97.やっぱり壊れた-----原子核の構造
 
 [授業のねらい]
 壊れないはずの原子から電子が跳びだしたとき,いささか不満気であった
生徒は,原子核が壊れて,原子そのものがまったく変わってしまうことを知ったらどう思うでしょう。ソディのように青くなるでしょうか。
 
 [授業の展開]
 ≪問1≫ つぎの話を読んて感想をいいなさい。
 <ラザフォードとソディ>
 メンデレーエフによってつくられた周期表(1869年)には,まだ発見されていないが,やがて発見されるに違いないという元素の入る場所が空席になっていました。
 この空席は12しかなかったのですが,発見された放射性元素は,1911年ころまでには,すでに40種類以上にも達していました。
 新しく発見された放射性元素は,すでに,周期表の席におさまっている元素と,陽子数(や電子数)が同じて,質量だけが異なる元素でした。ソディはラザフォードの原子模型からヒントを得て,一つの席に複数の元素を入れることに思いつきました。つまり,同位元素(Isotope)です。 isoは同じの意,topeは席の意です。
 陽子数が同じなのに質量が違う元素について,ラザフォードはつぎのような仮説をたてました。“陽子と電子がくっついたら,電気的には中性で質量が陽子と同じくらいのものができ,これが原子核の中にあるとしたら,ソディ
のいう同位元素が理解てきる” この粒子を中性子と名づけたのはハーキンズ(米)てすが,ラザフォードに命ぜられて,12年後に,この中性子を発見したのはチャドウィックでした。
 キュリーによって発見された放射性物質ラジウムは,つねに熱と光と目に見えない3種類の線をだしながらも,すこしも量が減らないという不思議な性質をもっていました。キュリー夫妻はヨアヒム銀山の廃物ピッチブレンドからラジウムを分離抽出していました。ピッチブレンド100トンから得られるラジウムの量は1万分の3g弱です。
 その少量が,キュリーからベックレル,トムソンを経てラザフォードの手に入りました。ラザフォードとソディはラジウムの周りにラジウムとは違った物質ができていることを確かめました。そして,ラジウムの放射線は元素が自ら壊れているという信号であって,これによって,新しい元素ができていることを指摘しました。その後ラザフォードは,キュリー夫人から贈られた100分の1gのラジウムで,元素が壊れることの実験的な裏づけを確実にしました。
 このことは,元素を構成する原子は,それ以上には割れないとする,デモクリトス以来の定説が壊れたことになります。ラザフォードが最初にそれを口にしたとき,これを聞いたソディは真っ青になったといいます。また,この発表を聞いた人の中には,キリスト教の信仰に立ち入った過激思想である,
として演壇に追った者もいたといいます。
 この講演旅行中,ラザフォードはパリでキュリー夫妻と初めて顔を合わせました。キュリー夫人はラジウムによる手の炎症がひどく,フォークも持てなかったといいます。
 ソディはラザフォードに言ったそうてす。“ラジウムのことについては,見つけたキュリー夫人がいちばん多くのことを語りたかったでしょうが,彼女が純粋なラシウムを取りだすための重労働に追いまくられているうちに,あなたは彼女の汗の結晶を使って,いちばんいいところを片っ端から
つまんでいきますね。”
 (参考)ラザフォード 1908年,ノーベル化学賞受賞
      ソディ     1921年,ノーベル化学賞受賞
    読売新聞社編『ついに太陽をとらえた』1954年,を参考にしました。
 ≪実験1≫ スタンドにしっかり固定した大底のフラスコの中を湿らせてから,マッチの燃えさしを入れます。ビニルパイプを通したゴム栓で軽く栓をして,空気入れで空気を入れます。空気が入るとフラスコの中は「晴れ」てきますが,圧力て栓が飛ぶと「曇り」ます。
 ≪問2≫ どのようなことが起きたのでしょう。フラスコの中が清浄なときにはどうなるのでしょうか。
 放射線を目でみる霧箱をつくったのは,ラザフォードの友人のウィルソンでした。ラザフォードは霧箱を使って数万枚もの写真を撮っていました。
ある日,1枚の奇妙な写真が撮れました。その写真から,ラザフォードはα粒子が窒素原子にぶつかり,その原子核を破壊して酸素と水素をつくったに違いないと分析したのです。「人工的」に原子が破壊された初めての出来事です。
  ≪問3≫“霧箱の発明はロンドンの町の深い霧と無関係ではない” “英国における原子論の伝統は,玉突きが盛んなことと無関係てはない”という意見
かありますが,どう思いますか。
 ≪実験2≫ カム式ウィルソン・チェンバー(霧箱)や高温拡散型霧箱で放射性物質からでる放射線を観察しなさい。      (図p204)
 元素は原子の原子番号て決まります。原子番号は陽子の数で決まります。これはイオン化していないときには電子の数と一致します。原子のもつ電荷は陽子(+e)と電子(−e)に依存し,ふだんはその数が同じで電荷は相殺されて,電気的には中性になっています。原子の質量は,その大部分を核子(陽子と中性子の総称)が負担しています。
 原子核を表現するときには,質量は核子の数(質量数λ)で決まり,電荷は原子番号 Z で決まります。これを,原子記号で表示するときには,質量敷は左上に,原子番号は左下に書くことにします。原子番号は原子によって決まっているので書かれていなくても(調べれば)わかります。質量数が原子量に近い整数である場合が多いことは容易に理解できます。自然に存在する化学的元素は,いくつかの同位元素の混合
状態である場合が多いのです。
 原子と原子核の表現にはいささかニュアンスの違いがあります。     
                                                                       :
  11H:水素原子  プロチウム*             11p:水素原子核(陽子)プロトン
  21H=21D:重水素原子  デューテリウム  21d:重水素原子核   デユートロン
 31H=31T:三重水素原子 トリチウム       31t::三重水素原子核 トリトン          
 42He:.ヘリウム原子 **                      42α::ヘリウム原子核 α粒子
                 ちなみに     1  0n:中性子  ニュートロン
                             0 −1e:.電子    エレクトロン
                           0  1e::陽電子  ポジトロン
 *   ハイドロジェン でもよい
  **  42He の 4 は左上に書かれる質量数  2 は左下に書かれる原子番号でこの数は単位電気量の数に一致します
 ≪問4≫ さきにあげたラザフォードが窒素原子にα粒子をぶつけた核反応の核化学反応式を書きなさい。                          (図p205)
 ≪問5≫ 放射性元素がα崩壊(α線を放出する)を起こすときには,もとの元素はどのように変化しますか。β崩壊(β線[電子 時には 陽電子]を放出
する)を起こすときにはどうなるでしょうか。
 α崩壊やβ崩壊が起きるときには,同時にγ線が放出されますが,γ線は電磁波なのて,電荷や質量数には変化は起きません。
 ≪問6≫ 水素以外の原子では,原子核の中には複数の陽子が入っています。原子核の大きさは原子の1万分の1以下といわれます。ヘリウム原子核のなかで2個の陽子が 1/10^4Åの距離にあり,クーロンの法則か成立したと仮定すると,反発力はいくらになるでしょうか。
  f=ke^2/r^2=9×10^9×[1.6×10^(−19)]^2
        ÷[1×10^(−4)×10^(−10)]^2=2.3(N)
 小さいなどといってはいけません。陽子の質量が10^(−27)kg なのですから。
 ≪問7≫ この大きな反発力にもかかわらず,原子核が安定しているのはどのように考えたらよいでしょうか。
 
  [まとめ]
1 放射性元素は放射線をだして他の元素に変わります。
2 原子番号が同じで質量数が異なる元素をアイソトープといいます。
3 原子核は陽子と中性子からできています。
4 α粒子を原子に当てることで,原子核を変化させることができます。
5 霧箱で放射線の飛跡を見ることができます。
6 原子核の大きさは原子の大きさの1万分の1以下です。
(図p205)
(図p204)
理科実験を楽しむ会
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