,ガスと残雪に確認できない.巻機に帰り,小屋へ向かう.池塘が点在し,
ブサノ頭(偽巻機山)への分岐には鉄板に「巻機山コース10/10」とある. 清水から桧穴ノ段を登り来るコースの分割であろう.
巻機小屋は満員. 北方の竜王池付近に設営. 残雪豊富.
相変わらずのガス,明日の晴天を期してシュラフのチャックを下げた.静かな山の夜は心地よい疲労の中で思考するによい.
第46日 下山(トトンボの頭)(1971/6/7)
3時15分起床. 快晴.
昨日, ガスの中を歩いた稜線が予期せぬ方向に見える.
方向感覚をとりなおし, テントをそのままにして国境稜線偵察に出発. 谷川が意外に近い. 越後三山を私は始めて見た. 極めて近く.
国境稜線はすぐ判明した. 牛ケ岳の少し南から広い屋根がくま笹の鞍部へ下っている.
風這いである. 薄いけれども道はある.
先に望みが出て来ると軽身の足は速く, トトンボの頭へ着いた.
遠くは富士まで, 全ての山が指呼できる.
国境稜線も明確で, 五万図上で一つ一つのピークを順に清水さんと確認する. 飯島さんに説明して再度暗記. 約1時間の露出で頭脳に焼き付けたこの稜線を早く歩きたいものである.
自然に, 冬山のこの白い尾根歩きが浮かぶ.
ヤマザクラの枝に赤ビニールテープを巻きつけて, 巻機へ引き返す.
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