KZAK報告(第11回) 付1 2012年5月31日(木)
第32日
万座山(1969/1/26)
1月26日. 万座山リフト終点付近の指道標にプレートNo26を打つ. 前日,
清水さんと彼の友人3人,
それに私とで熊ノ湯よりスキーツアー. リフトにて横手山山頂へ.
山頂ヒュッテは内部改装され, 前回幕営のテント場は雪で覆われ,
その位置は不明であった. KZAK山行初の南下である.
渋峠, 山田峠を経て白根山へ.
スキーを担いでの白根地蔵岳への登りは冷たい風に吹かれて辛かった.
万座日進館はスキー客でほぼ満室であった.
第33日
三国峠-北ノ窪(1969/5/1)
梓山は変りなかった.野菜の共同出荷場付近で,またもダットサンのトラックをチャーターできた.登山者の全てが十文字方面へ向かった.三国峠への道は3度目である.先回のKZAK山行(昭和43年8月)が緑に満ちていたのと対象的に,
山は未だ全面薄茶色で,春の支度に掛かっていない様である.
峠にトラックが近づくにつれて左手の山並みの中に,シヨナミの頭を探したがはっきりせず,
それらしき形を認めたにすぎなかった. 峠には立派なトイレができていた.
石井氏の後任は, 新鋭東風谷氏が継いでくれた. 今回新メンバーである. 9リットルの水を担いで出発. 30分ほどで三国山頂着. プレートNo20は健全であった.
主図根の石柱があり, 火焼き木板に白ペンキ字で「三国山
GWV」の標識があった. 都合4度この山頂に立つことになったが, 今回が一番不安であった. 先回の山行で,時間と労力を要したシヨナミの頭までのこと,
その先のカラマツ林の歩行困難であったこと, 雨に打たれたこと,
全て悪い材料ばかりである.
15分下った分岐点の岩に赤ペンキで「44・7・17」とあった. GWVの赤布切もあった.
昨年の山行者とすれば, この先ずっとあることになる.
案の定シヨナミの頭まで続いていた. 途中のルートも下草が少なく明瞭であった. 先回昼食を含めて4時間余を要したこの区間を, 1時間50分後の11時05に到着できるという快調さであった. シヨナミの頭と誰が名付けたか, 人知れぬ小ピークを私たちは求めつづけた.
けだるい春の日差しが安心感と眠気に作用した. 焼き板,
白ペンキ字はシヨナミの頭とあり, プレートNo21もあった. 昼食の後,
北面の岩陰から少量の残雪を得て, ジュースを作った.
30分の昼寝をたのしんだ.
赤ペンキは「大門−天狗−男山」とあり,ここより西への尾根につながっていた.
落葉したカラマツは未だ芽吹きには早いらしいく,視界は先回悩んだのがばかみたいである.御座山への稜線がはっきりと確認できる.たどりついてテント場とした地点まで10分位で難なく到着でき,いつの間にか通過した. 第2の小ピークから前方を見ると, 稜線の両面に巻道らしきものがある. そして足元に,道らしきいや立派な道が続いているではないか.
落葉が何層か重なった道を下ると, コルから西面を巻き始めた.
信じられない位まともな道である. これはハイウエイ並である.
しかし,下草のないこの時期故に,探し得た道であろう. こうなれば楽勝である. 稜線(県境)を行くことを,幾分へりくつをつけてあきらめ, 巻道を満足して進む. 途中, 笹で隠されても,
しばし感で進み, 再度踏跡を見つけ得た.
15時25分,
1970mのピークから西に張り出した尾根の肩に到着.
眼の前に,笹の縞模様に残され伐採された,山肌の小ピークがカール状にあり.御座山がぐっと近く迫り,その右手に三角形状のピーク(1821.8m:ツギノス らしい)がくっきりと見える. 稜線から離れていた私たちは, 1970mのピークを往復し, 北ノ窪にて幕営と決めた.
道のない尾根だが伐採中らしく容易に登れた. どこが最高点とも判別し難いシャクナゲに覆われた山頂に立つ.
長野営林署の境界見出標あり. 久々に見たそれはなつかしく,
そして忘れかけていた県境に居るという満足感を満たしてくれた.
倒木によじ登り四囲を見渡すと, 天狗方面からの尾根がシヨナミの頭へ連なり, そこから私たちの歩いて来た尾根が手前に伸び,御座(オグラ)も, そしてその右手に,私たちの目指す尾根も良く見える. 笹の縞残し山(縞山と呼ぶ)の向こうはどうやら笹が深いらしい. 明日は苦戦しそうである.
清水さんが今日の山行は「有視界山行だから…」と云う.まことにその通り,落葉したカラマツ林は歩き易かった.尾根の肩へ戻ると下から声がする.林道終点にコロナバンがあり,人が居る.沢へ下ると人夫であった.6人の伐採人夫は臼田営林署の人達であった. 彼らの話では, 今日3時頃,
単独山行者が, 私たちと同じ方面から来た由,
縞山を登って向こうへ行ったとのこと. 笹が背丈以上あるとのこと.
複雑な心境で夕食の支度にかかった. それにしても単独君は今日はどこまで行ったやら. ザックが大きかったそうである.
沢水で冷やした缶ビールはうまかった. 今日のコースが考えていたより容易であったこと, 単独山行者のこと, 明日のコースのこと, そして新人東風谷氏のこと等々, 話題は十分にあった.
第34日
北ノ窪-コレイ峠(1969/5/2)
石井リーダーの居ない朝は寝坊した. 上空薄曇. やや寒い.
縞山への小さな沢を登りつめて尾根に出る. 縞山にはL形のプラスチックポールがあり. 「45収予測No2」そして石柱には「主臼13」とあった. この先は道なし.
地図を読んでコースを決めて一気に下る. 途中より赤テープあり.
身長位の笹やぶに突っ込む. しばし進んだ地点でシカのツノ1本を発見. 四肢出た立派な物である.
笹を抜け出た地点から,雪をいただいた八ヶ岳が美しく見えた.
何を好んでこんな山で苦労するのかと思いたくなる. 小さなピークの大岩の下を過ぎ, 赤テープを右上にして少し下る.
(実はこれが間違いのもとになった)立木に黄色テープでNoを付してある. 笹やぶの中に入り,
これを右にトラバースすれば小ピークを巻いてコルへ出ると考えたのが, そもそもおかしくした. 身長以上の薮の中で清水さんが耳を突いた. 耳の中に出血している. 尾根を目指してトラバース気味に登る.
一面笹の広い尾根に赤テープを再発見.ワイドザックでの薮こぎに疲れた私たちは笹をはらって昼食にした.昼寝を含めて2時間の休息で鋭気を養った後の15分余りの奮闘の結果突然道に出た. またもやL形プラポールの出現である.
右手の小さなピークから下っている. どうやら先ほどの黄テープも,
これも伐採の目印と考えられる. そして赤テープはかなり高い位置につけられていることから, どうやら残雪期に歩いた人が付けたのではと推測する.
道を少し下って再度笹やぶに突っ込む. トラバースしながら笹をもぐり倒木を乗り越し, 苦戦すること20分,
再び笹の下に道を見つけ出す. 登ると峠であった.
雨量計があり, 図のブリキ板(略)があった. その他,東京農大探検部等の字があった. 雨量計の説明板に「KZAK補45・5・3」と記した. 三川へ下る道はあったが,
尾根を行く道はない. 単独山行氏はどうしたことか,
赤テープももうない. 他のパーティーの日付も残雪期らしいし,
「雪中よりこれを見出す」等の文字もある. 身長+20cmの笹やぶを進むことは,
私たちの今日のコンジションと装備と日程では無理と判断し, 三川へ下ることにした. 清水さん耳の痛みが引かぬらしい. 下り道はすぐ沢となった. 沢の右岸に道が分かれる地点に図(略)の二枚の道標があり, 左岸を登っていた.
明大WVの諸氏はどうやら三川から登って来たらしい.
それにしても,人知れぬ峠を訪ずれる登山者もあるものだ. 私たちはこのKZAK山行がなければ来ることはなかったであろう.
道は山腹を水平に巻き伐採地に出て林道と出会った. 林道は北ノ窪からの林道と出合った. 三川へ1km地点にて,
ミニカトラックに乗せてもらった. 私たちはコレイ峠で決めた予定(御座登頂)を実行するため,
この車に,粟尾へ運んでもらった. (紙面の都合上,
御座山登頂の記録は省略させてもらうが, この山が素晴らしい山であったこと, そして山頂付近で拾った5万図巾[十石峠]は,上野村,相木村一帯の沢,ピーク,尾根等が非常に詳細にペンで書き込みされてあり,これによって私たちのテント場が北ノ窪であること,コレイ峠, ツギノス等の地点名を得たことを付記する)
第35日
三国峠(1969/5/3)
17時55分三国峠トンネル入口(群馬県側)を出発. 昔はこの峠を,沢山の人が越したのであろう. かなり広い道である.
15分登った地点の沢でポリタンに水を詰めて峠を目指す. 18時30分着, 神社泊と決める.
神社に木彫りで「ここはへえあちゃとだんべの国さかい」とある.三国峠で木製のポールにプレートNo43を打つ. 峠より西への道標に「赤沢林道を経て四万温泉14km 6時間」 とあり, これを行くと, 送電線の大鉄橋があり, その先は次第に道が不明瞭となっている. 白砂, 稲包を経て来られるかどうか疑問である. 夕食の支度中米の不足に気づき, 新潟県浅具に下り, ロッジにて仕入れる. 夜の国道17号線散歩も一興であった.
第36日
三国峠-大障子避難小屋(1969/5/4)
峠の里程表によると, 大障子避難小屋まで14,490mである. 三国山頂へきつい登りが続くこと40分,
雲一つなく晴れ, 朝露が靴下を濡らす.
シラネアオイ・シャクナゲ・ツツジ・イワカガミが色鮮やかである.
谷川まではっきり確認できる. 道は明瞭.
マツダランプの距離入りポールが500m毎に,
更に250m毎にポールのみがあり,
肩の小屋までを示す. 1時間40分で平標小屋着. 4/23〜11/3の間管理人滞在. 花の名を教わる.
オオカメノキ・ムラサキヤシオツツジ・3種のシャクナゲ・ナンキンコザクラ等々. 沢山の残雪にとり巻かれた平標山はその名の通りであった.
ここからの苗場山は, また一段と良い.
道標にプレートNo44を打つ.
ヤマザクラ・シャクナゲの群落. ハクサンイチゲもある.
残雪とお花畑と単調な道が仙ノ倉へ続く.
おまけに小屋のおやじも感心する谷川にはめずらしい快晴. 谷川から朝日岳, そして巻機までよく見える. 全く楽しい山行となった. 仙ノ倉着9時30分. 意外にも横手山頂のパラボラ鉄塔が見えた. ハイカーが山を楽しんでいる. 昼食.
13分下ったコルにカマボコ形避難小屋あり. エビス大黒の頭へ一気に登る. 林班界ポール35┬34あり. 毛渡乗越へはかなり下る.仙ノ倉が高くなり,万太郎がそびえ立つ.川古へ4時間の道標は古くなっていた. ゆっくり登る. 避難小屋を過ぎて万太郎の肩の下で東風風氏足つりの前兆.
20分の休憩の後出発. 万太郎へは13時42分着であった. プレートNo45を打つ. マチガ沢をやって来たという単独君が背負子に缶2つといういでたちで登って来た. 頼もしい感じである. 他に大学生の一パーティーのみ. 静かで気分の良い山である. 仙ノ倉が同じ高さになり, 谷川岳へ尾根は続く. オジカ沢の頭から下る赤谷川源流は, 多量の雪渓に覆われている. 大障子避難小屋14時48分着. 少し早いが幕営と決める.
水場は下り3分, 雪渓の水である. 赤谷川源流の雪渓は改めてその大きさを知らせてくれる.
昨夜浅具のロッジで仕入れたビールはノドにしみた.
昨日に続いて素晴らしい夕焼けとガスの乱舞で一日を終えた. 清水さんのテントは4月に,ロウを加熱ハケ塗りし, グランドシーツは2枚使用としている. 今日は下に笹を敷き快適なベットルームとなった.
第37日
大障子避難小屋-蓬峠(1969/5/5)
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