久しぶりに「とほほの独り言」を書いてみます。今回は、とほほがこれまでに関わってきたパソコンのあれこれ・・・です。
私がはじめてコンピュータに触れたのは、私が高校の時に、中学生の弟が買ったコモドール社のVIC-1001というマイコンでした。ファミコンと同じ8ビットのCPU(6809)と、5KBのメインメモリなどが分厚いキーボードの中に入っており、キーボードを直接家庭用テレビに接続して使用しました。値段は8万円くらいだったかなぁ。メモリは5KB。現在の一般的なパソコンの1万分の1くらいしかありません。さすがにこれでは何もできないので、兄弟でお年玉をはたき合って、3KBの増設RAMを購入しました。(それとも、3KBに、5KBを増設したんだったっけな。いずれにせよ、無茶苦茶少ないです。)
国内ではかなりマイナーなマシンだったので、ゲームソフトや資料などを入手するのが困難でした。ファミコンと同じCPUだということを知ったのも、ずいぶん後のことでした。
もちろんフロッピーディスクなんていう高価なものはついていません。プログラムなどはカセットテープに録音します。普通のラジカセで聞くとピーッ、ギャーーーー。という音になるのですが、この「ギャーーーー」の部分の音の変化で、これは、何のプログラムのテープだとか聞き分けたりしていました。
ゲームをするにも、いちいちカセットテープからプログラムをロードしなくてはなりません。一番面白いゲームは情報量も多く、ロードに10分もかかっていました。しかも、こういうのに限って、途中で「ロードエラー」をおこしたりするんですね。
この時に、ゲームセンターで流行っていた「PENGO」というゲーム(ペンギンが氷を押してスノービーをやっつける)の真似物を、BASICでプログラミングしてたりしました。8KBしかないメモリ空間ながら、いっちょ前に毎回ランダムに氷配置パターンを変えたり、音楽を奏でながらプレイしたりと、我ながらなかなかの出来栄えではなかったかと思っています。 ただ、しばらく遊んでいると、スタックデータがキャラクタデータの領域にまで浸透してきて、ペンギンの画像データが崩れはじめ、「世界の崩壊」が始まってしまうのがたまに傷でした・・・(^_^;)
大学時代に初めて自分で購入したパソコンがこれ。Z80(俗に言うゼッパチ)CPUの8ビットマシンです。64KBしか無いメモリ空間を、バンク切り替えによって無理矢理増やしてしまうといったマシンでした。嬉しいことに、320KBのフロッピードライブがついていました。カセットテープに比べたら、やはり、いいですねー。こんな高価なマシンを学生なんかが使ってもいい時代になったんだなぁと痛感していました。
しかし、この8801はひたすら、ゲームマシンと化していました。当時は、簡単にプロテクトの破れるソフトを作っているのは、作っている方が悪い。なんてことを思いながら、ひたすら、ゲームのコピーをやっていました。(反省)
ゲームプログラムが「I/O」などの雑誌に掲載されることもあるのですが、フロッピーが添付されていることはなく、16進数のダンプリストが印刷されているので、これをひたすら、数時間もかけて入力していました。マシン語で、16進ダンプ入力プログラムを開発していたのもこの頃です。チェックサム自体も入力させて、入力ミスがあると音で知らせてくれるのが自慢でした。
大学の研究室で現役バリバリに働いていたのがこのパソコンです。私は、物理学科でプラズマの温度を測るという研究を行っていたのですが、D/AコンバーターをApple IIに接続して、情報解析を行っていました。Apple IIにZ80ボードを積んで、無理矢理MS-DOSを動かして、FORTRANコンパイラで作成したフーリエ変換のプログラムにかけるのです。このマシンに接続されていたのが2HD, 2DDならぬ1Dというフロッピードライブでした。つまり、片面倍密度。2Dのフロッピーディスクを買ってくると、右上にライトプロテクトの切り込みを入れることにより、両面使えるようになります。裏を見る時はもちろん、フロッピーを裏表ひっくり返して挿入するのです。
あとは、計算機センターの大型コンピューターFACOMを利用していましたが、これも、パソコンで開発したプログラムをFACOMに転送するのに、バイクで農学部まで走っていかないと転送できない・・・といった代物でした。
教授の中には頑固な人も居て、「フロッピーなんかは信用できん。データはちゃんとパンチカードで残さんといけん」と言って、1枚に80文字分の情報を記録できるパンチカードしか遣わせてもらえない講座もありました。
大学時代に購入した2台目のマシン。V30という16ビットCPUです。この頃は、「DBASE III」「Informix」「DynaDraw」など、先輩が色々な業務ソフトをコピーして持ってきてくれていたので、ちょっとこれらで遊んでみたりしていました。マニュアルも無しに使ってみるのが、アドベンチャーゲームをやっているようで楽しかったなぁ。
この頃、友人の紹介でコンピュータのアルバイトも始めました。最初はCOBOLのキーパンチャーで、人が紙上で開発したプログラムを最終的にコンピュータに入力する仕事でした。1行入力すると○円、1行入力ミスがあると罰金○円といった具合でした。
次のバイトはBASICによる業務プログラムの一部。画面入力モジュールや、プリンタ出力モジュールをBASICで開発する下請けをやっていました。
次にやったのが、化粧品の在庫管理を行うソフトをC言語で開発するもので、この時はじめて、MS-DOSだのC言語だのを体験しました。C言語初心者のバイト生が開発するということで、バイト料も3万円くらいしかもらえなかったなぁ。
会社に入って2年半の寮生活に入り、パソコンを置くスペースが無いことから、10インチくらいのモニタと本体一体型(一部には、マネキントッシュと呼ばれている)のPC-9801 CVを購入しました。でも、寮生活の間は会社に居ることが多く、あまり使わなかったなぁ。
結婚して自分のスペースもさらに減ったので、とにかく省スペースをと思い買ったのが、このA4サイズのi386モノクロノートパソコンです。この頃はまだ、Windowsなんて使えなくてもいいや・・・と思っていたのですが、やはり、時代の波には逆らえなかったようです。
やっぱり、Windowsがサクサク動くパソコンでないと、話にならない。ということで、Pentium 75MHzマシンを購入しました。これまでは PC98系を愛用していたのですが、LinuxというUNIX互換OSも遊んでみたかったので、DOS/V路線に走ってしまいました。今現在、このページを書いているのも、このパソコンです。未だに75MHz、500MBハードディスク、24MBメモリ、100MB-Zip(しかも、パラレル接続)という構成で頑張っています。
うーん、でも、やはり、昔に比べると、パソコンの個性が無くなってきてしまって、いいことなのかもしれませんが、なんだか、つまらなくなってしまった感もあります。