KZAK報告(第9回) G9 No357 2012日5月17日(木)
第24日
地蔵峠-鳥居峠(1969/5/31〜6/1)
5月31日午後2時,
清水さんの自動車で野田を発つ. 熊谷付近が混雑したため,
横川へは6時30分, 碓氷峠を登り小諸の先で湯ノ丸高原入り口の標識に従い右折,
がたがたでくねくねの道を, ヘッドライトで山ウサギを驚かせながら登り切ると, 折からの満月を浴びた地蔵峠がそこにあった. 8時20分である.
やけに寒く, テントの中で炊飯しながら暖をとる. ブタ汁はうまかったが, 途中で買った<深谷葱>は繊維がかたく不評であった.
5時起床. テントから首を出すと落葉松の梢の上に青い空が広がっている.
寒さに思わず首をひっこめる.
自動車とテントをそのままにしておいて, 6時20分発.
スキー場のリフトの下の道を終点まで登りきると峠の小屋の赤い屋根が林の中にポツンと見え,
その先に西籠の塔山の全貌が現れる. 霜柱の道を狐平へ.
ここはレンゲツツジの群落地で, その最盛期はさぞやと思われるが,
未だつぼみが堅い. 八ツ岳が姿を見せ,
裾野を切られた富士が意外に貧弱な感じで望まれる.
牧場のそれかと思われる柵が湯ノ丸山頂まで続いていて, これに沿って登る. 今日はサブ行動であるが, ピッチが上がるので却って苦しい. 登り切ると北アルプスの白い屏風が,
まともに目に飛び込んで来て息を呑む. 激しい息遣いに肩を上げ下げしながら, 暫くはこの壮観に目を縛られる. 頭を左に巡らせば, 乗鞍, 御嶽を中継して中央アルプスの山脈が続き, 更に左すれば, 八ケ岳の間から南アの主峰北岳がその頭を擡げ, 富士, 秩父が並ぶ.
御座山(オグラヤマ)の発見は私たちにとって別の喜びがある. 首を元に戻し右すれば, 頸城山塊が白く, 眼前には四阿山と根子岳が, その右手には草津白根が続く.
雲と重なり合っているのは上越や日光の山々であろうか.前方ばかりに気をとられていたが,今登ってきた背後には重鎮浅間がわずかながら白い煙をあげて大きく空間を占めている.我に返るとひどい寒さだ.長野県側からの風はアルプスの寒気をそのまま齎すのではないかと思われる程だ.ヤッケを着込んで手袋をし,風下の凹地に横になって寒さを避ける.プレートNo31はこの山頂に打つ.
四阿山を目がけて角間峠へ下る. そこは標高1980.8mで上州の新鹿沢と信州の上田をつなぐ峠である.
<猿飛佐助修行の地>という堂々たる柱が建っている.また,<天然記念物 レンゲツツジ群落>という表示がある.指道標には―吾妻はやを語る峠の草紅葉・重陽―という句が記されている.三題話ではないがこの組合せが面白いので―猿飛はレンゲツツジで技磨き―と川柳ってみた.
角間山の肩へは直登10分,
境界からはちょっと外れるが, 角間山へはそこから10分である. ここには三角点がある.
清水さんはここから地蔵峠へ下ることになっている. 車を鳥居峠へ回すためだ.
鳥居峠11時を約束して, 赤い帽子は笹の中を下って行った. 堤さんと私はもとの肩に戻り草地に横ばいに山並みの展望を楽しむ.
根子岳の緩い斜面が長く続き, その下に菅平の部落がみえる.
昔,あの斜面をスキーで降った時のことが彷彿する.先生になりたての18歳の頃か思う. <若いということはどうして貴いの?>と女の先生に問われ, 答えに窮した頃であった. <何時に出る?>と堤さんの声に我に返り, やおら腰をあげる.
すぐ下に続いていると思われた道は大きく左手に巻いて笹を分け, 白樺の老木の間をたどる. 境界は低い土手になって, 赤いテープが所々に巻いてある.
農林省と書かれた杭や林班界の標識もあった. この辺に来ると風は遮られ,暑さがやってきた. レンゲツツジが鮮やかなピンクの花をつけている. 林道に出ると, わらび狩りの人々に出あう. 自動車が乗り入れられている. 家族連れの山菜摘みであろう. 鳥居峠には約束の11時きっかりに着く. 峠の茶屋で清水さんが手を振っている.
これで今回の行動は終了した. 峠で香の高い独活を買い入れ, いざ下山という段になって, 自動車のエンジンがかからず,
堤さんの腕をもってしてもどうにもならない. 如何にしてこの困難を切り抜けたかということは, ザック山行には直接関係ないので, ここで説明することは避けるが, ザック余話として, どこかに記録を残しておきたいと考えている.
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