11.ものは状態を変えにくい−−−慣性
[授業のねらい]
“静止しているものはいつまでもその静止を続ける”ことは容易に理解で
きても“運動しているものはいつまでもその運動を続ける”ことは容易には
理解できません。
静止がものの本来の姿であるという「常識」が強く根づいているからです。
これをつきくずすにはどうしたらよいでしょう。
[授業の展開]
≪問1≫
グランドを転がっていく野球のボールも,リンクを滑っていく
アイスホッケーのパックも,やがては止まってしまいます。ものの運動を永
く続けさせるにはどうしたらよいでしう。
ボールやパックを強く打つ,グランドやリンクを広くする,隅で跳ね返る
ようにする,摩擦を小さくする,重いものを使う,坂にする,などという答
えが返ってくるでしょう。
≪実験1≫
水平な床で,ソフトボールや砲丸投げの鉄球をを転がしてみ
ましょう。勢いよく転がっていって,なかなか止まりません。それを手で止
めてみましょう。重いものほど止めにくいことがわかります。
重いものほど運動を停止させにくいということは,重いものほど運動を継
続する傾向か強いということです。
止まっているものに運動を与えるときにも,重いものほど困難でした。この
ことは,重いものほど静止を継続する傾向も強いということです。
むかしの子どもたちは,野放しにされたトロッコを動かしたり,川や掘割
にもやってある船を引いたり押したりする「自然」のなかでの遊びをとおして,
ものの慣性について,漠然としたなにかを知っていたように思います。いまで
は,そのような経験をする機会が少なくなりました。
ものは一般に,その状態を変えようとするときには抵抗します。運動状態
の変化に対する抵抗を慣性抵抗またぽ慣性といい,慣性の大きさを質量で表し
ます。この質量を慣性質量ということもあります。
すべてのものが慣性をもっています。慣性をもっていれば,それは物質で
あるともいえそうです。
≪実験2≫
砲丸投げの砲丸を両手で持って,1mくらいの高さから跳び降
ります。跳んだ瞬間,砲丸の重さがなくなります。いわゆる,無重力状態に
なります。その状態で,砲丸を前に押してみましょう。
同じ実験を,ソフトボールでやってみましょう。どのような違いがあるか
感想をいいなさい。ここでは,無重力状態を無重力と区別して使っています。
P 重さがなくなっても、重さがある?
P 縦の重さと横の重さがあるのかな。
≪問2≫
永久に運動を続けているものの例をあげなさい。
地球のような天体の例をあげるかもしれません。“永久運動は存在しないので
しょう?”と質(ただ)す生徒もいます。永久機関と勘違いしている場合がよく
あります。
原子,分子の世界は永久運動の世界です。そうでなければ,現実の世界は
「凍りついてしまう」でしょうがそれはあとの話です。
≪問3≫ 静止している物体に運動をさせるにはどうしたらよいでしょう。
「力を加える」は常識です。≪問4≫への布石ですから軽く扱います。
≪問4≫ 摩擦のない水平な机の上を等速運動している物体にはたらいている
力を書きなさい。
(図p55)
多くの生徒が運動方向への矢印を書きます。運勤している物体に力がはたらい
ているのは「常識」です。
力についてはすでに学習が終わっていても,重力と垂直抗力を書くことすら
忘れている者がいます。まして,いま書いた運動方向の力をなにから受けたか
ということなどには無頓着です。
≪問5≫
力は「他力本願」でした。必ず他のものから受けるのです。この
運動方向の力はなにから受けたのですか。
“さっき,それを押した手か,なにか”という答えがあります。
つまり,
力の残留効果です。むかしインピタスという「理論」かありましたが,運動
量,エネルギーといっても同じことです。生徒たちにとって,速さ,力,運
動量,エネルギー,勢い,惰性などはまだ渾然一体の概念なのです。
なにしろ,ものは,走っている理由がなければ,走っているはずがありま
せん。走っている物体が,走りだすときに,どこかで何かからもらったパワー,
インピタスでも,速さでも,エネルギーでも,力(りき)でもいいが…,
を使い果たしたとき,あるいはそれが漏れて(リークして)いってなくなった
とき,物体は運動を停止します。これは
“腹が減って動けなくなる”という
経験に一致しています。生徒の思考はこのようなものです。
これらの考えの根底には,ものは静止しているのが本性で,走っているの
は仮の姿だという思想があります。運動は一つの静止から,もう一つの静止
へのプロセスでしかありません。“ものは本来あるべきところへ行く”という
アリストテレスの気分と,生徒のそれは似ています。
ここで摩擦力の復習をしておきます。
≪問6≫
水平な机の上にある物体に水平に力を加えても動きたしませんで
した。物体にはどのような力がはたらいているのてしょう。
≪問7≫
水平な机の上を滑っている物体が, 間もなく止まりました。物体
にはどのような力がはたらいていたのでしょう。
≪実験3≫
エアトラックの上で滑走体を走らせてみましょう。
エアを出したり止めたりすると,滑走体の動きには雲泥の違いがあって,
摩擦力の効果がいかに大きいかを知ることができます。
≪実験4≫
エアトラックの上で滑走体を止まらせておきましょう。
エアトラックを水平にセットするのは難しいことです。これを逆手にとって,
エアトラックの上て滑走体を止まらせてみようというのです。なかなか止まら
せておけません。動いていってしまうのです。
P 摩擦のあるところて走らせておくのは大変だけど,摩擦のないところで
止まらせておくのも大変だ。
これらのことから,摩擦力がつねに物体の運動を抑制するようにはたらい
ていることを再確認し,摩擦力は“止まっているものは動きださせない,動
いているものは止まらせる”とまとめておきます。
これに比べて慣性は
“止まっているものは動きださせない,動いている
ものは止まらせない”といえます。
慣性はものの運動の状態を変えないという自然の保守的な側面を表してい
るのに対して,それを変えるはたらきをするのが力で,力は自然の革新的な
側面を表しています。ただし,摩擦力はその「両方の性質」を示します。
≪問8≫
まえに学習した<星の王子さま>の話を思いだしましょう。地球
と等速度で運動している星では,重力の大きさは別としても,地球の上とま
ったく同じような生活ができます。このような場所(空間)を慣性系といい
ました。一つの慣性系からみて等速度運動している別の世界は慣性系です。
慣性系同士は対等で,どちらも優位を主張することがてきません。このこと
から,速度が相対的てあることを論じなさい。
星の王子さまは自分が止まっていると主張するでしょうし,他の星にいる
お姫さまも(いるかどうか知りませんが)自分が動いているとは思わないで
しょう。みんなが自分は静止していると主張する権利があります。速度はま
ったく相対的です。
速度が相対的で,見るものの視点で変わるとすれば,すべての物体はみん
なそれぞれ異なった速度をもっているというのが,いちはん無理のない考え方
です。だれが命令するわけでもないのですから。
そうでなくて,多くの物体がお互いにみんな歩調をそろえて同じ速度て運動
している,なんていうのはまったくもっで
“気持ちワリー”としかいいよう
がありません。みんなそろって静止しているという地球的状態は,まさにこの
ような状態をいうのです。このように相対的な運動をゼロにするはたらきが
摩擦力の特徴てす。地球は摩擦力(と重力)が支配する特殊な天体なのてす。
“将来,人類が宇宙空間で生活するようになったら,慣性の学習はずっと
容易になるでしょう”という生徒の感想ががありましたが,そのとおりでしょう。
≪問9≫
ものの総体は,地球的(クローバル)には,止まっているのが普
通で動いているのは特殊ですが,宇宙的(コスミカル)には,その逆がいえ
そうてす。物理は物質本来の性質を暴きだす学問ですから,思考の範囲を限
定してはいけません。そのような視点から運動について論じてみましょう。
静止を一般から特殊へ転換する思考の鋳なおしは,まさにコペルニクス的
であって,それができて初めて慣性の法則が深く理解されるようになるので
しょう。
慣性,力,質量などの概念は,ここで,一度にわかるというものてはない
ように思います。何度も,衣替えして繰り返し出てくるなかで,しだいに
理解が深まってくるのではないかと思われます。焦らずにいきましょう。
[まとめ]
1 すべてのものに慣性があり,その大きさが質量です。
2 外からのはたらきかけがなけれは,自然は状態を変えません。
3 状態を変えるはたらきが力です。
4 慣性系はみな対等で,速度は相対的です。
5 地球は摩擦力が支配的な,特殊な天体です。
6 静止を一般から特殊に転換する思考の鋳なおしが必要です。