KZAK報告(第12回) 付2
2012年6月7日(木)
第38日
蓬峠(1970/4/3)
KZAK山行も昭和42年4月29日, 湯河原よりその第一歩を踏み出し, 時日を重ね, この計画で14回目となった.
当初の予定の進度はとても及ばぬが,ゆっくりなれど歩を進めている.
主力のリーダー石井氏が去り, 新鋭の東風谷氏を迎え,
今回また, 期待のファイター飯島氏が加わり,
KZAK山行初の4名,
しかも残雪豊富な春山となった.
残雪およそ1mの土樽に着いた列車からは私たちと7〜8名が降り,
待合室に陣取った. 親切な駅員さんが石油ストーブに点火してくれた. 高崎の駅そばで満たされた胃は, まぶたの筋肉に休憩の指令を下し, 周囲にごろ寝となった.
6時20分起床. ガス.
視界20〜30m, 朝食後, ザックの重さを確認して出発. 未だ目覚めぬ足は, 雪上歩行にとまどう. 魚野川も水路以外は雪で覆われている. 予想以上に今年は残雪が多い. 全回,
昨年6月,同じ道を来た時は,
暖かい初夏の日差しに, 新緑と,
名は知らぬがピンクの花(ウツギらしい)が輝いていたのだが…
永久釣橋で一息入れ,蓬沢右岸を2〜3人分のトレースを踏んで進む.次第にガスは薄くなり,時折薄日も射す.とたんに目が細くなる.あたたかい.雪の白さを思い知らされる.クロガネ沢出合の砂防堤からは蓬沢の中央雪上を行く.緩やかな沢の登行で夏より数段歩き易い.左右の斜面に雪崩の後が黒い肌を見せ,沢に汚れた雪塊を集めている.この雪が消えるのはいつであろうか.
東股出合には二人の日光浴組が雪上に甲羅を干していた.トレースはないが,右岸の尾根に取り付く.表層の緩んだ残雪にステップカットをきかせて急登をかせぐ.夏道だと広場となっている地点の少し上の稜線上にて昼食と決める.ホーレンソウ入りコンソメスープとフランスパンは中々いける.周囲の雪がすぐに飲料水となる雪山は,水の心配をしなくてよいのがありがたい.3人のスキー組が登って行った. 蓬峠のあの笹平が, 一面のゲレンデとなって, 滑降は全く楽しいであろう. 羨ましくもある. 清水さんと顔を見合わせてニヤリ.
私は輪かんじきをつけ, 夏道を右下に見当をつけて尾根を行く. しばしの急登, 蓬―シシゴヤの頭への稜線が見え, そこに三人組が, ガスの中にかすかに認められる. 全員輪かんじきを着用する. 初のKZAK山行で初の雪山歩きの飯島さんは輪かんじきに戸惑う. わかんない…のシャレは出尽くした. 四囲の山は全面白く, ガスと区別がつかぬ. 稜線は風があり,
ガスが流れ, 一段と冷たく寒い.
風に飛ばされて夏道の露出したところもある. 雪はガリガリである.
濃いガスの中に蓬ヒュッテを探す. 昨年武能から見下ろした一面の笹平は全くその様相を変え, 鉄ポールには樹氷が伸び,
点々と露出した笹平も風と雪に凍てついている. 別世界である.
14時20分, 蓬ヒュッテ着.
冬期解放の掲示あり. 入口は少し開き,
そこから吹き込んだ雪が固まり, 戸は動かない.
便所の窓から入る. 土合から上がった一人を加えてスキー組4人は既にラヂウスに点火していた.
折角の缶ビールも寒さに味半減であったが, 東風谷氏推奨のカレー餅は美味で, 温かった. 相変わらずのガス,
天気図取れども回復の見込みが薄い.
第39日
蓬峠-清水峠(1970/4/4)
3時起床. ガス. 風強く寒い.
室内気温2度.
朝食後出発を見合わせて寝る. 7時再起床.
ガスと風変わらず. 清水峠まで行くことにして出発の支度に掛かる.
堤, 東風谷はアイゼン, 清水, 飯島は輪かんじきを着ける. 前回KZAKプレート48を打った標識は,
雪面に顔を出していたが, 雪堅く,
掘り出しての確認を止める.
ガスと風と雪の中を,スキーを背負った単独行君が来る.武能を越えて来たとのこと,昨夜は雪洞であったらしい.勇ましく頼もしく見える.
視界10〜20m.
時折露出した夏道と稜線探しと, 鉄パイプ3本のくくりつけを目標に出発. 頬に当たる雪が冷たく痛く, 冬山の如き天候である.
先行した単独君のトレースも雪面凍結のため薄い. 輪かんじきは不適当で外す. 瞬時薄くなるガスの中の遠景は大きな残雪, 稜線を一面に覆い, 晴れていれば素晴らしいであろうと思わせる.
七ツ小屋山へは緩やかな登りが続く.
ピッケルとステップカットから繰り出されるリズミカルな音が, 雪と耳に心地よく響き, ガスの中に消えてゆく. 少しばかりの緊張した直登の後, 七ツ小屋山着. 西風とガスと雪は続く.
道標には樹氷が成立し, ピッケルのブレードで擦ると,
その下に明瞭な白字が浮き上がり, この位置を示している.
大きな雪庇, 笹尾根, 広い残雪と変化に富んだ下りは, 時々トレースを失いはしたが, コースを間違えることはなく, 謙信尾根分岐からは次第にガスも薄くなり,
清水峠の大鉄塔と小屋が見えて来た. 後方大源太山は,
その岸壁を誇らし気に屹立している. スキーのシュプールを横目に峠へ転げ下る.
陽気さを取り戻す. 送電線監視小屋は石油ストーブがおもいきり温く, あっと云う間に濡れた衣服は乾いた.6日毎の交替の監視人は今日が交替日, お茶のサービスを受ける. 単独君は蓬から私たちの半分の所要時間で到着とのこと.
監視人とスキーで下山. 巻機をあきらめ避難小屋(監視小屋物置のことで施錠してある)西側に設営. 傍らに鳥居と祠あり, KZAK49は避難小屋横のポールに打つ. 皮肉なことに12時40分頃天候回復,
天神〜谷川〜巻機〜朝日〜白毛門が多量の雪を抱いてつらなる.
暖かい.午前中の寒気が信じられない.冬用テント内は昼食の準備で炊かれたホエーブスの熱で最高40度となった. 完全に晴れ,
山々は白く輝いている. 蓬峠では,さぞかし見事な4人のシュプールが描かれているであろう. 東風谷, 飯島, 堤は雪上訓練に汗を流す.
空一面の星と, 天の川に照らし出された青白い山々はその稜線を明瞭に,
明日への期待を抱かせてくれるにあまりあった. テント内は温かく,
行動時間の短さから疲労は少なく, 朝寝坊もきいてか,
歌と話に遅寝の夜となった.
第40日
清水峠-ジャンクションピーク(1970/4/5)
2時起床. 風やや強し. されど快晴.
周囲の白い山々. 気分も軽く出発.
アイゼンが気持ちよくサクサクと決まり, 太陽がまともに顔面に当たる東進である. 鉄塔目指して5分間の直登は防寒具を一気に捨てさせた. 鉄塔に凍て着いた氷と雪は, 朝の日差しにゆるみ, 高い金属音を発して鉄塔下部に落下し, 私たちの気をせかせる. 井壷山へ直登, 発汗著しく, 雪面に落ち消える.
巻機への稜線が明瞭に見え, その向こうに国境稜線も上がって来る.
朝日岳は眼前に迫る.谷川はその全山を惜しげもなく見せ,苗場,白砂へ続く.妙高,火打が遠く,白く輝いている.ジャンクションピークへは急登の連続であった.アイゼンが確実に決まり,着実に高度を上げて行く.次第に痩せ尾根となり,左右に急激に谷へ下っている.KZAK山行では常にそうであるが, 関東国境もここ上越へ至り, 東進していると,分水嶺という表現が実に確定的響きを持ってくる.
左の沢は登川から魚野川となり, 信濃川へ加わって日本海へ.
右の沢は湯桧曽川となり利根川へ加わって太平洋へと長い旅を続ける.
今踏みつけた雪はどちらへ旅立つ運命となるのであろうか. 考えているといつの間にか少し遠慮して,
いたわるように足を下ろしている. 大粒の汗が落ちて消えた.
朝日は心地よく柔らかく肌に当たり, そよ吹く風は汗を撫で付け, 爽快そのものである. 快調に歩も進む. いつの間にか3人を後方に引き離して,
広々としたジャンクションピークに着いていた. ふっとザックが軽くなった.
まさにそこは広い分岐であった. 朝日岳へはその広さのまま半分をハイマツにして続いている.
巻機への稜線は真下からいきなり始まり, 真っ白な北進である.
利根川源流はこの右奥に堂々たる広がりで平ケ岳へ弧を描いている. 燧, 至仏の向こうには日光白根も頭をのぞかせている.
上州穂高は手の届きそうな近さである. 富士もあるではないか.
そして秩父連山も確認できる. 浅間も八ツ岳も, 更にそして,KZAK山行初の日本海も蜃気楼の如き佐渡を浮かべて霞んでいる.
KZAK50は, そのNoに,
今までのプレートを打った時とは少し違うある種の感慨を込めて,太いハイマツにねじ止めした.
気温12度, 雪がそろそろアイゼンに着き,
下駄で雪上を歩くと同じわずらわしさである. ほんの少しの時間差が, 太陽に, 夜できた雪の凍結力を奪わせた. 日程の関係上, 巻機山を断念,
土合へ下山と決定. しばし巻機ヘの稜線を凝視して起伏を網膜に焼き付ける. 柄沢山の大きさが印象的であった.
残雪期の晴天なら一日コースであろう.
朝日ノ原は, 私たちにはその名前の通りとなった.
全身朝日を浴びて雪原を横に並んで, はしゃいで歩いた.
どこでも道である. 雪洞の跡もある.
条件が全て良く, 気分も全く良い.
朝日岳頂上にて2時間に及ぶのんびりした昼食を取る. 清水さんは日に焼けたがる. ガスの中で探した蓬峠〜清水峠間は七ツ小屋山がなだらかに両峠から尾根を上げている.
景色に満足し, 腹も満腹の私たちは,
巻機へ行けなかったことなど既に忘れてしまった. 笹ケ岳へは大きな雪庇をいだいた大鳥帽子と, 小鳥帽子を軽く越えて下り, 一登りである. 谷川からの風が急に強く当たり, 寒い.
その谷川は極めて近い. 名高き芝倉沢,
ユーノ沢, 一ノ倉沢,
マチガ沢は独特の様相を呈している. 中でも芝倉沢は長く,
大きく茂倉へ突き上げている. 茂倉,
一ノ倉の両尾根は,毎年遅くまで残雪があるが, 今も大きな雪田が見える.
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